若州名物小鯛漬

若州名物小鯛漬

若州名物小鯛漬


『鯛百珍料理秘密箱』レシピ一覧 


若州じゃくしゅう名物小鯛漬のレシピ


若州名物小鯛漬は、江戸時代の1785年に出版された『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されている65番目のレシピである。『鯛百珍料理秘密箱』原文には以下のような説明がある。

【 鯛百珍料理秘密箱 】若州名物小鯛漬
小鯛をうろこのまま、はらをあけ、そのままにて、ゑらわたをさり、あらひ申さず、塩に石灰を少しまぜて、塩をするなり、又、早若さ小鯛にするは、あつき湯に、ちよと漬、すぐに塩をふり、水へつけ、とりあげて、雫をたらし、また塩をふりて、おし石をかけ候へば、上々の若狭小鯛なり。


鯛百珍料理秘密箱

若州名物小鯛漬


【 若州名物小鯛漬の仕方 訳文 】
小鯛の鱗をつけたまま、腹を開け、そのままエラと腸を取り、洗わずに石灰を少し混ぜた塩を振っておく。
また早若狭小鯛にするには、熱湯にちょっと漬けてから、すぐに塩を振り、それを水につけて取り上げて水気を切ってから、また塩を振って押し石をかければ、上等の若狭小鯛になる。



レシピ解説

若州小鯛漬は、名前にあるように若州つまり若狭国で獲れる小鯛を使った料理である。若狭国は現在の福井県西部で、小浜市(旧遠敷郡の大半) 三方郡、大飯郡、三方上中郡が該当する地域である。これらの地域は良質の魚が獲れる土地であり、昔から京の都には、ここで獲れた魚をひと塩して運ばれていた。特に鯖が有名で、京まで運ばれた道は鯖街道と呼ばれている。

若狭国は昔から御饌国とされ、朝廷には海産物が納めるように定められた国であった。このことは若狭国がいかに海産物が豊富で、質の高いものだったことを裏付けている。


若州名物小鯛漬の現在

江戸時代に出版された『鯛百珍料理秘密箱』にある若州小鯛漬は、現在では郷土料理としてそのままのかたちでは残されていない。ただ福井県小浜市には「若狭小浜小鯛ささ漬」という水産加工品があり、これが若州小鯛漬の系譜をあるものと考えられる。

この小鯛ささ漬は、日本海で獲れたレンコダイ(連子鯛)を三枚におろして薄塩にし、酢に漬けた後、樽詰め等にしたものである。現在は小浜市にある11店舗の加工業者が小鯛ささ漬の製造を行っている。

小鯛ささ漬

若狭小浜小鯛ささ漬


この小鯛ささ漬を考案したといわれるのは、福井県小浜市小浜今宮82にある「池田喜助商店」初代の池田喜助という人物である。明治34年、たくさん獲れていたけれど使い道に困っていたレンコダイを何とか商品にできないかと、京都の乾物問屋と池田喜助が考えて作ったのがその始まりだったとされている。

この商品名が現在のような「小鯛ささ漬」と呼ばれるようになったのは、昭和初期に入ってからのようで、幾重にも重なるささ漬の身が笹の葉のようだから、あるいは、笹の葉をあしらっているから笹漬けと様々な説があり、根拠のある定説は存在していない。ただ「池田喜助商店」二代目の池田喜代二氏が「小鯛笹漬」として昭和30年に小浜で開催された水産加工品の全国大会(品評会)への出展をきっかけに、小鯛笹漬が商品名として全国に認知・定着していったことには間違い。


若州名物小鯛漬とのつながり

現在、小浜で加工販売されている「小鯛ささ漬」は、先に説明したように明治時代に作られるようになったとあるので、これを必ずしも「若州小鯛漬」と同じものであるとは言えない。
このふたつの食品の決定的な違いは、酢で〆てあるか否かである。江戸時代(1785年)に記された「若州小鯛漬」のレシピに酢は用いられていないが、この頃は魚を酢で〆て鮓にするのはまだ一派的ではなかった。

それでも同じく若狭国という地域で作られる加工品であることや、この地域でレンコダイが獲れ続けていることを考えると、本来であれば江戸時代から作られ続けてきた食品で共通したものであると見なすべきだろう。しかしながら、小浜の「小鯛ささ漬」加工業者とその協会は、こうした江戸時代からの連続性を敢えて切り離し、その起源を明治時代としている。

その大きな理由は商標登録にあるように思われる。商標登録に関する申請手続きと、特許庁による商標却下。それに対する裁判の過程を見るとその辺りの事情が明らかになってくる。まずは平成27年(行ケ)第10217号 審決取消請求事件判決を読んで頂くとそのプロセスをよく分かる。この判決文を読むと、まず原告の協同組合小浜ささ漬協会が商標登録申請をしたが、特許庁から「小鯛ささ漬」の商標取得を棄却されたことが裁判の焦点になっている。

特許庁の商標却下を受けて、協同組合小浜ささ漬協会は知的財産高等裁判所に審決取消請求を行ったが、最終的な知的財産高等裁判所からの判決は「原告の請求を棄却する」というものであった。つまり「小鯛ささ漬」を特許庁が商標として認めないのは正しいという裁判判決である。

原告側の協同組合小浜ささ漬協会の主張を読むと、「小鯛ささ漬」は明治34年に始められ、昭和になってから名前が付けられたもので商標に該当するという主張になっているが、知的財産高等裁判所は「ささ漬」なるものは全国にあり、笹の葉の使用についても、判決文の7ページ目で「笹の葉は,食品の保存などといった防腐効果があるものとして古くから使用されているので、小鯛を笹を用いて漬けたものについて、「小鯛笹漬」や「小鯛ささ漬」などと称することは自然であるとしている。よって「小鯛ささ漬」は独創性ある登録商標であるとは言えないとして、商標取得は出来ないとした特許庁の判断が正当であるとした判決を出している。

協同組合小浜ささ漬協会は、「小鯛ささ漬」をブランド化することで加工商品を守ろうとしたのだと思われるのだが、残念ながら商標として登録することには失敗したということになる。
この裁判結果は置いておいて、この取り組みについてわたしが残念に思うのは、商標登録取得のためにこのような主張の組み立てをしてしまったことで、本来であれば『鯛百珍料理秘密箱』に記されているような昔からあった若州小鯛漬と、小鯛ささ漬は、全くの別物であるとして切り離されて位置づけられてしまっていることである。

つまり「小鯛ささ漬」という商品は、明治34年に池田喜助が考え出したものであること。さらにその名称は二代目の池田喜代二氏が考えたものであると主張することで、「小鯛ささ漬」という商品は、それまで汎用性のある仕方で用いられてきた小鯛をおろして漬けるという、若狭国で江戸時代から行われていた若州小鯛漬と一線を画す、全くの別物としたのである。こうすることで、「小鯛ささ漬」には新しく商標を取る権利者がはっきりと存在するものだと主張しようとしたのだろう。つまり、もしも「若州小鯛漬」の系譜に「小鯛ささ漬」があることしたならば、商標登録はそもそも最初から取得できないということになったはずであり、それを回避するための「明治34年以来の...」という主張を行ったものと考えられるのである。

結局は現在でも「小鯛ささ漬」の商標登録は認められておらず、今後も商標取得の可能性はかなり困難だろう。わたしの個人的な見解を述べさせてもらうと、こうした状況にあるのならば「小鯛ささ漬」の始まりを明治34年に固執して商標取得を目指し続けるのではなく、むしろ『鯛百珍料理秘密箱』に記されている若州小鯛漬にまで遡って主張することで、歴史ある加工食品としてブランド化を図った方が得策ではないだろうか。少なくとも取得出来るのかすら不透明な商標登録のために、江戸時代にまでは遡れるような食品加工物の歴史を捨て、『鯛百珍料理秘密箱』に記されている若州小鯛漬との関係を絶ってしまうのは惜しいとしかわたしには思えないのである。

登録商標の取得を諦めることで、こうした縛りから解放されることになるので、『鯛百珍料理秘密箱』に記されている「若州小鯛漬」から、その後の現代に至るまで続けられてきた「小鯛ささ漬」という、若狭国の歴史ある名産品としてのブランディングはより行い易くなるのではないだろうか。



連子鯛(レンコダイ)

連子鯛(レンコダイ:Yellowback seabream)はキダイとも呼ばれ、本州中部から南の日本海及び太平洋から東シナ海に生息するタイ科キダイ属の魚である。レンコダイの名前の由来は、延縄で獲れる際に連なる針に間隔を開けず次々と揚がってくる事が多く、その様子から付けられたと言われている。また体側が幅広の帯状に淡く黄色い事や、顔なども黄色い部分がある事からキダイとも呼ばれている。レンコダイは真鯛のように大きくはならず、20〜30cmのものが多く、大きく成長しても40㎝程にしかならない。

レンコダイ

連子鯛:レンコダイ


江戸時代の若州名物小鯛漬も、現代と同様に小浜で揚げられるレンコダイを用いて作られたはずである。また小浜の魚の中心的な消費地は京である。つまり京まで魚を届けるということは、常にこの地域の産業の大きな課題だったものと考えられる。



輸送に耐える必然性から生じた加工方法

小浜では魚に対する加工は、京への輸送保存方法のための重要な工程であるとみなされている。例えばぐじなどには必ず一塩(ひとしお)をして京に運ばれ、こうして京に入ってくる頃には、魚の身に塩が塩梅よく回り、なおかつ身が活っている状態となるとされている。一塩は単に塩を振ることだけではなく、最適な場所に、最適な量の塩を打つという高度な技術が求められるのである。こうした技術を求めて、流通の良くなった現代でも九州で獲れたぐじなどは、あえて小浜に送って一塩をしてもらい、それからつかう店も京都にはあるらしい。

昔から小浜〜京までの、18里(約72km)の輸送でも味が落ちないようにするために様々な加工技術が小浜では発達することになる。もともと『鯛百珍料理秘密箱』に記されている「若州小鯛漬」も、そうした京への輸送と日持ちを考えて始められた加工だったことには間違いない。「若州小鯛漬」では石灰と塩を混ぜたもので塩打ちしている。これは石灰によってアルカリ化させ腐敗を防ぐ目的があるものと考えられる。また塩をして漬け込むことになっているが、その時の塩は、現代よりも強めに行っていたのかもしれない。なぜならこの時代は酢で〆ることは行われていないからである。
ただ日数をおいて発酵させたはずであることを考えると、ある程度はこうして馴れた酸味が、酢で〆たような味わいになっていたものと考えられる。

現代、小浜で作られている「小鯛ささ漬」は、酢で〆るがこれも基本的には保存日数をための目的で行われる。また桶に隙間なく漬け込むことで、空気に触れずに密封できるようにし、腐敗を防いである。また笹の葉を上に添えるのも防腐作用を考えてのことであり、昔はヒバを上にしてフタを閉じていたとあるので、これも高い防腐作用を期待してのものだっただろう。さらに杉の桶に入れられるが、これも防腐作用と香り付けに大きな効果を発揮していると言える。

このようにもともとは輸送や賞味期限のための加工であったかもしれないが、結果的にはこうした加工こそが、「小鯛ささ漬」の美味さを引き出すことになっているというのは言うまでもない。そしてこうした仕方は昔からも考えられてきたはずであり、『鯛百珍料理秘密箱』に記されている「若州小鯛漬」にもそれと同じで、如何に輸送に耐えられるという実用的な理由から加工が始められたと考えるべきだろう。つまりここからも「若州小鯛漬」=「小鯛ささ漬」のラインはつながっており、やはり小浜という地で作られる同じ加工品であることから、歴史的にも連続性があることを否定は(あるいは無関係であるとすることは)、でないと思うのである。


調理方法

小鯛を加工する過程で、熱湯につけてから塩を振るとある。熱湯につけるのは殺菌の目的があるのだろう。ただその後に塩をして水で洗うという方法はあまり良い方法ではない。なぜなら小鯛の切り身が水っぽくなり、旨味が抜けてしまうからである。

塩をしてから重石をのせて漬けるが、これによって発酵させる。発酵によって酸味が数日で得られる。『鯛百珍料理秘密箱』ではこれを早若狭小鯛と言っているが、通常の熟鮓のように長期間かけて発酵されるのではなく、少し発酵した頃合いを見て食べていた為だと考えられる。


現代のレシピ

ここからはレシピも記しておきたい。この若狭小鯛漬は、昔のものと違い酢を使うため数日間をかけて発酵させることはせずに、早鮓として食べるためのものである。
これに昆布などを入れて、さらに長時間漬けると旨味が増して、より美味しい小鯛漬けになることだろう。

鯛を三枚におろし、塩をしてから30分ほどおく。
(塩をする時間はお好みで)
 ↓
塩を酢で洗い取り除く
 ↓
ボウルに酢を入れ鯛を15分ほど漬ける
(酢に漬ける時間はお好みで)
 ↓
酢から引き上げて、酢を切っておく
 ↓
タッパにギュウギュウに入れて保管する
(お好みで昆布などを混ぜて入れても良い)
 ↓
酢が小鯛の身に馴染んだ頃に食べる。
(漬けて置く日数はお好みで)






参考資料



『小浜小鯛ささ漬協会ウェブサイト』  協同組合 小浜ささ漬協会