ガンボ(gumbo)

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ガンボ(gumbo)


この記事は「クレール料理」からガンボだけを抜粋したものである。詳細は「クレール料理」から確認して頂きたい。

ルイジアナ州のクレオールとケイジャンを代表する料理は間違いなくガンボ(GUMBO)である。ガンボという料理名は、この料理にオクラがつかわれていたことに由来している。オクラ(okra)は英語であり、日本語でもそれに合わせてオクラと呼んでいるが、フランス語やイタリア語ではゴンボ(gombo)である。このゴンボという呼び名はアンゴラ語のキンゴンボ(ki ngombo) あるいは中央バントゥー語のキゴンボ(kigombo) に由来するとされている。もともとオクラはアフリカ由来の野菜であり、ガンボと言う料理名であることから考えても、この料理はアフリカの影響を大いに受けたものであると考えられる。

クレオールガンボ,Creole Gumbo

クレオールガンボ 


ガンボはルイジアナ州の料理であるが、西アフリカから連れてこられた黒人奴隷、ヨーロッパから入植したフランス人やスペイン人、さらに昔からアメリカに住んでいたアメリカインディアンという具合に、様々な人種や国籍の食文化が混合して生まれた料理である。


聖なる三位一体(Holy trinity)


ガンボはそれぞれの作り手によって異なる独自のこだわりレシピがあるようだが、基本的には「聖なる三位一体:Holy trinity」と呼ばれるセロリ、ピーマン、玉ねぎの三種の野菜を使うところは必須であり共通している。ニューオリンズはカトリックの都市であり、キリスト教カトリックでいうところの教理の「父、子、精霊」の三位一体を、この野菜にかけて用いているのは面白い。ちなみにフランス料理では味の土台をつくるためのこれらの香味野菜は「ミルポワ:Mirepoix」と呼ばれている。ミルポワとは、さいの目に切った香味野菜をバターで長時間炒めたフレーバーベースのことで、フランス料理の味のベースとなっている。ガンボでつかわれている「聖なる三位一体」はこのフランス料理のミルポワの影響を受けたものであると考えられている。しかし後でも取り上げるが、100年ほど前のいくつかの料理書のレシピを見ても聖なる三位一体はまったく使われていなかった。よってミルポワ由来とされるガンボの料理方法はそんなに古い歴史に基づいた調理方法ではないと言える。

聖なる三位一体に加えるニンニクを「教皇:The Pope」と言う。それはローマカトリック教会の教皇が公式行事の際に頭に被るマイター(Mitra)にニンニクの欠片の形が似ていることがその理由のようである。三位一体も教皇もカトリックならではの用語なので、ここにもカトリックの強いニューオリンズならではの傾向が現れている。

ニューオリンズで世界的に有名な行事は「マルディグラ:Mardi Gras」というカーニバル祝祭である。現在は祝祭日を祝うためのイベントになっているが、もともとはカトリックに基づいた宗教的な行事であって、四旬節の断食の前に、濃厚で脂肪の多い食べ物を食べるという習慣から始められたものだった。マルディグラの期間は、ニューオリンズの街は紫・金・緑の三色のマルディグラ・カラー(紫は正義、金は権力、緑は運命)で街は染まり、この三色で彩られたキング・ケーキが食べられる。またガンボもこうした祝祭の時に良く食べられており、ニューオリンズを象徴する料理となっている。


具材


ガンボの具材で入れられる食材は、鳥肉類、甲殻類、豚肉の燻製などである。鳥肉類には、鶏、アヒル、ウズラなどが用いられる。またシーフードガンボの場合にはザリガニ、カニ、エビなどの甲殻類がたくさん入る。つまり具材は肉にせよ甲殻類にせよ現地で豊富に調達される様々なものが入ることが特徴なのである。

また野菜だけで肉も魚も入らない、ガンボ・ザーブ(gumbo z'herbes)もある。これは四旬節、中でも特に聖金曜日の際に食されるガンボで、この期間は肉を絶たなければならないという宗教習慣に基づいている。こうした野菜だけのガンボがあることも、ニューオリンズにおけるカトリックの影響の強さを感じさせられる要因である。

またガンボには、アンドゥイユ(Andouille)という燻製ソーセージが加えられるために薫香がある。アンドゥイユとは、無駄を出さないように豚肉の様々な部位(モツや腸)を混ぜた粗挽きの燻製ソーセージで、強いスモーク臭が特徴である。フランスではブルターニュ地方ゲムネ(Guémené)のものとノルマンディー地方ヴィール(Vire)産のものが、A.O.C(原産地呼称名)として認定された名産地として知られている。

しかしクレオール料理やケイジャン料理には、ルイジアナ州ラプラス(LaPlace)でつくられるアンドゥイユを用いる。ラプラスはアンドゥイユの名産地であり、かつてラプラス知事だったエドウィン・エドワーズが「世界の公式アンドゥイユの首都」と宣言したほどの生産地である。また1972年から毎年10月にアンドゥイユ・フェスティバルがラプラスでは開催されており、ルイジアナ料理にアンドゥイユは欠かせないものとなっている。

アンドゥイユ(Andouille)

アンドゥイユ(Andouille) 


ラプラスはニューオリンズからミシシッピ川を西に遡った、ジャーマン・コースト(German Coast)と呼ばれる場所にある。ジャーマン・コーストという地名は、1721年からこの地域に入植したドイツ人開拓者に由来する。こうした入植ドイツ人たちは伝統的なソーセージや燻製肉の製造技術をアメリカに持ってきた移民たちであった。こうした入植ドイツ人たちはフランス語を話し、彼らのつくるソーセージも地元の顧客(フランス人)に向けてアレンジして販売するようになった。これがジャーマン・コーストでアンドゥイユが盛んにつくられるようになった理由である。よってラプラスでつくられているアンドゥイユは、名前こそフランス語であるが、実際は昔からドイツ人がつくってきたドイツ由来のソーセージだということになる。

タッソハム(Tasso ham)

タッソハム(Tasso ham)


アンドゥイユの他にもガンボにはタッソハム(Tasso ham)が使われる。タッソハムの原料は豚の肩肉で、これを約3インチほどのさくにスライスして保存のための加工を施している。大腿筋のことをハムストリングス(Hamstrings)というように、本来であればハムと称するものであれば腿肉が使われるべきである。そういう意味では豚肩肉が使われているタッソハムはハムであるとは言えない。しかし独特の加工を行いハムのように仕上げることでタッソハムと呼ばれ、クレオール料理やケイジャン料理には欠かせない加工肉となっている。
つくり方は、まず豚肩肉をスライスにしてから塩漬けにする。その後、カイエンヌペッパーやニンニクといったスパイスを全体にまぶす。これを完全に内部まで熱が十分に通るまで燻製して完成となる。ガンボにはアンドゥイユやタッソハムといった燻製加工肉が入ることで燻製香が付くことになるが、こうした加工肉もガンボに特有の風味を与えることに一役買っている。


ルー(Roux)


ガンボは「とろみ」があることも大きな特徴である。よってそうしたとろみを出すためにガンボにはルー(Roux)が加えられている。クレオール料理は、本国のフランス料理の料理原理(ストック、ソース、ルー)を応用した構成になっているが、そのための食材は地元産で代用されている。それに伴いクレオール料理のルーは本国フランスのものとは異なる特徴をもつようになった。

フランスや他のヨーロッパの伝統的料理は、料理に豊かな風味と香りを与えるために肉と香味野菜から取られる出汁、つまりブイヨン(仏: Bouillon)を用いる。ブイヨンは英語でブロス(Broth)あるいはスープストック(soup stock)と言い、イタリア語ではブロード(Brodo)と呼ばれている。ブイヨンがソースやスープや煮込み料理に欠かすことが出来ない味の基盤であることは、この言葉が「foundation」を語源としていることからも明らかで、通常、このブイヨンにルーや調味料を加えることでソースはつくられている。

さてクレオール料理の特徴はそのルーの調理方法にある。クレオール料理のルーは、バターを鍋で熱して溶かし、それに同量の小麦粉を加え、とろみと香ばしさが出るまで加熱しながらかき混ぜてつくられる。よってクレオール料理のルーは、バターを用い、焦げないように浅く炒めることからブロンド色をしているのが特徴である。

クレオールガンボ

クレオールガンボ


これに対してケイジャン料理のルーは、ラードあるいは食用油に同量の小麦粉を加えてつくられている。なぜクレオール料理のようにバターを使わないのかと言うと、ケイジャン料理は油と小麦を中火でゆっくりと長い時間をかけて煮てダークブラウンの濃い色のルーにするためである。深く炒めるとバターは焦げてしまうことになり、これを避けるためにラードか食用油が選ばれている。しかもこうすることでより濃くこってりとした味わいのルーとなるため、ケイジャン料理はこうしたダークブラウンのルーを他の料理のベースとしても良く用いる。これがクレオール料理とケイジャン料理のガンボの大きな違いである。

ケイジャンガンボ

ケイジャンガンボ


こうしたルーの違いによってクレオール料理のガンボは明るいブロンド色の仕上がりとなるが、ケイジャン料理のガンボは深いダークブラウンの色合いになる。よってクレオール料理のガンボと、ケイジャン料理のガンボを見分ける簡単な方法は色の違いである。しかし根本的にこの色の違いの理由というものが、バターを使っているか、あるいは食用油を使っているかにあるので、むしろ使っている油の方を主要なそれぞれの違いとして認識しておくべきだろう。


オクラ(Okura)


ルーによってガンボにはとろみがあるが、それに加えてクレオール料理のガンボではオクラを加えることでとろみを付ける。オクラはかなり粘性のある野菜なので、これを加えることでガンボにとろみをもたせることが出来る。こうしたとろみがあることもガンボを他の料理にはない個性的なものにしているようにも思える。

オクラ

オクラ(Okura)


先にも述べたようにガンボとはオクラを意味する言葉であり、そのオクラはアフリカを原産とする野菜である。実際にアフリカにはオクラを使った料理が多くあって良く食べられている。そのことを個人的な経験から説明してみることにしたい。

かつてわたしがイギリスに住んでいた時に、ナイジェリア人の友人のジェフ・ウカチュク(Jeff Ukachukwu)に招かれて料理をご馳走になったことがあるが、その時に出された料理がエバ(Eba)とオクラスープという料理だった。エバとは乾燥したキャッサバ粉を発酵させ、これにお湯を加えて餅状にしたものである。調べてみるとナイジェリア南部のイボ人はこれにパーム油を混ぜた黄色いエバを食べるようで、彼が出してくれたエバにはパーム油が入っていた。Facebookで彼の出身地を確認するとアバ(Aba)とあり、アバは特にイボ人が住んでいるエリアなので地元で食べていたパーム油入りのエバを出してきたのだろう(今頃分かったがウカチュクはイボ人だったのである)。しかし日本人にとって食用にパーム油を使うのはあまり一般的でない。パーム油といえば日本では洗剤に使われているので、パーム油の味というか風味がどうしても洗剤を思い出させるために最初は味に違和感があった。

エバは大きな球状にまとめて出され、これを各自が指で少量つまんで握りながら食べやすい形にまとめて、これをオクラスープ等に付けて食べる。このようなナイジェリア料理を現地で食べた日本人の体験談をネットで見てみると、餅のようなナイジェリアの食べ物は総称してスワロと呼ばれていると書かれている。これはどうも英語の「Swallow」、つまり喉越し良く飲み込めるものという意味であるらしい。わたしも最初、出されたエバを口のなかで噛んで食べていたのだが、「そうじゃなくてスワロ(Swallow)するんだ」と同じようなことを言われたのを今でも思い出す。エバは噛まずに喉越し良くスポンと飲み込まなければならないのである。最初は塊を噛まずになかなかスポンと飲み込めなかったが、コツをつかむと簡単に飲み込めるようになった。しかも粘りのあるオクラスープに浸してエバを飲み込むので、喉越しは抜群である。飲み込んでいると、この食べ方では料理の味が全く分からないじゃないか?とふと思ったが、パーム油の風味を苦手に感じていたわたしには渡りに船だったと記憶している。

ナイジェリア料理のエバ(Eba)

ナイジェリア料理:オクラスープとエバ


だがよく考えてみると、日本人も蕎麦通は噛まずにぐいぐいと飲み込んで、喉を通過するところで蕎麦の風味や香りを味わっているではないか。しかも蕎麦にも粘性がある。こうした蕎麦の食べ方と、ナイジェリア料理のスワロを喉で味わうということには何か共通するところがあるのかもしれない。

恥ずかしながら、実はこの時までわたしはオクラを日本の野菜だと思い込んでいた。オクラを小倉のような日本的響きに重ねていて、これを勝手に日本野菜だとすっかり信じ込んでいたのである。オクラがアフリカの野菜だということは、この時のナイジェリア人のウカチュクの料理体験と共に教えられて始めて知ったのである。今思えばこれは非常に貴重な体験であり、忘れられない記憶である。

さて現代のトーゴ、ベナン、およびナイジェリア西部の海岸地帯は「奴隷海岸:Slave Coast」と呼ばれ、ここから出発した多くの黒人奴隷たちがアメリカに連れてこられた。よってここからアメリカや西インドに渡ったアフリカ人奴隷たちが、オクラを料理に使って食べるようになったと考えても何らおかしくない。実際にわたしもナイジェリア人の料理を体験して理解したように、アフリカ西部ではオクラが本当に良く食べられているのである。こうしたオクラ料理が原型としてアフリカにあり、やがてオクラは黒人奴隷を通してアメリカ南部料理の定番食材になったのだろう。もともとガンボとはオクラの意味であるが、これが逆転していつの間にか料理名そのものになってしまったようである。こうした点から考えると、実はオクラのガンボに占める存在は非常に大きいものであることが理解できる。


フィレ・パウダー(Filé powder)


フィレパウダーとは、サッサフラス(sassafras)の葉や茎を乾燥させて挽いたもので、ガンボに濃度を付けるために使われる。このサッサフラスの葉を最初に用い始めたのはアメリカ南部に住んでいたネイティブアメリカンのチョクトー族である。これを後から入植してきたケイジャンたちが学び同じく料理に使うようになった。

Filé powder

Filé powder


ガンボという名前は諸説あって、最初にオクラ(Gumbo)由来であるという説を紹介したが、他にもチョクトー族の言葉でフィレを意味する「kombo」に由来しているという説がある。こうした見方をしている学者はガンボそのものもネイティブアメリカンに由来する料理だと考えている。

そもそもガンボの由来には、アフリカ、フランス、ネイティブアメリカンの3つの説が存在している。アフリカ説はオクラが使われていることを理由としており、フランス説はルーが使われブイヤベースのような料理が下地にあること、そしてネイティブアメリカン説はフィレ・パウダーを用いていることを根拠としているのである。確かにガンボという料理の構成要素を見ると、どの由来の要素も入っており、しかも混然一体となっている。つまりこれらが上手くミックスされてひとつの料理になっている、それがガンボなのである。

しかしガンボはやはりアフリカから持ち込まれたオクラやその調理方法に由来すると考えるべきである。黒人奴隷がオクラや調理方法を持ち込み、新大陸に入植したフランス人の食文化と融合したことがガンボの始まりでなのである。ガンボの由来を考える際には、まずはここを見誤らないことが大事である。

よってフランスのブイヤベースに由来するという見方は誤りである。なぜならブイヤベースは、まず濃厚なスープを作り、そこに骨付きの魚や貝を少しずつ加えていくシーフード料理だからである。ブイヤベースはガンボと違い、数種類の魚を煮込むことでスープに複雑さと旨味を加える料理であり、これに肉が加えられることは絶対にない。これに対してガンボはその始まりは野菜(オクラ)を主とした料理であることが19世紀の料理書(メアリー・ランドルフの料理本)から確認できる。やがてこれに鶏肉やソーセージが加えられるようになり、牡蠣やエビなどの貝類が使われるようになったのはもっと後の時代になってからである。こうしたガンボという料理が成立したプロセスをきちんと理解すると、ブイヤベースに由来するという説は全くの誤りであるということが分かるだろう。

さらにガンボがネイティブアメリカンに由来するという説も誤りである。そのことは18世紀から19世紀にかけて、オクラを使った料理は「gombo」または「gumbo」と何度も呼ばれているが、これに対してガンボがフィレを意味する「kombo」と呼ばれた例はひとつも存在していないことからも明らかである。この事はやはりガンボという料理がオクラ(gumbo)由来のものであって、フィレパウダーに由来するものではないということを意味している。

そもそもフィレパウダーは、南部に入植したケイジャンたちが、チョクトー族から学んで使い始めたものである。昔からチョクトー族はフィレパウダーをスープなどに入れて食べていたようで、ここからガンボのような料理にもフィレパウダーは入れられるようになったと考えられている。だがケイジャンたちがルイジアナ南部に入植したのは、クレオールや、黒人奴隷よりも後の時代になってからである。ここからしてもフィレパウダーをもってしてガンボの由来をネイティブアメリカンに求めることは誤りであると言えるだろう。

こうした経緯が表すように、とろみのつけかたはクレオール料理とケイジャン料理では異なっている。つまりクレオール料理では主にオクラを用いてとろみを付けるのであるが、ケイジャン料理の場合はオクラを用いずにフィレパウダーを加えることでとろみを付けるのである。しかしクレオール料理だからフィレパウダーは用いない、あるいはケイジャン料理だからオクラは絶対に用いないという訳ではなく、あくまでも全体的な傾向として、とろみの付け方が双方の料理で基本的に異なっているという感じで捉えておくぐらいで良さそうである。

フィレパウダーを入れるタイミングであるが、これは鍋を火からおろして提供する直前に入れることになっている。つまりこのフィレパウダーを入れてからガンボを煮込むようなことはしない。これはフィレパウダーの効果があくまでもとろみを付けることであって、加熱し過ぎることでとろみを強すぎないようにするためだろう。またテーブルにフィレパウダーが置いてあり食べる前にこれを混ぜて食べられることもある。いずれにしてもガンボには適度なとろみがあることが絶対に必要なのである。


トマト


クレオール料理のガンボにはトマトが入るが、ケイジャン料理のガンボにはトマトは入らない。ここが双方のガンボのつくりかたの大きな違いである。なぜクレオール料理の方にはトマトが使われているのかと言うと、ニューオリンズに入ったクレオールの人々は、西インドを経由してルイジアナに入ったフランス系白人と混血有色人種、それに加えて黒人奴隷たちであり、彼らが積極的にトマトを料理に用いていたからである。

それに対してアメリカ大陸北部(カナダ)に最初に入ったケイジャンたちは、トマトになじみがなく料理にトマトを使うことは無かった。さらに西のニューオリンズを中心とした地域には黒人が多かったが、ケイジャンたちが入った東南部には黒人は少なかったのである。これはクレオールがプランテーションを経営し、黒人奴隷の労働によって作物を生産していたのに対して、ケイジャンは奴隷ではなく自身が労働者となって農業に従事していたことが理由である。ここから考えると、黒人の比率がトマトを料理で用いることに比例していることが理解できる。

そもそも昔はトマトには毒があると考えられており、17世紀になるまでヨーロッパではあまり食べられる野菜ではなかった。しかし西インドに入植したフランス人が、この地域の住民、さらにはアフリカから来た奴隷たちの食文化に触れることで料理に頻繁に用るようになった。さらにハイチ革命によってクレオールたちが西インドからニューオリンズに移動したことで、トマトを料理に用いる食文化がルイジアナ(ニューオリンズ)に伝えられることになったのである。

ミシシッピ大学を母体とするSouthern Foodways Allianceという組織の記事「A short story of gumbo」には、個人の経験であるとしながらも「バイユー・ラフォーシュの東側では、西側よりもトマトを含むガンボがよく見られる。オクラのガンボにトマトを入れるのは賛成だが、オクラの入っていないガンボにトマトを入れるのは反対である」と述べている。

これは個人の見解ではあるが、ガンボに良く見られる傾向を示唆するものとなっているように思える。つまりこの記事からするとバイユー・ラフォーシュの東側(ニューオリンズを含む地域)ではトマトがガンボに入っており、しかもオクラとトマトは一緒にガンボに入っているということになる。これは言い換えるとクレオール料理とケイジャン料理のガンボの違いでもある。先にとろみ付のためにクレオール料理では主にオクラが用いられることは述べたが、さらにこれにトマトが加えられているのがクレオール料理のスタイルなのである。

1824年に出版されたメアリー・ランドルフ『The Virginia Housewife』には、西インド料理として「オクラのガンボ」、さらにその直前に「オクラとトマトの煮込み」のレシピが記載されている。ここからしてもガンボの初期の形態は、オクラを中心としたものでトマトが加えられていたことが理解できるのではないだろうか。そしてそれが西インドの料理に由来するものであるという事からも、ガンボはアフリカ黒人の影響を受けたクレオール料理だったということが明らかになってくるのである。


クレオールとケイジャン


ここまででガンボという料理がどのような料理であるのかを考察してきたが、ガンボは「クレール料理」と「ケイジャン料理」を代表する一皿であることを理解いただけたと思う。さらに同じガンボであっても作り方や素材が多少異なっていることも重要なポイントである。

こうした違いの根底には、クレオールとケイジャンの人々がどのような経路を経てルイジアナに到達したかということが関係しており、同じ料理名であっても、そこには見過ごすことの出来ない大きなギャップがあるということを喚起しておきたい。以下、その違いを表にまとめておく。


ルーの油


とろみ


トマト


クレオールガンボ

ケイジャンガンボ


バター

ラード,調理油


オクラ

フィレパウダー







同じガンボであるが、その根底にある歴史もアプローチの仕方もクレオールとケイジャンでは異なっている。一見すると些細な違いかもしれないが、その由来から紐解くと、これは重要な違いであると見なすべきだろう。しかし1980年代にケイジャン料理がテクス・メクス料理などと共にアメリカ南部の料理として流行すると、クレオール料理のレストランがケイジャン料理のレストランに看板を付け替えた為にその混濁がより進んでしまったように思える。これが良いことか悪いことかは一概に言いかねるが、そもそもガンボと言う料理が、様々な食文化を貪欲に吸収・混濁して食べられてきた料理であることを考えると、これからもガンボという料理が様々なスタイルに変化することを否定することは出来ないのかもしれない。

ネットフリックスの番組の「アグリー・デリシャス:Ugly Delicious」シーズン1の第4話では、アメリカ南部で良く用いられる食材のクレイフィッシュ(ザリガニ)を軸に話を展開させている。アメリカ南部のテキサス州ヒューストンではベトナム系のレストランが人気であり、クレイフィッシュをつかった「ベトナム風ケイジャン料理」が流行していることが取り上げられている。これに対してニューオリンズではクレイフィッシュは茹でる調理法しかしないという保守的なスタイルが守られていることが語られていた。ヒューストンでベトナムフュージョンが流行している原因は、1970年代にベトナム難民になった人々が移民となってアメリカに移り住み、この地域でベトナム人が漁師になったりレストランを経営し始めるようになったからである。移民と食は深いところで関係しているのである。

実はアグリー・デリシャスという番組は、人種のアイデンティティに料理が関係していること、他の人種が食べているものを他の人種が差別的に見ていることや、移民という存在がどのように料理に関係しているかを明らかにしている秀逸な内容の番組である。プレゼンテーターであるデイビット・チャン自身も韓国系アメリカ人であり、この番組の根底に流れている、食と人種と移民そして料理がどのようにそれに伴い変化しているのかに対する視点は非常に興味深いテーマである。

ガンボという料理は、過去に正にそれと同様の変遷をたどってきた料理であり、何か特定の要素をもって、それをガンボの正統とすることや、かたくなにレシピを守り、それを守らないものを邪道として排除するような行為は、ガンボの成立してきたそもそものプロセスから考えるとナンセンスであるようにも思える。なぜならそもそも邪道とも言うべきあらゆる料理文化がマッシュアップして生まれた料理がガンボだからである。そういう観点からしても今後のガンボがどのようになってゆくのかは、わたしにとって非常に興味深いところである。


クレオール料理の本


ここからは「クレール料理」に関する書籍を取り上げて、クレオール料理の歴史がどのようなものであったのかを明らかにしてみたい。ここで取り上げる本は1885年に出版された『La Cuisine Creole』と、1900年に出版された『The Picayune's Creole Cook Book』の二冊である。共に100年以上前の料理本であるが、ここからクレオール料理の原型のようなものを理解することが出来るに違いない。


『La Cuisine Creole』

1885年に出版された料理書『La Cuisine Creole』は名前の通り、クレオール料理の本である。作者はニューオリンズで新聞記者だったラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn:1850-1904)である。ラフカディオ・ハーンは後に日本に渡り1896年に日本人に帰化して小泉八雲となり『怪談』などを著すことになる。

La Cuisine Creole

『La Cuisine Creole』
ラフカディオ・ハーン著


小泉八雲はギリシャ生まれのイギリス人であったが、アイルランド、フランス、アメリカ合衆国、西インド諸島、日本と各地を転々として生涯を送った。19歳のとき米国に移住し新聞記者となり、最初はシンシナティで仕事をしていたが、その後ニューオリンズに移住して、35歳頃の時期に書いたのが『La Cuisine Creole』である。

『La Cuisine Creole』のサブタイトルには「A Collection of Culinary Recipes, From Leading Chefs and Noted Creole Housewives, Who Have Made New Orleans Famous for its Cuisine」とある。つまりこれらのクレオール料理のレシピは有名シェフたちや、一般家庭の主婦たちから収集したということである。
1998年にジョナサン・コット(Jonathan Cott)が書いたラフカディオ・ハーンの伝記『Wandering Ghost: The Odyssey of Lafcadio Hearn』を読んでゆくと、P164に友人(Dr. Rudolph Matas)のスパニッシュ系クレオールの妻に料理を教えてもらったことがに書かれており、これらのレシピが確かにクレオールの人々からの聞き取りによって記録されたことが分かる。

しかし新聞記者であったラフカディオ・ハーンがなぜ料理本を書くことになったのだろうか。その背景にあったのは1884年にニューオリンズで開かれた万国博覧会である。その開催に合わせてこの出版・販売が行われニューオリンズのクレオール料理も紹介されることになったというのが出版の経緯である。この本は評判が良くその後も版を重ね、当時のクレオールの人々が実際にどのような料理を食べていたのかを知るのに貴重な情報源として現在まで伝えられている。

他にも1878から1880にかけてラフカディオ・ハーンが書いたクレオールの人々についての版画や記事が、ニューオリンズの新聞「New Orleans Daily Item」に掲載されている。後にこれらの記事はまとめられ『Creole Sketches』として出版された。そこには当時のニューオリンズに住む人々の生活が生き生きと描き出されており、クレオール料理の『La Cuisine Creole』と合わせて読むことで当時のニューオリンズの様子を感じ取ることが出来る。ラフカディオ・ハーンは文化人類学者が行うようなフィールドワークの視点を持ちながらニューオリンズを観察し続けた人物でもあったのだ。

また『La Cuisine Creole』は、単なる料理本というだけでなく、料理を通してニューオリンズという都市の性格が巧みに描き出されているという意味でも貴重な書である。こうした料理本をアメリカで書いた人物が、後年に日本にやってきて『怪談』などの日本特有の物語を通して、日本という国そのものを描き出したのである。こうした表現方法はラフカディオ・ハーンの文筆家としての才能によるものであったことは間違いないと言えるだろう。

フカディオ・ハーン

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)



クレオールの人々の描写


クレオールの人々について語るにおいて、まずは始めに文筆家としてのラフカディオ・ハーンの才能が遺憾なく発揮された秀逸な文章、「A Creole Courtyard:クレオールの中庭」の全文を以下に引用しておきたい。

【 クレオールの中庭 】 真崎義博 訳
かつては裕福な入植者のものだったというその古い家には、落ち着きと静かな幸福が漂っているように思えた。クレオールふうの家の多くがそうであるように、外観は平凡で地味な感じだった。アーチ型の玄関の大きな緑色の扉は閉ざされていた。張り出し窓の緑色のよろい戸も、下の賑やかな通りや紺碧の空をゆったりと流れる綿雲を物憂げに眺める眠たそうな目のように、なかば閉じていた。しかし、門の向こうには小さな楽園があった。奥行きも幅もある大きな中庭は、熱帯の緑で縁どられていた。ポーチの白色い支柱には蔦がからまり、塗り壁を這う蔓植物が、燃えるように赤い花の目で上の窓から屋内をのぞきこんでいる。庭のいちばん奥では、バナナの樹が眠たげにエメラルドグリーンの葉を垂らし、食堂の窓を覆う蔦が、戸口を訪れる者を歓待するように会釈していた。甘い果実の重みにねじれた腕を震わせるイチジクの古木は、中央に天然の絨毯をかたちづくっている明るい芝生に影を落としていた。小道沿いに一定の間隔をおいて並ぶ大きな陶器の花瓶には、棘のある幻想的な葉を持つ華麗な広葉樹が植えられ、ハチドリのように艶やかな花を咲かせていて、原始的な番小屋の番人といった風情だった。西側のポーチの入口近くでは、噴水がささやくようにかすかな音をたてていた。イチジクの木の陰から、あだっぽい鳩の甘くもの悲しい鳴き声が聞こえた。外では綿の荷車の音が響き、路面電車のベルが鳴っていたかもしれない。ただ、それは厳しい外界のこだまにすぎず、静かで心地よいなかの世界では、古風で善良な人々が年代物の椅子にすわり、別の時代のことばを語り、この世俗的な時代では忘れられた風変わりで高潔な礼儀の数々を守っていた。外界では鉄の時代がうなりをあげ、アメリカの交通の波が渦巻いても、なかでは、物憂げな噴水のささやきや、パリやマドリッドの言語で交わされる深い音楽的な話し声、黒髪の子供たちが甘く母音の多いクレオール語で交わす舌足らずの陽気なおしゃべり、そして、そのすべてを伴奏する鳩の愛撫するような鳴き声しか聞こえなかった。外界は1879年であっても。なかはスペイン支配の時代だった。噴水のそばの錆びたベンチには置き忘れたギターがあり、その傍らには絹の扇が転がっていた。戸口に置かれた揺り椅子の背には優雅なエッチングが載った欧州の雑誌が立てかけられ、戸口の奥をのぞくと、上等のボルドーの壜が並ぶ雪のように白い食卓を見え、西インドの芳醇な煙草の匂いがした。それでも、けっして運河通りを渡ろうとしない人々の存在を不思議に思う人々もいるのだ。


この文章を読んでまず最初にわたしはフランス人文学者のジェラール・ド・ネルヴァル(Gérard de Nerval:1808-1855)を強く感じさせられたことを正直に告げておきたい。そしてこの文章からラフカディオ・ハーンの、日本ではまだあまり知られていない(紹介されていないと思われる)深い才能の別の側面に始めて気付かされることになった。そして思ったことは「日本人の我々は、いまだ本当のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)像なるものを十分に理解しきれていないのではないか」ということであった。この文章を読んで、今までのわたしのラフカディオ・ハーン像、特に小泉八雲としての人物像に対する認識に大きな修正が求められることになったのである。

当時のラフカディオ・ハーンは新聞社でフランス文学に関する書評を書いたり、テオフィル・ゴーティエ(Théophile Gautier:1811-1872)の翻訳を行い、文筆家としての高い評価を得ていた。つまりアメリカでのラフカディオ・ハーンは、フランス文学に精通した、また同時にそうした感覚や感性を持つ文学的にも秀でた人物として知られていたのである。
そのゴーティエは、リセの上級生だったネルヴァルの影響で詩作にも励むようになったとされている。ここから互いは文学者として影響を及ぼし合う関係であったことが推測される。実際のところラフカディオ・ハーンの作品に対するネルヴァルの影響はあまり指摘されることはないが、このようなゴーティエとネルヴァルのつながりから考えると、彼らがラフカディオ・ハーンの文章に与えた影響には大きなものがあったのではないかとわたしは考えている。

ネルヴァルはシリアを旅行中にドゥルーズ派の密儀を授けられ、神秘主義、象徴主義、錬金術的なものの影響も受けた文学者である。それはラフカディオ・ハーンがニューオリンズに住んでいる時にブードゥー教に関心を持つようになったことに通底しているようにも思える。わたしがラフカディオ・ハーンとネルヴァルが近しい感性にあると考えるのは、こうしたこともその理由のひとつとして指摘しておきたい。特にこの「クレオールの中庭」について言えば、これにネルヴァル的なものを強く感じさせられ大きな感銘を受けた。さらにこれだけの短い文章で、これほどまでにクレオールの人々の生活とその価値観、さらにその本質までも切り取っていることは、間違いなくラフカディオ・ハーンの卓越した文章力によるものであると言える。


クレオールの中庭の詳細


ここで再び「クレオールの中庭」の内容に話を戻そう。まずこの英語で書かれた文章は全体的に過去形であって、それがクレオールの人々の生活が伝統的であること、さらにはそれがクレオールの人々の前時代的な儀礼を守る価値観を表現していることに寄与している。また「外では綿の荷車の音が響き、路面電車のベルが鳴っていたかもしれない」という一文には「might」が用いられているが、これも建物の内側の人々にとっては外界がおぼろげで、彼らの住む世界が隔絶された別世界であるかのような効果を与えているように思う。

そもそも中庭についての描写であるということ自体が、クレオールの人々が住んでいるフレンチ・クオーターのスペイン風建築の特徴を如実に表している。スペインの建築は、強い日差しを避けるため建物を密集することで通りに影をつくるように配置される。同時に建物のなかに中庭(パティオ)を設けることで通気性を良くし熱を逃がすと共に、影のある中庭で外の開放感が得られるようになっているのである。この中庭には噴水がつくられ、そこで食事をするためのスペースも設けられている。このような建築様式は、ニューオリンズがスペイン植民地下にあった時代に建てられた建物に顕著に見られ、現在でも残されているこうしたスペイン統治下の建物はフレンチ・クオーターを特徴付けるものとなっている。

フレンチ・クオーター

フレンチ・クオーターにある中庭


またラフカディオ・ハーンは建物の窓や扉、さらには日よけの鎧戸についても言及していて、それが当時のフレンチ・クオーターにあったけだるい夏の暑さや倦怠のようなものを描き出すのに一役買っている。また蔦やイチジクやバナナといった中庭に生えている植物もフレンチ・クオーターという文化が混合した場所のエキゾチックさを上手く描き出すのに効果的であり、それがあたかもマーティン・デニー(Martin Denny)の音楽を聴いているような印象をわたしに懐かせてくれる。ちなみにわたしはこうした中庭の描写からは、1889年にモーリス・メーテルリンク(Maurice Maeterlinck)が出版した詩集の『温室』(仏:Serres chaudes)も起想させられた。物憂げな人工楽園のようなデカダンスに満ちた空間としての中庭の描写に、メーテルリンクの温室は非常によくオーバーラップする。

さらに描写に戻ってみたい。ここで二度言及される鳩の鳴き声は明らかにクレオール語を象徴するものである。ラフカディオ・ハーンはクレオールの人々の話す言葉が「古風で善良な人々が年代物の椅子にすわり別の時代のことばを語り」、さらに「物憂げな子供たちが甘く母音の多いクレオール語」と述べている。言葉の意味は分からないものの、独特で特徴ある響きのあるクレオール語が「あだっぽい鳩の甘くもの悲しい鳴き声」,「鳩の愛撫するような鳴き声」に対応して描写されているのである。 こうした濃密で芳醇なエキゾチシズムな中庭という空間とそこに居る人々の姿見えぬ片鱗だけを描写することで、ラフカディオ・ハーンは巧みにクレオールの人々の生活を伝えるだけでなく、彼らの気質のようなものも伝えようとしているのである。

クレオール語で陽気なおしゃべりをする子供が黒髪であることにも注目すべきだろう。これはそれらクレオールの子供たちに黒人の血が入っていることの指摘であり、クレオールの人々がどのような人々で構成されていたかを間接的に表現している。先にクワドルーンという有色自由人についても言及したが、そうした白人と黒人の混血が進むことで、クレオール人は独特の言語体系や各地の習慣が融合した独自の文化をつくりあげていたのである。

最後の一文でラフカディオ・ハーンは「けっして運河通りを渡ろうとしない人々」の存在を挙げている。そのような人々とはフレンチ・クオーターの中庭のある家に住む保守的なクレオール人たちである。運河通りというのは「Canal Street」というフレンチ・クオーターの南側の大通りで、この道は境界でこれを越えた南側は後の時代にアメリカ人によって建てられた市街エリアになる。つまり「運河通り:Canal Street」を越えない人々というのはクレオール語の通じるフレンチ・クオーターのエリアからは外には出ない人々のことであり、引いては古風な習慣や儀礼を守る保守的なクレオール人のことを意味しているのである。

実はラフカディオ・ハーンはこうした保守的な白人のクレオールの人々には馴染めない壁を感じていたようである。新聞に掲載された「That Parlour」という記事ではここではクレオールに招かれて通されるパーラーと呼ばれる応接室に対する嫌悪感が語られているが、その実、この嫌悪感は白人クレオールの人々にラフカディオ・ハーンが感じている感情そのものなのである。 現在でもラフカディオ・ハーンが住んでいた家が156 S Robertson St, New Orleansに残されているが、ここは Canal Street を越えた一本南側の Cleaveland Avenue 沿いであり、正にフレンチ・クオーターに近ず離れずと言った微妙な距離感の場所である。こうした家の位置からもクレオール文化に深い関心を寄せながらも、そこに何となく居心地の悪さを感じていたラフカディオ・ハーンの心境が読み解けそうである。ちなみにラフカディオ・ハーンの家から「運河通り:Canal Street」を越えて直ぐの場所は、当時はまだ健在で営業していたストーリーヴィル (Storyville) である。


クレオール料理(ガンボ)


では実際にラフカディオ・ハーンが『La Cuisine Creole』で記したレシピの幾つかを紐解いてゆきたい。まずはガンボがどのようなレシピになっているのかを確認する。ガンボという料理は様々なスペルで記されることがあり混乱させられることが多いのだが、ラフカディオ・ハーンもご多分に漏れずガンボを「gombo」という現代とは異なるスペルで記している。『La Cuisine Creole』には9種類のガンボのレシピが掲載されているので以下に記しておく。


Remarks on Gombo of Okura or Filee

【 オクラガンボ、あるいはフィレガンボに関する注釈 】
このスープは冷めた鶏肉、七面鳥、狩猟肉、その他の肉のローストの残りを使い切るための経済的に優れた調理法である。鶏肉、肉、その他の材料を切って味付けし、鍋で薄茶色に炒め、肉の量に応じた熱湯を加える。肉または鶏肉(骨も含めて)2ポンド(約1kg)、それにハム0.5ポンド(約250g)、またはベーコン1ポンド(約500g)で1ガロン(3.7ℓ)のスープになり、これを煮詰めると6人分のガンボが出来上がる。沸騰したお湯を肉に加えたら、少なくとも2時間は煮込む。大骨を取り、オクラか、サッサフラスの葉を乾燥させて粉末にしたフィレと呼ばれる調味料を加える。これがガンボの違いになる。6人分のガンボには、スライスしたオクラを1クォート、フィレパウダーを使う場合は、コーヒーカップ1杯分を入れる。どちらを使っても、このスープに望ましいとろみが付くことになる。これに牡蠣、カニ、エビなどを旬の時期に入れるとより美味しくなる。ガンボは決して濾してはいけない。お好みでグリーンコーンやトマトなどを加えても良い。ガンボは通常は炊いたご飯を添えて提供される。


ガンボにオクラでとろみを付けるか、フィレパウダーでとろみをつけるかを選ぶようになっている。現代でもそうだが、オクラとフィレパウダーを併用して用いないところは百数十年前から同じということになる。クレオール料理のガンボにはトマトが加えられる傾向にあるが、このレシピでは必ずしも入れなくても良く、お好みで加えるというスタイルになっている。


Gombo with Crabs, or Shrimp

【 蟹あるいは海老のガンボ 】
牛肉1ポンド(約500g)とハム0.5ポンド(約250g)を両方とも1センチ幅に切り、大さじ2杯の沸騰したラードでこんがりと焼く。これに切り分けた大きなカニ4匹、またはむきエビ1ポンド(約500g)、または好みで両方を加え、小さなオクラを4ダースと大きなタマネギ1個、赤唐辛子少々と塩で味付けする。その後、鍋に具材が2インチ(5cm)ほど隠れるくらいのぬるま湯を加えて2時間煮る。もし濃くなりすぎたら、必要なだけ水を足す。牛肉の代わりに鶏肉を使っても良い。


現代で云うところのシーフードガンボのレシピである。ルーの作り方が現在のクレオールガンボのようにバターではなく、ケイジャンスタイルのラードで作られていることや、トマトが入っていないところが気になる。とろみはオクラで付けてあり、クレオールスタイルとケイジャンスタイルが混合している感がある。


Simple Okura Gombo

【 シンプルなオクラガンボ 】
牛肉1ポンド(約500g)と子牛の胸肉0.5ポンド(約250g)を1インチ(2.5cm)の厚さの正方形に切り、オクラを3ダース、タマネギ1個、赤唐辛子1さやをスライスして、全部を一緒にして炒める。焼き色がついたら半ガロン(約2ℓ)の水を注ぎ、沸騰したらまた足す。通常通りご飯と一緒に提供する。


確かにシンプルで作りやすい。ルーが使われておらず、現代のガンボでは必須とされる聖なる三位一体(玉ねぎ、セロリ、ピーマン)すら使われていない。シンプルでクラシカルなガンボのレシピと言えるだろう。


Oyster Gombo with Filee, No.1

【 オイスター・フィレガンボ No.1 】
鶏肉1羽、牡蠣50個、ハム1/2ポンド(約250g)を用意しガンボに風味をつける。玉ねぎ2個を細かく切り、ラードで炒め、小麦粉でとろみをつける。鶏肉とハムを切り、玉ねぎと一緒に炒める。その後、1パイント(約500ml)の沸騰したお湯を入れ、鶏肉がほとんど煮崩れるまで煮る。食事の30分前に、牡蠣と汁を入れる。食卓の準備ができたら、新鮮なサッサフラスの葉またはフィレパウダーを大さじ1杯取り、スープで少し濡らしてからスープの中でかき混ぜる。とろみが足りなければ、もうひと匙分を加える。スープにフィレを入れたらそのまま沸騰させず、火からおろしてすぐに提供する。


かなりの量の牡蠣が入るガンボである。このガンボにはハムが入るがこれはルイジアナ南部の特産品のタッソハムのことか、あるいはソーセージのアンデゥイユのことであると思われるが指定されていないのではっきりしない。


Gombo Filess with Oysters, No.2

【 オイスター・フィレガンボ No.2 】
大さじ1杯の小麦粉を大さじ1杯のラードで炒める。焦げ付かないようにゆっくり焼き色をつける。牡蠣2クォート分(約2ℓ)の汁を沸騰させ、沸騰したら切ったネギまたはタマネギ1カップ、ハム1枚、パセリ数本を入れ、茶色く炒めた小麦粉を混ぜ合わせる。これを15分ほど煮てから、2クォート(約2ℓ)の牡蠣を入れる。これを数分沸騰させてから塩と胡椒で味付けする。パセリを取り出し、乾燥させて叩いた新鮮なフィレパウダーを半カップ振りかける。新鮮でない場合は量を増やす。


こちらもラードを使うので、ケイジャンスタイルのルーの作り方に近い印象がある。パセリを入れて取り出すが、これは臭み消しのような目的であると考えられる。


Chicken Gombo with Oysters

【 オイスター入りチキンガンボ 】
若鶏1羽、または親鶏を半身に切り分け、塩、胡椒、小麦粉でまぶしてラードでフリカッセのようにこんがりと揚げる。新鮮なオクラ1クォートを切って、同じラードで炒める。よく焼き色がついたら鶏肉を鍋に戻して煮る。ハムのスライス1枚を加える。このガンボは1/4ポンドが適量である。鶏肉、ハム、オクラの上に、1/2ガロンの熱湯を注ぎ、3パイント(約1.5ℓ)になるまで沸騰させる。食べる10分前に2ダースの牡蠣とその汁1/2パイントを沸騰させた鍋に加える。煮立ったらよく炊いたご飯と一緒に提供する。


鶏を揚げてから加えるという方法は珍しい調理方法である。牡蠣は煮すぎないように食べる直前に入れて火を通すという方法が取られているが、同時代のレシピをみるとこうした方法がどのレシピにも共通して用いられている。


Maigre Oyster Gombo

【 肉無しのオイスターガンボ 】
牡蠣100個とその汁、タマネギ大1個を用意し、熱したラードにタマネギをスライスして入れ茶色に色付くように焼き、これに小麦粉大さじ1杯と赤トウガラシを加える。十分に濃くなったら牡蠣を入れ20分ほど煮る。バター大さじ1杯とフィレパウダーを大さじ1~2杯加え、火からおろしてライスと一緒に供する。


ニューオリンズはカトリックの都市である。よって金曜日などの宗教的な肉断ちの日に食べられたのがこのようなガンボだったのだろう。魚介であれば肉断ちの期間中でも食べることが出来たので牡蠣が豊富に入れられている。現在はベジタリアン向けにGumbo Z'Herbesという野菜だけのガンボもあるが、当時はまだそのような需要はなかったのかもしれない。(少なくともラフカディオ・ハーンのレシピには野菜だけのガンボは記録されておらず、肉が入っていない場合は必ず魚介が代わりに入っている)


Maigre Shrimp Gombo for Lent

【 四旬節のための肉無しエビガンボ 】
エビ1パイントを1ℓの水で一度茹で、水気を切って冷ましておく。煮汁は後で使うので取っておく。オクラ3ダース、玉ねぎ2個、胡椒1個、パセリ少々を刻み、少量のラードまたはバターで茶色く色付くまで焼く。これにオクラとエビと先の茹で汁を加える。1時間ほど煮て、塩・胡椒で味を調える。エビやカニが手に入らないときは1~2時間水に浸して細かく刻んだ乾燥タラを0.5ポンド(250g)加えると良い。このガンボは少量の小麦粉でとろみをつける。好みの茶色になるように水を加えながら混ぜて調整し1時間煮込む。


こちらも宗教上の理由で肉を食べることが出来ないときのためのレシピである。先のレシピは牡蠣だったが、こちらはエビが使われている。エビもカニも手に入らない場合は乾燥タラを使うとあるが、これはスペインやポルトガルで食べられているバカリャウと同じものであろう。スペイン系クレオールもニューオリンズにはいたのでこうした食文化も同居していたものと考えられる。


Crab Gombo, with Okura

【 オクラと蟹のガンボ 】
大きめのカニを6杯用意し、冷水にしばらく浸けておく。冷めたら手足を切り落とし、生きたままの方が味が繊細になるので、きれいに洗って、ラード1カップ、切った玉ねぎ1カップ、パセリの小房、小麦粉大さじ2杯の入った鍋にカニを殻ごと入れて炒める。15分ほど煮込んでから、2パイントの熱湯と1クォートのスライスしたオクラを注ぎ、30分ほど静かに煮込んでから、赤身のハム1切れ、1クォートの上質の仔牛または牛肉のストック(2クォートの水で2ポンドの仔牛または牛肉を1クォートになるまで煮込んだ)を加える。小さじ1杯の塩と同じ量の黒コショウと唐辛子で味付けして30分煮込んで完成である。牡蠣の季節には、牛肉のブイヨンの代わりに牡蠣1クォートとその汁を2クォートを入れて作ることも出来る。


ブイヨンに牛肉を用い、蟹を具にしたガンボである。牡蠣を使う方法も記されているが、その方法だとかなり豪華なシーフードガンボとなる。このガンボにはオクラもフィレも加えられていないが、ブイヨンがかなり煮詰められてあるので、これを加えることでとろみを付けているようである。


『The Picayune's Creole Cook Book』


ピカユーン・クレオール・クックブックは、1900年から1985年の間に17版に亘って重版されたクレオールとケイジャンの料理本である。ニューオーリンズの新聞のタイムズ=ピカユーン(The Times-Picayune)によって発行されており、その著者は匿名になっていて書籍に名前が記されていない。しかし他の記事などから、ニューオリンズのフランス系クレオール出身で、タイムズ=ピカユーン紙の女性記者だったマリー・ルイーズ・ポインツ(Marie Louise Points)が作者だったと考えられている。

The Picayune Creole Cook Book

『The Picayune's Creole Cook Book』第2版 1901年刊


ピカユーン・クレオール・クックブックに掲載されているレシピは、合計すると2000以上が含まれることになる。このことはピカユーン・クレオール・クックブックが歴史ある料理書であり、また長年にわたり版を重ね続けてきたことを表している。1900年から1910年までに出版された初版から第4版までタイトルは『The Picayune's Creole Cook Book』であったが、第5版から『The Picayune Creole Cook Book』というタイトルに変更された。

初版から第4版までは、それまで白人家庭にお手伝いさんとして働き、料理を行ってきたアフリカ系アメリカ人女性が南北戦争後に奴隷が解放されたという背景のもとで書かれている。つまりこれによって白人女性が自身で料理をしなければならなくなり、そうした読者(白人女性)を対象にした料理方法がこの本では書かれているのである。しかし1916年出版の第5版ではレストラン経営者やプロの料理人が息子にそのレシピを伝えるという男性読者にその対象が変えられた。さらに1922年と1928年に出版された第6版と第7版では再び女性が読者対象となり、母から娘といった受け継がれるレシピとして書かれている。以下の確認できる幾つかのエディションを記しておく。

『The Picayune's Creole Cook Book』第2版 1901年刊
『The Picayune's Creole Cook Book』第4版 1910年刊
『The Picayune Creole Cook Book』第5版 1916年刊
『The Picayune Creole Cook Book』第6版 1922年刊


ガンボのレシピ


『The Picayune's Creole Cook Book』第4版には10種類のガンボのレシピが掲載されている。昔の料理本では、どのような料理素材がどの分量使われるか、作り方の文章中で述べられるのが普通だった。しかしこの本では素材と分量がまず始めに挙げられており。現代の料理書と同じような情報の提供の仕方で行われ始めたことも注目すべきところである。以下、同書に掲載されている10種類のガンボレシピを紹介しておくことにしたい。


Gumbo Filé

【 ガンボフィレ 】
 柔らかい鶏肉(大)1羽
 赤身のハム 大2枚または1ポンド
 バター テーブルスプーン2杯またはラード1オンス
 ベイリーフ1枚 パセリの小枝3本
 牡蠣 3ダース
 タマネギ大 1個 トリメの小枝 1本
 牡蠣の汁 2クォート
 沸騰したお湯 2クォート
 赤唐辛子(種なし)半鞘
 塩、胡椒、カイエンヌ 適宜

鶏肉をきれいに洗いフリカッセのように切り分け、塩と黒胡椒で味を調える。ハムはサイコロ状に切り、タマネギ、パセリ、タイムは細かく刻む。スープ用のケトルまたは深めのシチュー鍋にラードまたはバターを入れ、熱くなってからハムと鶏肉を入れ、蓋をして5~10分ほど炒める。その後タマネギ、パセリ、タイムを加え、焦げないように時々かき混ぜながら炒める。焼き色がついたら沸騰したお湯を加え、十分に加熱した牡蠣の汁を投入する。細かく刻んだローリエと、唐辛子のさや半分を加え、さらに1時間ほど煮込む。
夕食の準備がほぼ整ったら、新鮮な牡蠣を加える。ガンボをもう3分ほど火にかけてから鍋を火からおろす。ガンボにフィレパウダーを加えたら、決して温めてはいけない。大さじ2杯のフィレパウダーを取り、沸騰した熱いガンボ鍋に少しずつ入れ、ゆっくり完全に混ぜる。米は、粒がばらばらになるように別に茹で、蓋をして別の皿で食卓に出す。ガンボ1皿にライススプーン2杯程度を盛り付ける。
上記のレシピは6人家族用であるが、量は必要に応じて増やすことができる。ガンボは決して米と一緒に煮てはならない。また、ガンボを火にかけている間にフィレパウダーを加えてもならない。フィレパウダーを加えた後に煮るとガンボの粘質が強くなり過ぎてしまうからである。鶏が使えない家庭では、代わりに牛のモモ肉を代用すれば美味いガンボをつくることが出来る。


最初に記載されている、鶏肉を使った最も基本的なレシピである。現在のようにルー(Roux)が加えられていないが、当時の他のレシピでもルーを用いているものは非常に少ない。ガンボはフランスの影響が強いと考えられていることから、どのような種類のルーを用いるかがガンボ調理のポイントであるかのように言われているが、実際には過去のガンボレシピを見るとこの点はあまり重要視されていなかったことが分かる。

さらに野菜に関しては、現在のガンボでは欠かせないものとされている「聖なる三位一体」と呼ばれるセロリ、ピーマンが入っておらず(玉ねぎは入っている)、本来はこうした野菜の使用方法がフランス料理のミルポアの影響を昔から受けたものであるとする見方に対する疑問を感じさせるものとなっている。必ずしも昔からこうした香味野菜がガンボには欠かせない要素として入っていた訳ではなかったのである。

またニンニクもガンボには使われていない。19世紀頃はニンニクは下賤な食べ物であると考えられており、上流階級の人々はこれを食べなかったからと考えられる。さらに現在のクレオール料理のガンボで良く使われるトマトもこれに加えられていない。そしてとろみ付けがオクラではなく、フィレパウダーで行われているのも重要なポイントである。他のレシピでもフィレパウダーが使われているものが多いので以下にその割合を示しておく。

ガンボにとろみを付ける方法

ガンボにとろみを付ける方法


かつて、とろみはフィレパウダーで付けることが多かったと考えられる。もともとガンボとはオクラを意味するアフリカ由来の言葉だったが、オクラよりもフィレパウダーが多く用いられており、これをチョクトーインディアンがガンボにもたらした最大の貢献だとみなすべきだろう。


Turkey Gumbo

【 ターキーガンボ 】
 残り物のターキー
 1/2ポンドの赤身のハム
 バター:テーブルスプーン2杯、またはラード1杯
 ベイリーフ1枚 パセリの小枝3本
 牡蠣3ダース
 タマネギ大1個 タイムの小枝1本
 2クォートの牡蠣の汁
 赤唐辛子のポッド(種なし)
 塩、胡椒、カイエンヌ(お好みで)

良く管理されたクレオールのキッチンでは何も無駄にすることはしない。ターキー料理が供された後は、その残りを保存しておいてターキー・ガンボという最高の料理に仕上げる。調理方法はチキンガンボと同じで、チキンの代わりにターキーの白身と黒身を骨から切り離して作られる。
まず細かく刻んで熱したラードを鍋に加え、サイコロ状に細かく切ったハムを入れる。ターキーの骨と枝肉を入れ、沸騰したお湯を加えて先のレシピと同じように調理する。適時、骨と枝肉を取り除き、牡蠣を入れて鍋を火から下ろして、ガンボにフィレパウダーを加える。これを炊いたご飯と一緒に食べる。ターキー・ガンボは、野生のターキーを使って調理することによりデリケートな味わいになる。


鶏肉をターキーに代えたレシピで、ターキーの残りの屑肉をつかった質実剛健な料理である。もともとガンボが黒人奴隷によっても食されてきたものであることを考えると、こうした料理方法が本来であればガンボの本質であると見ることも可能かもしれない。こうした肉と牡蠣を合わせて煮込むところにガンボの旨さがあると言える。


Squirrel or Rabbit Gumbo

【 リスあるいはウサギのガンボ 】
 リスまたはウサギ1羽
 赤身のハム2切れまたは1/2ポンド
 パセリの小枝3本 タイム1枝
 ベイリーフ1枚 タマネギ大1個
 3ダースの牡蠣
 2クォートの牡蠣の汁
 赤唐辛子のさや(種なし)1個分
 カイエンヌペッパーひと振り
 塩・胡椒 適量

リスまたはウサギの皮を剥いできれいにし、フリカッセのように切り分け塩と黒胡椒をよく振っておく。ハムはサイコロ状に切り、タマネギ、パセリ、タイムは細かく刻んでおく。深めのシチュー鍋にラードかバターを入れ、熱くなったらリスあるいはウサギの肉を入れる。蓋をして8〜10分ほど炒め、その後、チキンガンボと全く同じように鍋を火から下ろしてからフィレパウダーを加え、ルイジアナ米を添えて完成である。


ウサギを料理に使うところにフランスの影響を感じさせられる。ガンボにはあらゆる種類の肉が使われ、それがガンボのバリエーションになっているということを示すひとつのレシピ例である。ここまで見てきたガンボのレシピには常に3ダーズもの牡蠣が加えられていることから、ニューオリンズには海産物が豊富であったことをうかがわせるレシピでもある。


Okra Gumbo

【 オクラガンボ 】
 鶏肉1羽 タマネギ1個
 新鮮なトマト(大)6個
 2パイントのオクラ、または50個
 赤唐辛子 1/2さや、種無し
 ハム大2枚 ベイリーフ1枚
 タイムまたはパセリの小枝1本
 バター:テーブルスプーン2杯、またはラード1杯
 塩とカイエンヌ(お好みで)

鶏肉はきれいに洗って切っておく。ハムは四角かサイコロ状に切り、玉ねぎ、パセリ、タイムはみじん切りにしておく。トマトは皮をむいて細かく刻み、果汁をとっておく。オクラは洗って茎を取り、2分の1インチの薄さに切る。スープケトルにラードまたはバターを入れ、鶏肉を熱し、ハムを加え蓋をして10分ほど熱する。次に、刻んだ玉ねぎ、パセリ、タイム、トマトを加え、焦げ付かないよう良くかき混ぜる。オクラは非常にデリケートなのでかき混ぜないとすぐに焦げてしまう。そのため多くのクレオール料理人は、オクラをフライパンで別に炒めてコショウ、カイエンヌ、塩で味付けをして鶏肉に加える。しかし、炒めた鶏肉にオクラを加え、焦げ付かないように注意しながら炒めるだけで、同じように良い結果が得られるだろう。焦げはガンボの味を損なうのである。良く焼き色がついたら、沸騰したお湯(約3リットル)を加え、ストーブの後ろに置いて、さらに1時間ほど静かに煮込む。熱々のうちに、きれいに炊いたご飯と一緒に供する。ガンボでは鶏肉の代わりにターキーの残りを利用することも出来る。また鶏肉が手に入らない家庭では、鶏肉の代わりに牛肉か仔牛のモモ肉を細かく刻んで使うことも出来る。しかしチキンガンボが一番美味ということは覚えておいて頂きたい。しかし調味料によっても味は大きく左右されることもあるだろう。


最初に挙げたフィレガンボと対をなす料理が、このオクラガンボということになるだろう。基本的な両者の違いは、とろみ付けの部分である。オクラを炒めてから加え煮込む方法が取られており、こうしてガンボにとろみを付けることが出来る。

またここで始めてガンボのレシピにトマトが登場する。現代ではクレオール料理のガンボにトマトが入ることが多いが、それはオクラとセットである。ここにもそうした片鱗が見えるように思える。


Crab Guiubo

【 蟹のガンボ 】
 ハードまたはソフトシェル・クラブ 1ダース
 タマネギ1個
 新鮮なトマト(大)6個
 2パイントのオクラ、または50カウント
 赤唐辛子のさや(種なし) 1個
 ベイリーフ1枚 タイムかパセリの枝1本
 大さじ1杯のラードまたは 2杯のバター
 塩、カイエンヌ 適量

これはクレオールの人たちの間で、カトリックの断食の日や精進料理によく作られているガンボである。ハードシェルクラブでもソフトシェルクラブでも良いが、前者の方がよく用いられる。なぜならば贅沢品とされる後者のソフトシェルクラブよりは、ハードシェルクラブの方が安く、いつでも手に入れることが出来るからである。
カニは常に生きたまま売られている。まずハードシェルクラブを湯がいて、すでに述べた作り方に従ってきれいにし、エラや砂袋を注意深く取り除く。その後、爪を切り落として胴体を割り、4分の1にカットして塩・胡椒で味を調える。鍋にラードを入れ、熱くなったら胴体とツメを入れる。蓋をして5~10分後に皮付きトマト、刻んだ玉ねぎ、タイム、パセリを加え、焦げ付かないように時々かき混ぜながら煮る。5分後、細かく切ったオクラを加え、焦げ目がつかない程度に焼き色がついたら、細かく切ったローリエとトマトの絞り汁を加える。沸騰したお湯を2リットル半ほど注ぎ、赤唐辛子を投入して1時間ほどよく煮込む。出来上がったら、カイエンヌペッパーと塩で味を調え、タレに注ぎ、炊いたご飯と一緒に供する。この量で一人当たり甲羅の柔らかい蟹なら2杯、硬い蟹なら2杯となる。
ソフトシェル・クラブは、硬い殻のカニが殻を脱ぎ捨てたものである。3、4日で殻が固まるので、ニューオリンズの市場でよく見かける甲羅の固いカニほど大量には手に入ることが少ない。


ニューオリンズはカトリック教徒の多い都市である。これは入植してきたフランス人がカトリック教徒だったからである(東部に入植したイギリス人たちはプロテスタントだった)。カトリックでは四旬節や聖金曜日の期間中は肉を絶って精進食を食べなければならず、こうした宗教習慣から生まれたのがこのガンボレシピだったと考えられる。

肉は絶たなければならなかったが、それでも海産物は食べることが出来たので、ここでは蟹が使われている。これが逆に豪華なガンボレシピになってる。かつてのカトリック教徒は四旬節の時期、さらには金曜日には肉を食べることが出来ない習慣の元にあったが、1965年の第二バチカン公会議で肉絶ちが緩められ、現在ではこうした宗教的な食事制限はなくなっている。ニューオリンズはカーニバル(謝肉祭)が有名行事として知られているが、謝肉祭とは肉食を絶つ四旬節(約40日間)に入る前に大いに肉を食べて祝おうという行事である。現在はそうした宗教的な意味よりも、祝祭的な行事になってきているようであるが、過去のこうした宗教習慣がこのガンボレシピを生んだことに間違いはない。


Oyster Gumbo

【 牡蠣のガンボ 】
 牡蠣1ダース
 2クォートの牡蠣の汁
 大さじ1杯のラードまたはバター
 1クォートのお湯
 テーブルスプーン2杯の小麦粉
 白タマネギ大1個
 パセリ、タイム、ベイリーフ
 塩、胡椒はお好みで

鍋にラードを入れ、熱くなったら小麦粉を加えて茶色のルーを作る。焦げ付かない程度に焼き色がついたら、みじん切りの玉ねぎとパセリを加える。これらを炒め、焼き色がついたら刻んだローリエを加え、熱い牡蠣の汁を注ぎ、これにさらにお湯を加える。沸騰してきたらよく水気を切った牡蠣を加えて3分ほど煮てから火を止め、大さじ2杯のフィレパウダーを沸騰した熱いガンボに少しずつ混ぜ合わせる。湯煎にかけて蓋をして、すぐに食卓に運び、茹でた米を添え一人当たり6〜8個の牡蠣を入れて供する。


この牡蠣のガンボには肉が入っておらず、先の蟹のガンボと同様に精進食として食べられたものと考えられる。このレシピには特筆すべき特徴があって、それはルー(Roux)を用いているところである。バターあるいはラードを熱して小麦粉を炒めているが、この色が茶色(Brown)とあり、この炒め加減に現代のクレオール料理のルーに共通するものがあるのを感じる。(ケイジャン料理のルーはダークブラウンである)


Shrimp Gumbo

【 海老のガンボ 】
リバーシュリンプは小さくて繊細すぎるため、このガンボには必ずレイクシュリンプが使わる。エビは100匹くらい、あるいは小さなカゴ一杯分を使う。エビのガンボを作る場合、フィレパウダーとオクラのどちらを用いても良いが、オクラを使った方がはるかに美味しくなることは覚えておいて頂きたい。ガンボに入れる前に、エビは必ず先に湯がいておく。


オクラを使う方が美味であるとして、オクラを推奨しているレシピである。


Shrimp Gumbo File

【 海老のフィレガンボ 】
 上質のレイクシュリンプ 50匹
 牡蠣の汁 2クォート
 お湯 1クォート
 タマネギ大1個 ベイリーフ1枚
 パセリの小枝3本 タイムの小枝1本
 ラードまたはバター 大さじ1杯
 小麦粉 大さじ1杯
 カイエンヌペッパーひと振り
 塩とブラックペッパー 適量

エビは湯通しして殻を剥き、熱湯で茹でてから強めに味付けをしておく。鍋にラードを入れ、熱くなったら小麦粉を加え、茶色のルーを作る。焦げ目がつかず、きれいな焼き色がついたら、みじん切りにした玉ねぎとパセリを加える。牡蠣の汁、お湯あるいは海老を茹でた酒を丁寧に濾したものを加える。いい具合に煮詰まってきたら、食べる5分前に、ガンボにエビを加えコンロから離す。沸騰した熱いガンボに、大さじ2杯ほどのフィレパウダーを加え好みでとろみをつける。塩・胡椒で味を調える。米と一緒に直ぐに供する。


このレシピでもルーが使われていることが特徴的である。現代のクレオール料理でルーはバターに小麦を加えて炒めて作られるが、『The Picayune's Creole Cook Book』では主にラードが使われており、これはケイジャンのスタイルに近いものとなっている。しかしルーの色はクレオール特有の茶色(Brown)であり、ここはケイジャンとは異なっている。

「海老のフィレガンボ」という料理名が示すように、これはフィレパウダーをとろみ付けに使うレシピである。先の「海老のガンボ」レシピではオクラを使った方が美味であるとしながらも、こちらのレシピではわざわざフィレパウダーを使うレシピとして記載されていることに疑問を感じられるかもしれない。その理由として考えられるのは、新鮮なオクラが入手できるシーズンは限られており、年間を通して使うことができるフィレパウダーは利便性が高いからである。現在は冷凍技術が進歩しており、必ずしも過去のようにフィレパウダーに頼らなければならないという状況ではなくなっている。


Green or Herb Gumbo

【 野菜あるいはハーブのガンボ 】
 仔牛の肩ばら肉
 赤身のハムの大きなスライス1枚
 それと同量の若葉
 キャベツ、ラディッシュ、カブ、マスタード、ホウレンソウ
 クレソン パセリ、グリーンオニオン
 赤または白のタマネギ大1個
 赤唐辛子のさや1/2
 ベイリーフ1枚 タイムの小枝1本
 スイートマジョラム 1
 クローブ 1 オールスパイス 9
 味付けのためのカイエンペッパー

葉はよく浸して洗い、一枚ずつ丁寧に洗い、折り目や畝に虫が潜んでいないかを確認する。次に葉の中央にある固い葉脈をすべて取り除く。その後、小さじ1杯のクッキングソーダを加えて茹でる。ゆで汁から引き上げて細かく刻み、茹で汁は残しておく。
仔牛の胸肉とスライスしたハムを細かく切り、黒コショウと塩で味付けし、白または赤のタマネギ大1個をみじん切りにする。深めのフライパンにラードを小さじ山盛り1杯入れ、熱くなったら、切った仔牛とハムを入れる。蓋をして、焦げ付かないように時々かき混ぜながら10分ほど煮込む。その後、みじん切りにした玉ねぎと細かく刻んだパセリ少々を加える。こんがりと焼き色がついたら、青菜を加え、青菜を茹でたお湯を4クォートほど注ぐ。細かく刻んだローリエ、タイム、スイートマジョラム、赤唐辛子のさや、クローブとオールスパイスを細かくつぶして投入する。コンロに戻してさらに1時間ほど煮込み、カイエンヌまたは「ホットペッパー」を加えれば、ニューオリンズ特有の普通のクレオール・ガンボの完成である。これに茹でた米を添えて供する。


野菜を主としたガンボである。しかしこれにはハムや仔牛の肩ばら肉が入っていることから精進食であるとは言えない。他のガンボと比べるとハーブやスパイス使いが複雑になっており、ここは現在のガンボに共通するものがある。
とろみ付けには、オクラもフィレパウダーもルーも使われていない。これは野菜を煮溶かすことで「とろみ」を得ている為だと考えられる。


Cabbage Gumbo

【 キャベツののガンボ 】
 キャベツ(緑・白) 大1個
 牛モモ肉 1枚
 赤身の大きめのハムスライス 2枚
 クレオールソーセージ 2ポンド
 カイエンヌペッパー 1さや(種無し)
 牛乳 1パイント
 ラード 大さじ1杯
 塩、ブラックペッパー、カイエンヌをお好みで

キャベツのガンボ(Gombo Choux)は、特に子供のいる家庭で人気のクレオール料理で、栄養価も高く、キャベツの調理法としては最も美味で香ばしいものである。 虫を避けるためにキャベツの葉を一枚一枚別々によく洗い千切りにし、芯はサイコロの半分ほどの大きさに細かく刻む。ステーキまたは牛肩ばら肉を小さな四角形に切り、ハムを切って、一番深い釜で炒める。ラードが非常に熱いうちに肉を鍋に入れる。焼き色がついたら、玉ねぎのみじん切りとソーセージを加え、さらにキャベツのみじん切りを加えて混ぜ、焦げないように十分に水を注ぐ。ブラックペッパーを少々加える。よくかき混ぜて材料によく火を通す。必要に応じて水を少し加え、焦げないようによくかき混ぜる。
完全に火が通ったらクリームソースを作る。 フレッシュな牛乳1パイントと小麦粉大さじ2杯を取り、ダマにならないようによく混ぜる。これを沸騰したガンボに入れ5分ほどかき混ぜる。茹でたご飯と一緒に提供する。もしも牛乳が手に入らない場合は、小麦粉を同じ分量の冷たい水に混ぜて、先に述べたようにかき混ぜると、ほとんど同じ効果が得られる。小麦粉を茹でた後のガンボは、5分間火にかけたままにしておくと焦げてしまうため注意が必要である。
このレシピが貧乏人の財布に合わないようであれば、ソーセージや牛肉の丸焼きを省略してもよい。このレシピにある材料であれば以下のコストより高くなることはない。キャベツ 5セント、ハム 5セント、ステーキ 10セント、ソーセージ 10セント、牛乳 5セント。貧富の差に関係なく、栄養価の高い料理であり、それだけで立派な夕食になる。


前のレシピに続いての野菜のガンボである。キャベツをメインにしたガンボで経済的な料理であることが強調されている。特徴はとろみ付けにオクラもフィレパウダーも使われていないことである。牛乳に小麦を混ぜたホワイトソースのようなものを加えてとろみ付けをしており、ガンボの色はかなり明るいものになる。ガンボというよりも現在のホワイトシチューのようなイメージの料理である。


クレオール料理とケイジャン料理


ガンボからクレオール料理とケイジャン料理の起源や違いを見てきたが、これらの料理は互いに似たところが多く、しかもその違いに明確な線が必ずしも引かれている訳ではないことが理解できた。現在ではトマトの使用(クレオール料理では用いるが、ケイジャンでは用いない)や、ルーの炒め具合(クレオール料理ではバターで浅く炒めるが、ケイジャンではラードを使い深く炒める)、さらにはとろみの付け方(クレオール料理ではオクラを中心にとろみを付けるが、ケイジャンではフィレを用いる)に大まかな違いがあるが、100年以上前のレシピを料理本から確認すると、それらは必ずしも明確に決められていたという訳ではなさそうである。

ただそれでもクレオール料理とケイジャン料理の元をたどれば、この料理を食べて来た人々の階層に大きな違いがあったことは間違いなく、クレオール料理は白人や有色人種でも富裕層の人々、ケイジャン料理は南部の白人労働者階級の人々によって育まれてきた料理であり、それが料理の本質的な部分に大きな相違をもたらしていることは間違いない。今回はガンボという、クレオール料理にとってもケイジャン料理にとっても主要な料理を取り上げたのでその相違はあまり明確ではなかったかもしれないが、例えばどちらがフランス料理の影響下に強くあるのか、あるいは使われている料理素材等の違いから見てゆくと、よりクレオール料理とケイジャン料理の相違が明らかになってくるはずである。

当然ながらクレオールとケイジャンの価値観は異なっており、それに基づいてアウトプットされる料理もまたしかりであることは言うまでもない。こうした歴史を背景にした価値観は料理文化だけにとどまらず、アメリカ南部の音楽にも反映されていることもまた見過ごすことも出来ない重要なポイントであろう。アメリカ南部は、ジャズやブルース、R&Bやロックを生み出してきた土地である。こうした文化も交えながら、その土地の食がどのように育まれてきたのかを考えることは非常に重要なことであるとわたしは考えている。こうした歴史的な背景を考察しながら、昔の料理本のレシピを読み解いてゆくと、また違った発見や、なぜそのようになっているのかの必然が明らかになってくる。そう考えると料理というものは「氷山の一角:the tip of the iceberg」でしかなく、その底にはより深いものに繋がっていることに気付かされる。こうした見えざるものの背景を、今後も「美味求真」を通して明らかにしてゆきたいと考えているのである。実に食とはかくも深き探求を要するジャンルなのである。







参考資料


『The encyclopedia of Cajun & Creole cuisine』  John David Folse

『The Virginia Housewife』  Mary Randolph

『New Orleans Cuisine: Fourteen Signature Dishes and Their Histories』  Susan Tucker

『The Penguin companion to food』  Alan Davidson

『The Oxford companion to food』First Edition  Alan Davidson

『The Carolina Rice Kitchen: The African Connection』  Kaern Hess

『French Colonial Louisiana and the Atlantic World』  Bradley G. Bond

『La Cuisine Creole』  Patrick Lafcadio Hearn

『The Picayune's Creole Cook Book』  The Times-Picayune

『Cajun & Creole cuisine』  Ruby Le Bois

『La cuisine créole amaigrissante』  Robert Delannay

『Savoir préparer la cuisine creole』  Patrice Dard

『Cooking in old Créole days』  Célestine Eustis,

『La cuisine créole : saveur des îles』  Sue Mullin

『In a Cajun Kitchen』  Terri Pischoff Wuerthner

『Uit de Curaçaose Keuken』  L Arends-Savelkoul

『Cajun-creole cooking』  Terry Thompson

『Step-by-step Cajun & Creole cooking』  Carol Bowen

『The art of Creole cookery』  William Irving Kaufman

『Chef Paul Prudhomme's Louisiana Tastes』  Paul Prudhomme

『世界の食べもの』  石毛直道