八珍はっちん

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八珍とは


八珍(はっちん)とは、中国料理のなかで供される珍しい食材、あるいはそれを用いてつくられる料理のことである。歴代の中国王朝は八珍を貴重なものと見なし、宮廷で供されていたが、こうした高級料理は簡単には手に入れることの出来ない珍しい食材で構成されていた。例えば中国料理の高級食材として非常に良く知られている「燕の巣」は首都(長安や北京)から遠く離れた東南アジアが原産地であるし、「鱶鰭:フカヒレ」の多くは昔から日本から輸入されてきた食材である。

ちなみに江戸時代には、鱶鰭(ふかひれ)、煎海鼠(いりなまこ)、干鮑(ほしあわび)は「俵物たわらもの」と言われ、外貨獲得のための高級品として長崎から中国に輸出される主要品目であった。これらは中国に到着すると、さらに海から遠方の内陸に位置する首都(北京)まで輸送され、高級嗜好品として上流階級の人々によって消費されていたのである。

八珍は中国皇帝の威厳と権力を示す象徴でもあった。なぜならは、普通では手に入れることの出来ない遠方の食材を料理に取り入れることで、中国皇帝たちは支配範囲の広大さと、経済力の大きさを誇示することが出来たからである。八珍には高級食材はもちろんだが、龍や鳳凰のような実在しない幻想生物も含まれている。これらは当然ながら何らかの肉類で代替されたはずであるが、このような有りもしない架空の食材が含まれていること自体が、八珍が権威と関係したものであることを裏付けているとも言える。

このことは中国王朝の変化により、権力体制や価値観あるいは支配地域が変るのと同じように、「八珍」そのものも時代によって変化してきたことを意味する。事実、八珍に含まれる食材は、時代や王朝によって絶えず異なる構成となっており、八珍が太古の中国から現代に至るまで変わらずいつも同じ食材だったと考えるのは間違いであることに気付かされる。むしろ八珍とは時代によって変化する流動的になものであると捉えるべきなのである。

本稿では過去の中国王朝でどのような食材が尊ばれ、それぞれの時代で八珍として選ばれてきたのかを明らかにすることにしたい。


周代の八珍


周は紀元前1046年頃 - 紀元前256年に存在していた、中国の古代王朝である。
周代の「八珍」については『周禮﹒天官』の中で「珍用八物」「八珍之齊」として挙げられている。また『禮記』内則の中でも同様の「八珍」が述べられているので、以下その8種類の調理法を示しておくことにする。

 ①淳熬(肉醬油澆飯)
 ②淳母(肉醬油澆黄米飯)
 ③炮豚(煨烤炸炖乳猪)
 ④炮羊(煨烤炸炖羔羊)
 ⑤擣珍(燒牛、羊、鹿里脊)
 ⑥漬珍(酒糖牛羊肉)
 ⑦熬珍(類似五香牛肉乾)
 ⑧和肝遼(網油烤狗肝)


上記が八種の食材とその料理についての説明である。

また「珍用八物」として、次の8種の素材も挙げられている。
 「牛、羊、麋、鹿、馬、豕(豬)、狗、狼」

この「珍用八物」の肉が「周代八珍」では使われている。この中では「麋」(ヘラジカ)が珍しい食材になると思うが、後代になって取り上げられるようになる想像上の動物など(龍、鳳凰、猩々等)は含まれておらず、そんなに奇異なものは含まれていない。
次にその料理法の詳細を記しておくことにする。


淳熬じゅんごう

淳熬という料理は、肉醤(醢)に火を通してご飯の上に乗せ、その上から動物の脂肪を加えて混ぜ合わせた料理である。肉醤というのは肉から作る発酵食品で「醢」という字が当てられている。淳熬は肉と脂をまぜたご飯を想像すると分かりやすいだろう。


淳母じゅんぼ

淳熬と同じ調理法である。ただ淳母の方は米の代わりに黍を使って作る。肉醤(醢)と脂と黍を混ぜた料理である。


炮豚ほうごん

豚の腹を割き、内臓を取り出して、腹腔内を洗って汚物を取り除き、その中に棗を詰め込んで腹を縫い合わせ、すいと呼ばれている茅に似た草で編まれたもので、その豚を丸ごと巻き、その上から粘土に香草を混ぜたもので全体を塗り包み、火で蒸し焼きにする。
その全体を包んだ粘土が、十分に焦げた時を見計らって、火から取り出し、その土を取り除き、手を水に浸しながら豚の身体を擦って、毛の焦げ付いた上皮をすり落して、完全に丸むきにして、上皮が綺麗に取れたものに、米の粉をかけて葛かけのようにして、牛の脂を入れてヒタヒタになるまで煎り、これに香物を入れる。
別に大鍋に熱湯を入れ、先の丸豚を浸した鍋そのままをこの熱湯の中にいれ、小鍋を覆さないように注意しつつ、三日三夜の間、絶え間なくこれを煮る。そして後、醯と醢で味を調えるものとする。醯と醢などの肉醤の製法は前ですでに述べたとおりである(王の饋食参照)


炮羊ほうよう

その調理法は炮豚と同じである。


擣珍とうちん

牛、羊、大鹿、鹿、ノロの腰部の肉を同量にして混ぜ、それをよく叩いてペースト状にする(この処理を「擣」という)。その上皮の硬い部分や筋などを取り去ってから、長火でよく熱を通したものを、醯または醢であえて食べる。


漬珍せきちん

牛肉を酒に浸したものである。新鮮な牛肉を選び、薄切りにして、よく繊維を断って、これを美酒の中に沈めて一夜置く。翌朝、醢あるいは醷で味を付けて食べる。醢とは肉類の塩づけにより出来る肉醤。醷とは青梅を酒に浸して作る一種の酢である。


熬珍ごうちん

まず牛肉をたたいて薄皮を取り葦を編んで敷いて、 肉桂と生薑(生姜)の粉を上にふりかけ、つぎに塩をかけて火で乾かす。これは熬(ゴウ)という料理法である、牛肉以外の羊肉、 麋(へらじか)肉、鹿肉、麕(のろ)肉もみな同じようにして作る。
後でこれを戻して食べたいときには、 塩水につけて醢(カイ)でいためて食べる。また乾し肉のままで食べるときは、それを一度たたいてから食べる。


肝膋かんりょう

犬の肝を、腸の外側の網油(クレピネット:crépinette)で包み、炙ってその脂のよく焦げ付いた時に、たでを加えず(当時は肉に蓼を加える習慣があった)米を加えて混ぜる。さらに狼の胸部の脂を小間切れにしたものを加えて長時間煮て粥に似たものを作る。



宋代の八珍


北宋(960年~1127年)の「八珍」については『埤雅』に記述がある。また明代の俞安期の「八珍」は『唐類函』で以下のように述べられている。

 ①龍肝(龍のきも)
 ②鳳髓(鳳凰の髄)
 ③豹胎(ヒョウの胎児)
 ④鯉尾(鯉の尾)
 ⑤鴞炙(うずらの炙り)
 ⑥猩唇(猩々の唇)
 ⑦熊掌(クマの手のひら)
 ⑧酥酪蟬(セミ)


張九韶撰『群書指唾』でも同様のことが述べられているが、豹胎が入手しにくいために兔胎が用いられることがある事や、龍肝および鳳髓は現実には存在しない生き物であるが、龍肝は白馬の肝で、鳳髓はキジの髄で代用されていることが述べられている。


迤北八珍


元の時代(1271年~1368年)の八珍は「迤北八珍」、あるいは蒙古八珍、北八珍と呼ばれている。 陶宗儀の記した『輟耕錄』には「迤北八珍」として次の8種を挙げている。

 ①醍醐
 ②麆吭
 ③野駝蹄
 ④鹿唇
 ⑤駝乳糜
 ⑥天鵝炙
 ⑦紫玉漿
 ⑧玄玉漿




明代八珍


 明代(1368年~1644年)の張九韶は『夜航船』群書拾垂で以下の八珍を挙げている。

 ①龍肝(可能是娃娃鱼或穿山甲的肝,或是蛇的肝,也有的人认为是白馬肝)
 ②鳳髓(可能是锦雞的腦髓)
 ③豹胎
 ④鯉尾(並非是鯉魚尾,因鯉魚尾並没有任何特别之處,既非稀有珍貴,也没有甚麼特殊的味道,很可能是穿山甲的尾,因古時稱穿山甲為「鯪鯉」)
 ⑤鴞炙(烤貓頭鷹)
 ⑥猩唇
 ⑦熊掌
 ⑧酥酪蟬(可能是高级酥酪)



清代八珍


清の時代(1644年~1912年)になると、特に多くの種類の八珍が挙げられるようになっている。これは漢民族の文化と、北方の清族の文化が融合したことも理由にあるのではないかと考えられる。大きく分けて「參翅八珍」「山水八珍」「四八珍」と様々な八珍としてのくくりがあることが分かる。


Ⅰ「參翅八珍」中海產品佔半數

  ①指參(海參
  ②翅(魚翅)
  ③骨(魚明骨,也稱魚脆)
  ④肚(魚肚)
  ⑤窩(燕窩)
  ⑥掌(熊掌)
  ⑦筋(鹿筋)
  ⑧蟆(蛤士蟆)


Ⅱ「山水八珍」

【 山八珍 】
  ①熊掌
  ②鹿茸
  ③犀鼻(或象拔、象鼻)
  ④駝峰
  ⑤果子狸
  ⑥豹胎
  ⑦獅乳
  ⑧猴头

【 水八珍 】
  ①魚翅
  ②鮑魚
  ③魚唇
  ④海參
  ⑤裙邊(鱉的甲殼外圍裙狀軟肉)
  ⑥干貝
  ⑦魚脆
  ⑧蛤士蟆



満漢全席「四八珍」

【 山八珍 】
  ①駝峯 - ラクダの瘤(こぶ)
  ②熊掌 - クマの掌
  ③猴脳 - サルの脳ミソ(現在はサルの頭に似たキノコ)
  ④猩唇…オランウータンの唇
  ⑤象攏(象鼻) - ゾウの鼻の先
  ⑥豹胎 - ヒョウの胎子
  ⑦犀尾 - サイのペニス
  ⑧鹿筋 - シカのアキレス腱

【 海八珍 】
  ①燕窩 - ツバメの巣
  ②魚翅 - フカのヒレ
  ③大烏参 - 黒ナマコ
  ④魚肚 - 魚の浮き袋
  ⑤魚骨 - チョウザメの軟骨
  ⑥鮑魚 - アワビ
  ⑦海豹 - アザラシ
  ⑧狗魚(大鯢) - オオサンショウウオ

【 禽八珍 】
  ①紅燕 -
  ②飛龍 -
  ③鵪鶉 - ウズラ
  ④天鵝 - ハクチョウ
  ⑤鷓鴣 - シャコ
  ⑥彩雀 - クジャク
  ⑦斑鳩 - キジバト
  ⑧紅頭鷹 -

【 草八珍 】
  ①猴頭 - ヤマブシタケ
  ②銀耳 - 白キクラゲ
  ③竹蓀 - キヌガサタケ
  ④驢窩菌 -
  ⑤羊肚菌 - アミガサダケ
  ⑥花茹 - シイタケ
  ⑦黄花菜 - 金針菜(野萱草の蕾)
  ⑧雲香信 - キノコの一種


清代の八珍と「満漢全席」の相関性が高く、四八珍とは、四組の八珍で構成されていて、山八珍、海八珍、禽八珍、草八珍からなる。八珍が四組となるので合計で三十二種類の材料となる。満族スタイルと、漢族のスタイルを融合させた「満漢燕翅焼烤全席」という正式名称にかなう料理こそが、いわゆる「満漢全席」の正式なものなのである。


中華民国八珍


中華民国八珍では上、中、下の3つに分類される。また北京と山東省の烟台市の2つに分類される。なぜ山東省かというと、元々、北京の料理人は山東省から来た料理人によって構成されていたからである。易牙の時代から山東省は食における造詣が深い、美食の地方なのである。

【 北京上八珍 】
  ①猩唇
  ②燕窩
  ③駝峰
  ④熊掌
  ⑤猴頭(菌)
  ⑥豹胎
  ⑦鹿筋
  ⑧蛤士蟆

【 北京中八珍 】
  ①魚翅
  ②廣肚(香港產的鰵魚肚,即鰵魚鰾)
  ③魚骨
  ④龍魚腸
  ⑤大烏參
  ⑥鰣魚
  ⑦鮑魚
  ⑧乾貝

【 北京下八珍 】
  ①川竹筍
  ②烏魚蛋(烏魚子)
  ③銀耳
  ④大口蘑
  ⑤猴頭(菌)
  ⑥裙邊
  ⑦魚唇
  ⑧果子狸

【 烟台上八珍 】
  ①猩唇
  ②燕窩
  ③駝峰
  ④熊掌
  ⑤猴頭(菌)
  ⑥鳧脯(野鴨胸脯肉)
  ⑦鹿筋
  ⑧黄唇

【 烟台中八珍 】
  ①魚翅
  ②廣肚
  ③鰣魚
  ④銀耳
  ⑤果子狸
  ⑥蛤士蟆
  ⑦魚唇
  ⑧裙

【 烟台下八珍 】
  ①川竹筍
  ②海參
  ③龍鬚菜
  ④大口蘑
  ⑤烏魚蛋
  ⑥赤鱗魚
  ⑦乾貝
  ⑧蠣黃









参考資料


『北京料理と宮廷料理について』 松本睦子

『北京の宮廷料理と博物館についての一考察』 賈蕙萱