美味求真

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美味求真

1925年出版の「美味求真」を通して
「食」を文化,哲学,歴史,人類学などの
様々な分野から考察します。
最新記事 6/20公開
水無月



美味求真について


『美味求真』の現代訳について


『美味求真』とは、かつて衆議院議員を務め、美食家としても知られた木下謙次郎が、1925年(大正14年)に出版した書籍です。かつてはベストセラーにもなり広く知られていた本でした。原文は文語体で書かれており現代人には少し読みにくい書物ですので、本サイトでは『美味求真』を、サイトの主催者である河田容英が現代語訳し、理解しやすいように註釈を付けて公開しています。現在では注釈の方が、『美味求真』本書よりも文章量が圧倒的に多くなっています。


サイトの閲覧方法


「リンク」のように色のついたリンクは出典先になっています。また「リンク」のようにグレイでハイライトされているリンク先は、注釈になっています。




註釈記事



水無月

毎年6月の晦日(最後の日)になると食べられる和菓子が水無月です。水無月は「夏越の祓」と呼ばれる行事との関係した菓子で、厄を払うために食べることからこの時期には欠かせない和菓子になっています。なぜこの時期に水無月が食べられてきたのかを明らかにしています。

ソース・ベシャメル

ソース・ベシャメルはフランス料理のなかでマザーソースと呼ばれ、他のソースを産み出す基本的かつ古典的なソースとして良く知られています。このソースの起源、そしてどのようにフランス料理でこのソースが重要視されるようになったのか、その背景を解説しています。

ラ・ヴァレンヌ

ラ・ヴァレンヌは料理書『フランスの料理人』を著した17世紀の料理人です。ラ・ヴァレンヌはデュクセルの考案者でもあり、彼が現代に続くフランス料理の基盤に残した影響は非常に大きなものがあったとされています。ラ・ヴァレンヌの料理がどのように革新的で新しいものだったのかを解説しています。

ビスク

ビスクとは甲殻類から作られるポタージュのことですが、最初は鳩から作られるポタージュのことがビスクと呼ばれていました。ビスクの語源と歴史から時代によってどのようにビスクが変遷してきたのかを解説します。

ブランケット・ド・ヴォー

ブランケット・ド・ヴォーは、昔からフランス人に愛されきた家庭料理です。この料理は1735年にヴァンサン・ラ・シャペルによって最初にレシピが記されましたが、18世紀には仔牛肉だけが入るクリーム煮のような料理でした。20世紀になると、これに人参や米が添えられるようになってゆきます。なぜこのような料理になったのかの経緯も含め、この料理の歴史を解説しています。

ヴァンサン・ラ・シャペル

18世紀を生きたヴァンサン・ラ・シャペルは、その後のフランス料理に大きな影響を残した料理人とされています。ヴァンサン・ラ・シャペルについては賛否両論あり、現代のフランス料理の基礎を築いたという高い評価もあれば、レシピを盗用したとして低く評価される場合もあります。この料理人の生きた時代背景からその真意に迫ります。

ププラン

ププランは14世紀から存在が文献で確認される古典的な菓子です。歴史のある菓子であるにもかかわらず、現代ではシューに取って代わられあまり食べられることのない菓子になってしまっています。このププランがどのような菓子で、過去に文献でどのように語られてきたのかを説明しています。

プロフィットロール

プロフィットロールはシュークリームに似てはいますが、厳密には同じものではありません。16世紀の文献にも登場する古くから食べられてきたものですが、19世紀からデザートをとして食べられるようになり、現在ではアイスクリームを詰めて上からチョコレートソースをかけて食べるのが一般的になっています。

エクレア

エクレア(éclair)とは細長く焼いたシュー皮にカスタードクリームやホイップクリームを挟み、上からフォンダンやチョコレートをかけた菓子です。しかしこのエクレアがフランス語で稲妻(éclair)という意味であることはあまり意識されていないようです。

ピュイ・ダムール

ピュイ・ダムールは愛の井戸という意味の18世紀に誕生したお菓子です。当時、このお菓子がどのように人気となったのか、さらにはこのお菓子のもっている意味について考察しています。

フランソワ・マシアロ

フランソワ・マシアロは17世紀~18世紀を代表するフランスの料理人です。マシアロがどのような影響をその後のフランス料理に与えたのか、その歴史的背景と合わせて解説しています。

ソース・スービーズ

ソース・スービーズは18世紀のフランスで元帥や大臣を務めたスービーズ公(シャルル・ド・ロアン)に由来するソースであるとされている。かこの文献を調査し、このソースの歴史と、考案者が誰だったのかを考察しています。

フランソワ・マラン

フランソワ・マランは18世紀フランスの料理人である。1739年に出版した『コーモスの贈り物』は物議を醸し、知識人たちによる料理論争を引き起こした。またマラン自身はフォン(fond)を編み出し、これがフランス料理のソースのつくりかたに大きな影響を残した。18世紀のヌーベル・キュイジーヌの料理人として重要人物であるマランの業績を再評価します。

ヌーベル・キュイジーヌ

ヌーベル・キュイジーヌ(Nouvelle cuisine)はフランスで始まった料理スタイルのことであり、フランス語で「新しい料理」という意味です。1970年代にフランス料理界を席巻したこの料理スタイルの本質と、18世紀にも登場したヌーベル・キュイジーヌとの相関性を解説しています。

マドレーヌ

マドレーヌの起源には定説がありませんが、1755年にフランスのコメルシーで誕生したのではないかと考えられています。その後、ヴェルサイユ宮殿でも人気を博し、小説家のプルーストもマドレーヌについて書くなどフランスを代表する菓子のようになっています。このマドレーヌの型がどのよう生まれたのか、日本のマドレーヌはなぜフランスのマドレーヌと形が違うのかを解説しています。

ムノン

18世紀フランス料理人のムノンは多数の料理書を書き残した人物です。これらの書籍を通してフランス料理はさらなる発展を遂げることになり、現代でもこの書籍を紐解くことで当時のフランス料理がどのようなものだったを再現できるようになっています。これまで謎が多いとされてきたムノンの生涯と、その料理レシピに込められた時代背景と思想を解説しています。

クレーム・シャンティイ

クレーム・シャンティイ(Crème Chantilly)とは、生クリームを泡立てて作るホイップドクリーム(Whipped Cream)のことである。クレーム・シャンティイはフランス語、ホイップドクリームは英語の呼び方で、名前は違えど実質的にはまったく同じものである。なぜクリーム・シャンティイと呼ばれるようになったのか。その歴史はどのようなものだったのかを解説しています。

百科全書:料理

『百科全書』は、ディドロとダランベールの編纂によって、1751年から1772年まで20年以上もの年月をかけて完成したフランスの百科事典です。1740年代は新料理論争が起き、知識人たちが料理について哲学的な論争を交わしていました。『百科全書』に含まれている「料理」の項は、そうした論争をかなり反映した内容になっています。この項の全文を翻訳・掲載しています。

ハーキュリーズ

ハーキュリーズは、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンのシェフでした。彼は黒人奴隷ではありましたが、大統領官邸の厨房を仕切り、残った食材を使い料理を販売することが許可されていました。これによってハーキュリーズはかなりの金額を稼ぎ、それをファッションに使うというかなりダンディな人物でした。ハーキュリーズの生涯と料理を考察しています。

ジェームズ・ヘミングス

ジェームズ・ヘミングスは、アメリカ大統領トーマス・ジェファーソンのシェフでした。彼は黒人奴隷でしたがパリで料理の修業を行い、当時の最先端技術を身に付けた料理人としてトーマス・ジェファーソンの招待客たちに料理を供していました。

メアリー・ランドルフ

メアリー・ランドルフは、1824年に出版された料理書『The Virginia Housewife』の著者であり、アメリカ料理の歴史を語る際には外すことが出来ない重要人物です。

星子

星子は、伝説のバーテンダーとして知られるデニー愛川の生み出した梅リキュールです。梅とはどのような植物だったのかを文化的な側面から説明することで、梅リキュール「星子」の魅力を語っています。

クレオール料理

クレオール料理とケイジャン料理は似ていますが本質的なところで異なる料理です。こうした料理が生まれたルイジアナ州のニューオリンズは、音楽(ジャズ、ブルース、R&B、ファンク)が盛んな場所であり、料理と音楽の関係についても説明しています。

ケチャップ

数百年前にアジアからヨーロッパへ輸入され、世界中で愛用されるようになった知られざるケチャップの歴史を語ります。

ウスターソース

ウスターソースは身近な調味料ですが、その起源はイギリスのウスターシャー州で産まれたリー&ぺリンズ社のソースに遡ることが出来ます。

エスカベシュ

エスカベシュ(escabeche)とはスペインなど地中海沿岸の地域で良く食べられる魚を揚げて酢漬けにした料理です。この料理は日本に伝えられ南蛮漬となりました。

南蛮漬

南蛮漬は揚げた小魚をトウガラシやネギのみじん切りを加えた二杯酢または三杯酢などの甘酢に漬け込んでつくられる料理ですが、どこからこの料理がやってきて日本の料理として定着したのかを説明しています。

シクバージ

シクバージはペルシャの宮廷料理で、代々のペルシアのカリフ(王)によって愛されてきた料理です。この料理の与えた影響は大きく、その後の様々な料理にシクバージの遺伝子は宿ることになります。

南蛮漬鯛

南蛮漬鯛は、江戸時代の料理書に記されている鯛を用いた南蛮漬けです。ペルシャ由来の南蛮漬けの起源を明らかにしつつこの料理の本質に迫ります。

長崎糟煮鯛

長崎糟煮鯛は、粕漬けにした鯛を、酒粕で煮る江戸時代の長崎料理です。粕を使ったこの料理が、江戸時代にどのように調理されたのかを説明しています。

リーズィズ

最初にフィッシュ & チップスのビジネスを始めた店は二つの候補があり、ロンドンのマリンズと、ランカシャー州にあったリーズィズが候補に挙げられています。フィッシュ & チップスがどのように始められたのかを家族の歴史から語ります。

マリンズ

マリンズは最初にフィッシュ & チップスのビジネスを始めた店であると考えられています。ヴィクトリア朝の最中に誕生したフィッシュ & チップスと、それに関係したマリン家の歴史を紐解きます。

フィッシュ & チップス

フィッシュ & チップスはイギリスの国民的料理であると言われています。なぜここまでイギリス人に食べられる料理になったのか、その由来と、その背後にある意味について解説しています。

南蛮屏風図

南蛮屏風図は、長崎が舞台と考えられており、そこに到着したポルトガル人たちの様子が描かれています。長崎の独特な料理はこうした南蛮人や南蛮文化との交流によって生まれたとされています、南蛮屏風を通して後藤流という長崎の料理流派がどこから生じたのかを考えます。

天麩羅

天麩羅は代表的な日本料理ですが、ポルトガルに起源をもつ料理です。では起源のポルトガル料理とは何でしょうか?天麩羅という料理の背後にある意味を解き明かします。

長崎てんふら

長崎には後藤流という料理流派があったようで「長崎てんふら」はその後藤流のレシピです。後藤流とはどのような流派か、さらには天婦羅にはどのような起源があるのかを明らかにします。

通仙流てんぷら

通仙流てんぷらは江戸時代の料理レシピです。天ぷらにはどのような起源が在るのか、また通仙流とは何かを考察しています。

山焼鯛

山焼鯛は江戸時代の料理レシピです。この料理の由来は兵庫県姫路市妻鹿に由来しており、神事でこの料理が奉納されたことが伝えられています。ハマグリの煮汁で鯛を煮る煮魚料理ですが、なぜこれが山焼鯛という名前なのかを解説しています。

小笠原流煮鯛

小笠原流煮鯛とは江戸時代の料理レシピです。小笠原流とは弓・馬・礼の故実の氏族ですが、その小笠原流を冠した鯛料理とはどのようなものか、なぜそのような名称がつけられたのかを分析しています。

唐墨(カラスミ)

紀元前から地中海沿岸で作られはじめたカラスミの歴史について説明しています。なぜ長崎の野母カラスミが高級なのかも明らかにしています。

鱲醬(ろうあえ)

鱲醬は江戸時代の1785年に出版された『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されている最初のレシピです。鯛をカラスミと和える料理で、そのレシピを公開しています。

浅黄鯛

浅黄鯛は江戸時代の1785年に出版された『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されている最初のレシピです。食材を黒く染めるというのは何を意味するのか。他に日本で食べられてきた黒い料理を紹介しています。

明智光秀と汁講

『名将言行録』には明智光秀が汁講で出した料理が豪華で美味だったことが記されています。その時に明智光秀がだした汁料理とはどのようなものだったのでしょうか。他の記録に残る明智光秀の料理との比較から、汁講のレシピがどのようなものであったのかを探ります。

紅粉鯛

紅粉鯛は江戸時代の1785年に出版された『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されている最初のレシピです。紅花や昆虫由来の色素を使ってどのように着色をするかを説明しています。

五色鯛

五色鯛は江戸時代の1785年に出版された『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されている16番目のレシピです。有職故実や陰陽五行に基づいてなぜこのような着色をするのかを説明します。

三道具鯛

三道具鯛は、江戸時代の1785年に出版された『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されている32番目のレシピです。

大坂名物ちくら鮓

大坂名物ちくら鮓は、名前のとおり大坂の料理である。『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されているレシピで、但し書きにはこれが「こけらずし」のことであると説明されている。

江戸おまんすし

江戸おまんすしは、江戸時代の1785年に出版された『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されているレシピで、現在の東京駅近くで売れていた人気の寿司でした。

薩摩鯛のあつめ汁

薩摩鯛のあつめ汁は『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されている薩摩藩(鹿児島県)の鯛料理レシピです。赤味噌、沢山の具材がポイントです。

鯛百珍料理秘密箱

『鯛百珍料理秘密箱』とは、1785年(天明5年)に出版された、上下2巻で103種類もの鯛料理レシピが掲載されている書籍です。

江戸時代になって急速に価値ある魚になった鯛を考察しています。鯛、桜、武士の関係から鯛にまつわる歴史と文化を明らかにしています。

「もっちり」への考察

もちもち、もっちりとした食感を日本人は好みます。ナポリタンの麺はもっちりですし、パンももっちり、うどんももっちりが好まれます。その理由を考えてみました。

忌部子首

2020年の今年は『日本書紀』完成から1300年目にあたります。この『日本書紀』の編纂に携わった12人のなかのひとりに忌部子首(子人)という人物がいましたが、この人物はあまり歴史の中で取り上げられることがありません。『古事記』を行ったのも実は忌部子首だったのではないかという仮説と考察を本稿で述べています。

アユは日本を代表する季節の食材で、これを愛した北大路魯山人と佐藤垢石の記述を取上げて論じています。またアユの盛り付け方法に関する考察もおこない日本料理の根底にある陰陽五行の考え方を解説しています。

夏越の祓

6月30日に行われる「夏越の祓」では、神社に茅の輪が据えられ、茅の輪くぐりが行われています。また同じ時期には和菓子の水無月が食べられますが、その理由は何でしょう? コロナ禍の今夏に、夏の食べ物とそれを食べる理由を考えてみました。

文王

古代中国の周の文王は、殷の君主である紂王から、自分の息子が羹になった料理を出されます。文王がそれを知りながらその羹を口にしたのはなぜか。また文王は菖蒲の漬物を好物としていましたが、それに孔子が倣ったのはなぜかを探ります。

布と大嘗祭 ②

1300年前の人物、忌部子首(いんべおびと)を取上げます。忌部氏がどのような氏族で、そのひとりの忌部子首が『古事記』,『日本書紀』の編纂にどのように携わったかを考察することから麁服という布の意味を明らかにしています。

布と大嘗祭 ①

天皇が行う大嘗祭では麁服(麻)と繪服(絹)の布が儀式で用いられます。布は古代では非常に神聖なものであり、神の依代として大切に扱われていました。大嘗祭で調進される麁服と繪服も秘儀でありどのように用いられるかは分かっていません。

酒と大嘗祭

大嘗祭では黒酒と白酒という二種類の酒が儀式で用いられます。特に黒酒は久佐木という植物の灰が加えられて黒色に着色されています。なぜこのような酒が捧げられるのか?その酒にはどのような意味があるのか?どのように大嘗祭で使われるのかを説明しています。

養蚕

養蚕と稲作(食)はあまり関係が無いように思われるかもしれませんが、日本の神話を読んで行くと、双方には深い関係があることが分かります。これにはスサノオとアマテラスの関係がどのようなものだったのかということも関係していますので、神話にどのような意味があるのかを解説しています。

粟(あわ)と大嘗祭

大嘗祭では米と共に粟も神饌として供されていますが、それが何を意味するのかについてはあまり語られていません。この記事では粟が捧げらる事は何を意味しているのか、「日本書紀」や「古事記」の記述を通して解明してゆきます。

大嘗祭

大嘗祭とは天皇が即位後に行う最初の新嘗祭でありそれを大嘗祭と言います。大嘗祭には多くの秘儀が守られており、どのような儀式が行われているのかの全ては公開されていません。「食」との繋がりが深い大嘗祭がどのようなものかを説明しています。

北村祐庵

茶人の北村祐庵が考えたとされてる幽庵焼きですが、江戸時代の文献から、それが誤った見解であることを検証しています。本文中にもありますが、幽庵焼きは、裏千家と辻留の関係から生まれた料理であると推測しています。

北条時頼

北条時頼は鎌倉幕府執権を務めた人物です。兼好法師の記した徒然草のふたつの段で、北条時頼に関する飲食にまつわるエピソードが取り上げられています。徒然草から北条時頼が、どのようなものを食べ、どのように酒を飲んでいたのかを探ります。

帆足万里

江戸時代の後半に、帆足万里は日出藩の家老として活躍した人物です。『美味求真』の著者・木下謙次郎との関係を紐解くとともに、木下家でスッポンに舌鼓を打った親しい関係について語ります。

川端道喜

川端道喜は500年以上の歴史のある和菓子店です。粽(ちまき)が特に有名ですが、今回は川端道喜の歴史を掘り下げて語ります。利休との関係や、明智光秀とのつながりを説明しています。

ルクッルス

ローマの執政官、政治家でもあったルクッルスは豪華で贅沢な食事をしていた人物として有名です。現代でも豪華な食事のことはルクッルス式と言われているぐらいです。ルクッルスの食事がどのようなものだったのか?またなぜそんなに贅沢な食事をしていたのかを説明しています。

高橋宗直

高橋宗直は、江戸時代に日々の天皇の料理を準備する御厨子所で「預」という役職を数百年に渡って世襲した高橋家に生まれ、料理を含め、様々な有職故実に通じた人物です。

高橋朝臣

磐鹿六雁命の子孫である高橋朝臣は、内膳司という役割を与えられて、天皇の食事を司る役割を果たしてきました。この一族からは聖徳太子の妻となった菩岐々美郎女という女性もいて、大変位の高い一族です。

磐鹿六雁命

磐鹿六雁命は料理の神様として祀られている伝説的な人物です。景行天皇に白蛤を膾にして献上したところ大変に気に入られ、お褒めの言葉を賜ったとあります。

豊宇気比売神

豊宇気比売神は、『古事記』のなかで稚産霊の娘として登場する神です。トヨウケという神名に含まれている「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神であることを示しています。この記事では食と宇気比売神の関係を探ります。

大宜津比売神

大気都比売神(オオゲツヒメ)は、スサノオノミコトに殺されてしまった。すると、殺されたオオゲツヒメの頭に蚕がなり、二つの目に稲種がなり、二つの耳に粟がなり、鼻に小豆がなり、陰部に麦がなり、尻に大豆がなった。

坪内

織田信長に関係したエピソードの中に、坪内某という料理人が登場する。この坪内が実在の人物であったのかどうかについては定かではないが、信長についての面白いエピソードではあることは間違いない。よって、ここでは坪内が実際に存在したのか、さらにはこのエピソードが事実なのかも含めて少し分析してみることにしたい。

佐々木盛綱

佐々木盛綱が鮭の楚割を頼朝に贈ると、頼朝はそれを非常に美味であるとして喜んだことが記録されている。

何曾

何曾は三国志の時代の後、晋の宰相を務めた人物で、奢侈を極めた美食家としても記録されている人物です。何曾は食に対するこだわりが強かったようで、衣食住の豪奢は「王者を過ぐる」と記録されていて、自分でも一日の食費に一万銭を費やしても「箸を下ろすところがない(食べるものがない)」とまで言っているくらいです。

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