ウィリアム・E・ラキソン

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日本で英語を教えたイギリス人


 ウィリアム・E・ラキソンは、“William.E.Laxon.Sweet”というのが正式な本名である。ウィリアム・E・ラキソンはロンドン留学中の夏目金之助(夏目漱石)の紹介で日本で英語を教える為にやってきて、明治34年(1901)10月中旬から第五高等学校 (旧制)で英語教師となる。

 第五高は熊本の学校で、現在の熊本大学の前身である。明治時代に創設された旧制一高から旧制八高までは特別に「ナンバースクール」と呼ばれていた。こうした学校は明治期のエリート育成機関であり、多くの優秀な人材を輩出している。

第五高:熊本

 この第五高で1891年~1894年まで、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が英語を担任していた。その後、1896年~1900年に夏目漱石が英語を担任してる。しかし漱石は、1901年(明治34年)から英語教育法を研究するためロンドンへ留学し学校を離れることになる。
 その間に、第五高の英語講師だった、J.B.Brandram(在任期:1898年9月16日~1899年3月31日)が亡くなってしまい、ロンドンにいた漱石が後任探しを担当することになったようである。

 ロンドン滞在中に漱石は日記を残しているので、ウィリアム・E・ラキソンと漱石が出会い、日本に教師として赴任するまでの経緯を、ここから窺い知ることが出来る。大正8年に刊行された『漱石全集. 第11巻』によると以下のような経緯が記されている。

『漱石全集. 第11巻』日記および断片

5月23日
櫻井氏ヨリ手紙来ル西洋人招聘ノ件ナリ

6月3日
Prof. Halesヨリ手紙来ル 候補者二通知セリトノ事ナリ

6月4日
Prof. Halesヨリ第五高ニ関スル印刷物ヲ送リ来レト云フ端書来ル

6月6日
午後三時二十分ニ King's College ニ来テ呉レ候補者直ニ御目ニ掛リ御話致シ度とあり(Prof. Halesノ手紙)
King's College ニ至ル約ニ後ルル¬三十分 Prof 既ニ去ル

6月7日
Prof. Hales ヨリ手紙来ル、候補者 Sweet氏ニ明日逢ヘトノ事ナリ

6月8日
午後三時 King's College ニ至リ Sweet氏ニ逢フ College 閉ルヲ以テ Park ニ至ル

6月10日
King's College ニ至リ Prof. Hales ニ面会ス

6月12日
Sweetヨリ application ト testimonial 来ル Sweetニ返事ト testimonial ヲ返ス櫻井へ手紙認ム

6月14日
Sweet氏ヨリ来翰(来信)ニ返事を出ス 櫻井氏ニ返事ヲ出ス

6月15日
Sweet氏ヨリ来翰(来信)三年契約ヲ希望スル旨挨拶アリ

6月21日
Sweet氏ヨリ手紙来ル 明日 King's College ニテ会トノ事ナリ

6月22日
十時半 King's College ニテSweetニ会ス

8月12日
Sweetヨリ晩ニ手紙来ル 九月十三日ニ立チタイトノ事ナリ

8月22日
Sweet氏ヨリ手紙来ル返事

8月24日
Sweeet ニ Bedford Row ニテ面会ス

8月30日
Albert Dock ニテ Sweet、池田、呉 三氏ヲ送ル


 漱石の日記を読んで行くと、Hales教授の推薦によって、ウィリアム・E・ラキソン(Sweet氏)に白羽の矢が立てられ、漱石はウィリアム・E・ラキソンに会い、五高で教師になる手続きが進められた経緯が分かる。
 漱石とウィリアム・E・ラキソンはまったくの初対面であったが、教授の紹介によってロンドンで、3回面会している。6月8日と6月22日は、ロンドンのKing's Collegeで面会し、最後の3回目は日本に船で旅立つため、漱石はAlbert Dockまで行って見送りをしている。


五高でのウィリアム・E・ラキソン


 ウィリアム・E・ラキソンは、1901年(明治34年)熊本に赴任し、1906年(明治39年)7月下旬まで約5年間、五高に在職した。

 この時期の生徒には、『美味求真』でも取り上げることの多い、『随園食単』を翻訳した中国文学者の青木正児がいた。彼は1905年(明治38年) 9月に第五高に入学しているので、ウィリアム・E・ラキソンの生徒だった可能性がある。

 ウィリアム・E・ラキソンは、熊本の五高を退官後、上京して旧制東京高師(東京高等師範学校)の教授となる。


東京高等師範学校のウィリアム・E・ラキソン


 1906年(明治39年)から、1921年(大正10年)まで15年間、東京高等師範学校で英語を教えた。『東京高等師範学校一覧』という書籍には創立以来の職員という項目があり、明治39年から在籍している教員にスキートとある。また同書『東京高等師範学校一覧』には、明治45年度の職員名簿にもウイルリアム、イー、ラキソン、スキートの名前がある。


『英国風物談』出版の経緯


 東京高等師範学校に在職中、『London Life』(三省堂 1908年:明治41年)を出版している。これはロンドンの風俗について解説した本である。ウィリアム・E・ラキソンは、この本の内容をベースにして、9回に亘って講義を行い評判を得た。
 こうした経緯があり、その後、『美味求真』でも度々言及される『英国風物談』(1918年:大正7年 大日本図書株式会社)が出版されることになったのようである。


その後のウィリアム・E・ラキソン


 東京高等師範学校を辞めた後、ウィリアム・E・ラキソンはイギリスに帰国して、ロイター通信で勤務して日本に関するニュースの処理を行っていた。





参考文献


『第5代旧制五高外国人英語教師 W .E. L. Sweetの 履歴と業績について』  今村隆

『《英国風物論》の誕生とその系譜 』  庭野吉弘

『五校の名物教授』  宮永 孝

『永日小品』  夏目漱石

『Advanced english course book one』  William.E.Laxon.Sweet

『Advanced english course book two』  William.E.Laxon.Sweet

『Advanced english course book three』  William.E.Laxon.Sweet