美味求真

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第五章


栄養学研究


序 論 : 中国王朝時代の模範食

第一節 : 栄養学の模範

第二節 : カロリーメーターおよび人体標準食

第三節 : 多食か小食か、菜食か肉食か

第四節 : 国立栄養研究所の模範食

第五節 : 中国王朝時代の食物調理に関する官制およびその模範食

註 釈 : 本書に基づく参考意見

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中国王朝時代の模範食


 美味求真は感性をその始まりとし、栄養研究は化学をその始まりとする事は既に前の章で述べた通りである。このようにそれぞれ双方の始まりは異なっている。しかし味覚を重視するからと言って栄養をおろそかにすべきではないし、また栄養を重視した食だからと言って味覚を度外視しても良いという理由はない。味覚も、栄養も、そのどちらも人生の幸福を増進するためのものだからである。よって味覚と栄養の両方を備え、かつ経済的であるならば人類の食品として理想に近いものと言えるだろう。

 食物に対する栄養思想の萌芽は、古代の中国に存在したことが認められている。『呂氏春秋』本生論には、聖人の滋味について「本能に利があるならばそれを取り、生命に害があるならばこれを捨てる。これこそが実際に本能に従う道である」と唱えている。
 同じく『呂氏春秋』貴生論には、「聖人は天下に生きること以上に貴いものは無いと考える。耳目鼻口は生きるための役割を果たしており、耳は声を求め、目は色を求め、鼻は良い香りを求め、口は滋味を求める。しかし、もしそこに生命への害があるならば、すぐにでもそれを求めるのを辞めないだろうか。このように四つの器官が備わっていても、もしそれが生きることに利が無いのであれば、それを欲する事はない。こうした観点から見ると、耳目鼻口は欲するままに行使されるべきではなく、むしろ必ず制限されるべきで、これこそが生きることを尊ぶ理由なのである」とある。
 周代の王室の食事は医師によって司られていて、かつ、これらを模範となる食事として一般に公表していたので、上流階級はすべて王室に倣った食事が行われていた。(本章第5節参照)こうしたことから、料理は単に味覚だけでなく、栄養についても考慮されていたことが分かる。
 こうした背景があったにも関わらず、中国の栄養研究は、単なる思いつきの状態に留まっていただけでしかなく、萌芽を見ながらもそこから十分な発達に至らなかった。その理由は、中国には特有のフィーリングで物事を判断しようとする、直感的な文明の傾向が強く、科学と分析に基づいて研究するというスタイルが元々合わなかったからと考えられる。(第三章参照) 従って栄養研究の功績に関しては、東洋よりはむしろ、西洋の知識文明の中で発達した科学にこそ、その業績は帰されるべきと考えるのは当然の成り行きと言えるだろう。

 栄養学の第一歩は、今から300年前にフランスの碩学であったラボアジエによって提唱され、今日の学問上の基礎が築かれることになった。ラボアジエの弟子であったリービッヒ “Justus Freiherr von Liebig” (※ ラボアジエとリービッヒは生きた時代が異なり弟子であるという記述は間違いである)によってドイツにもたらされ、これを受け継いでこの分野の研究を提唱していた為、一時期のドイツはこの分野の発祥地として学者の関心を集めるようになっていた。それから次々に欧米各国に広がり、ワシントンの中央試験場、エール大学栄養研究所、カーネギー氏の栄養研究室の他、ケンブリッジ、ミュンヘン、ウィーン各大学は言うにおよばず、各篤志家また医師たちの多くがこの分野の研究を行うようになった。こうして各国が競ってこの学問の進歩に貢献しつつあり、今や世界で栄養研究全盛の様子が見られるようになったのである。

 日本はこの分野における学問がかなり遅れていて、わずか明治の中期頃から、2、3人の医学者や化学者たちによって、食物の分析や栄養価値の事などが時々は議論されていたが、未だ一般の注意を引くような研究成果にまでは至っていない。明治24、25年頃に、隈川宗雄博士およびその弟子、さらに農学博士の鈴木梅太郎などの熱心な研究によって、医化学上における顕著な業績を上げるようになり栄養学の基礎が次第に築かれていった。その後、明治44年頃に医学博士の佐伯矩さいきただす氏が欧州から帰国して、新たに栄養学研究を提唱し、続いて自ら私立栄養研究所を創立して熱心にこの学問の研究に携わり、その他の2、3人の学者たちと栄養学に関する著書の出版を行っている。こうしてようやく世間の注意を引くことになる。この頃は第一次世界戦争に直面していた時代であったので、食糧問題の議論が大々的に行われていた。大正8年の42議会で、ある議員にから国立栄養学研究所を設置する建議案が提出され、政府がその主旨を受け入れ、大正9年度の予算において新たに議会の協賛が求められ、ここに国立栄養学研究所の設立が実現するに至ったのである。
 佐伯博士が所長に任命され、その内部を基礎研究部、応用研究部、調査部等の部門に分けて、専門技師が各々その任にあたって、日々、一般的な標準食を新聞紙上で発表することで、研究と各家庭の食事情の連携が試みられてる。また講演、講習あるいは文書によって熱心にこ宣伝を行っているので、これが次第に国民の生活改善、および一般の栄養に関してかなりの業績を示しつつあるのは大いに喜ぶべき事である。



栄養学の模範


 栄養学とは、主に食物と人体との関係、および栄養価値を論じるものであるので、人体生理学の一部門であると言えるが、広い意味で論じるならば、この新しい学問の範囲は、食物に対する栄養価値の研究にだけではなく、さらなる新しい食物の発見、さらにその先には人造食物の創造にまで範囲を広げられるのかもしれない。
 現在、人類の食物は農業によって生産されているが、学者は、農業は精力と時間と資本を浪費するため非常に不経済であると考えており、もし科学応用の力によって人造食物を作れるようになれば、人体の栄養に必要な蛋白・澱粉・脂肪をバランスよく生産出来、これまでの浪費と徒労を省いて、人間の生活を極めて簡単にかつ楽にすることが可能になるのではないかと考えている。
 今日の人造食製造の第一歩は窒素肥料で、これはノルウェーのバークバンド氏によって発明されている。空気中の窒素と酸素を化合させて、酸化窒素および過酸化窒素を作り出し、さらにこれに水蒸気を送って亜硝酸および硝酸に変化させ、さらに塩基と結合させて、亜硝酸および硝酸の塩類を形成させたものである。これを使って植物の培養を行い、人体栄養の主要成分ともいうべきタンパク質の製造に間接的な成功を収めている。実際に日本でも窒素肥料はかなり製造されており、その需要も年々増大しつつある。今やその研究はさらなる歩みを進め、礦物性酵母菌の培養より無機性の窒素からタンパク質を作り出す新しい技術が、ドイツの研究所長であるデルフリック氏によって発明されたと伝えられている。

 人間の生命は、主としてタンパク質によって保たれている。人は肺によって直接空気中の酸素を摂取し、胃腸によって間接的に空気中の窒素を摂取して生きているので、結局は空気さえあれば人の生命は保つことが出来るとも言えるのかもしれない。空気の供給は無尽蔵であるので、さしずめ人間社会に関しては天災飢饉の心配が無用となり、いつかはマルサスの人口問題などは杞憂でしかないという時代を見るようになるのかもしれない。 また食物は、腸管内において組織成分に分解された後、身体に吸収されるので、現存する食品の代わりに、その食品の分解成分を投与すれば、その食品と同様の栄養を摂取できるはずである。例えばここに3.75 g(1匁)の肉があるとすれば、その肉の代わりに、その肉を分解して得られるアミノ酸を動物に与えるならば、3.75 gの肉を与えるのと同様の栄養効果が得られるのというのが道理である。
 こうした分解成分が、天然で生産されている食品の代用食品として効果がある事は、アブデルハルデン氏の他、医科学の学者による実験によって確証が得られているので間違いはないようである。よって「生体を造るための食物を人造すること」、例えばタンパク質の代わりとして種々のアミノ酸、脂肪の代用であるグリセリンアミノ酸、澱粉の代用であるブドウ糖を人工的に試験管の内で創造できるというのは架空の論理ではなくなってきている。 そうであるならば、さらに弛まない努力を進めることによって生体それ自身を人造する事、つまり永遠の謎である人間を人造するという端緒は、化学者や栄養学者の手に委ねられていると言えなくもない。現にイギリスのエジンバラ大学生理学教授のセフワー氏によって「生命人造説」なるものが発表され、世界中の関心を集めているようである。

 こうなってくると文豪ゲーテが、その名著のファウストの中で説いた生体人造説のようなものも、あながち文学者の空想ではなく、本当に科学者が真面目に研究すべき実際的な問題となってきていると言えるのではないだろうか。

 人はすでに空気に依存して生活しているが、人造食品だけで生存することが可能になるかもしれない。従来からの自然産の食物は不要となり一掃されてしまう時代となると、人間の味に対する感覚は無用となってしまうだろう。 進化という観点から自然は無益の機能を人間に残そうとはしないので、味覚の後退はここから始まると考えるべきだろう。現に我々の身体中には原始時代に有用な器官であったにも関わらず、今日ではその機能が失われたものがある。将来には、人類があらゆる味覚を鋭敏に感じ、それを快楽や趣味のために活用していた時代があったことの証拠を示すものとして、全く無感覚になってしまった舌を研究するような時代が訪れるのかもしれない。

 我々の祖先の原始時代には、食品の善悪鑑別等の為に鋭敏な臭覚が必要とされていたが、学術の進歩によって知識的にそれらを区別するようになった為に臭覚の必要が減退したとされている。我々の嗅覚は、現在の我々も感じているように、次第に後退してゆく傾向にあると言えるだろう。

 また医学者の説を聞くと、脳の中枢の発達順序は、鼻の臭覚がまず最初であり、舌の味覚はその次に発達し、さらに耳や目、その他の機能が次第に発達したと考えられている。退化の順序はこれとは逆で、鼻から最初に始まり、次に来るのが舌であるかもしれない。 この理論に正しいとするならば、世界中で栄養学が発達したとしても、今後は 易牙 のような人物は出てこないだろうし、聴音機が発明されても師曠(音楽家)のような人物の再来はないだろうし、拡大鏡があっても離朱(古代の眼の鋭い人の名)のような人物はもう生まれてこないだろう。
 もし先に論じたような生命の人造が可能と言うことになれば、男女の生殖における快楽もまた無用の長物となってしまうことになる。自然は人間を動かして事を成し遂げさせようとしているかのようであり、必要な程度に比例した快楽を与える方法でそれを成し遂げているように思える。つまり生命の保存は、味の快楽を通して食事を行わせることに導き、種族の保存は性行為による快楽を通して行われるように導かれているのではないだろうか。自然の神意とは、何ともまた不思議なほどに優れているのである。よってもし人造の食物によって生命を保ち、人造の生命によって種族を保つことになるとするならば、性の快楽がまず不必要となり、食味もしくは性行為に対する快楽は必然的に減退するようになるとだろうと考えるのは道理にかなっている。 こうして食物が人造になるならば、生命も人造の時代になるので、世界には恋愛も飢餓もなくなり、生存競争の構造は完全に一変して、詐欺、強盗、横領、姦淫等が無くなり、不良少年も姿を消し、共産主義や赤旗主義もその主張の根拠を失い、あらゆる物事に対するセンスは現代の我々が持っているものとは全然別の種類のものになり、最終的に人類は、電気仕掛けのアンドロイドのような、あるいは学者の想像する火星人のような生活に変わってしまうのではないだろうか。



カロリーメーターおよび人体標準食


 食物の良し悪しを判定するのに味覚および臭覚には依存せず、機械装置によって試験を行う方法が実現されている。この機械はカロリーメーターと呼ばれている。この機械は熱量(カロリー)を測る為のもので、2重壁の鉄器の中に決まった分量の食品を入れ、2重壁の隙間には水を満たしておき、フタで密閉して電流による発火で食品を内部で燃焼させ、その時に発生した熱量によって周囲の水温がどれだけ上昇したかで計測される。1立方センチメートルを、摂氏1℃だけ上昇させるのに必要な熱量が単位として、1カロリーとして標準化されている。こうして食品に何カロリーが含まれているかによって栄養上の価値の大小を数字的に決定しようとしている。

【 註 】
 1立方センチメートルの水を摂氏1℃だけ上昇させる熱量については、あまりにも単位が小さすぎる為に、費用上のロスが生じるという理由から、千倍の1ℓの水を摂氏一度だけ上昇させる熱量を単位とする大カロリー(kcalあるいはCal)も定められている。先に述べたカロリーは小カロリーと名付けてられている。現在、普通に使用されているものは大カロリーの方である。



 先に述べたように食品の栄養価値を機械によって数字的に計測する事と共に、一方で人体はどのような物質によって構成されているのかの研究も行われている。それによると

 無機物質・・・・・・水、塩類、ミネラル
 有機物質・・・・・・タンパク質、脂肪、炭水化物

等の物質を主要成分として成立しているとされている。人間の活動現象、つまり生き、働き、動く事は、これらの物質、特に有機物質が停止することなく継続的に変化し続け、体内に熱が発生するのが理由である。しかもこの熱は睡眠時間や覚醒時の区別なく常に体外への排出が続けられているので、人は生存する為に排出する熱の材料を、体外から取り入れなければならない。この取入れる方法を食事と言い、その材料は食物と名付けられ、取り入れ方や材料を自分の好みに加工することを料理と言うのである。ゆえに理論上では体外に排出する熱量を計算し、これに相当する熱を発生させる材料を体内に取り入れ続けるのであれば長く生存することが出来ることになる。国家の財政は歳入を試算し、歳出を制御することであると言われているが、栄養学は身体から出てゆく熱を測って、入ってくるものをコントロールすることであるとも言えだろう。

 食物が人間の体内において熱を発する理由は何故か。
 人間の食物は地上に生える植物(人造食物が実現できてない限り)である。もし人間が動物を食べたとしても、動物は植物を食べて生きているので、直接的あるいは間接的の差はあったとしても、結局、人間はすべて植物によって生存していると断定すべきである。基本的に植物は太陽の光線を受けることにより、光、熱および他の光線類を吸収し、体内の組織中に潜在的なエネルギーを蓄積する。人間が植物を食べると植物に蓄積された光熱も食べることになり、その食物は人間の消化器官において酸化分解作用を起こすことで、植物に含まれている潜在エネルギーが現エネルギーに変化するので、体温が生じ、運動を行うことが出来るようになるのである。
 もし食物を石炭に例えるとするならば、人体を型造る各組織は釜に相当し、これら組織において燃焼が行われる結果として、体温が発生し、運動などの生活現象を持続することが可能になる。つまりこれは蒸気機関車とまったく同じである。 つまり植物は、太陽から放射される現エネルギーを、潜在エネルギーにへと変換して自分の組織内に蓄えるが、人間はこうした植物を食べ、酸化作用によって潜在エネルギーを現エネルギーに逆転させているのである。このようにして熱や運動といったものが人間の生活現象となって現れるという訳である。

【 註 】
 全ての動物は、潜在エネルギーを含む植物を食べ、別に還元作用を行っているために、人間が草食動物を食べても、肉食動物を食べても、結局は植物を食べているのと同じなのである。


 前述したように人体は水、塩類、炭水化物、タンパク質、脂肪等の物質で構成されており、かつそれを燃焼して生きていることが明らかである以上は、その欠損を補う為に摂取しなければならない材料は同じ水、塩類、炭水化物、タンパク質、脂肪でなければならないことは説明するまでも無いだろう。その分量がどれくらいかと言えば、それは失われたのと同量を取れば足りるとされる。(子供は失われたエネルギーの他に、発育に要する量も摂取しなければならない為に、摂取量を増やさなければならないのは当然である)ただし職業、体質、気候等によって多少の差異がある。一般的な日本人の標準食として学者が発表している数値は以下である。

 タンパク質 94g  総熱量2445kcal
 脂肪    20g  利用熱量225kcal
 炭水化物  457g
 
 ただしこれは労役業務に従事している人に関する統計なので、学者や僧侶のような仕事の場合の熱量は、平均2200カロリー位で十分であるとされている。よって日本人の必要カロリーは次のようになるだろう。

 労働者体重  約4kgにつき183kcal
 非労働者体重 約4kgにつき170kcal

 ただしここで注意すべきなのは、各食品中に含有されている栄養量は、すべて残りなく体内で熱に変換される訳ではないという事である。消化し易いものと、そうでないもの、吸収され易いものと、そうでないものがあり、ここに大きな相違があることは免れられない。
 またタンパク質はカロリーメーターの熱量と、人体の熱量では異なっているので、食物全部が栄養化されている訳では無く、幾分かの損失があるのは免れられない。日本人の全食物の平均損失量は、摂取量の約15%とされているので、2200kcalの熱量を必要とする人は、2530kcalの摂取量を必要とするという事になる。つまり自分の体重を測って、計算し、それに15%を加えたものが、自分が取得しなければならない食品カロリーの量となる。一方で、各食品に含まれている有機物質の量を理解し、計算して配分するならば、自分に必要な標準的な食事カロリーをすぐに規定することが出来る。

 その物質に特有のカロリーを知るには、3.75g(1匁)のカロリーに基づいて計算する必要はない。なぜなら簡単なカロリー計算の基礎から、さらに理解を深めれば、種類によってカロリー量がすぐに分かるようになるからである。タンパク質ならば1グラムあたり何カロリーを排出するのか、また炭水化物であれば何カロリー、脂肪は何カロリー等と決まっているので、わざわざカロリーを測らなくても、その食品を分析し、食品中のタンパク質および炭水化物、脂肪の含まれている組織、分量を基礎として、それぞれを係数を掛けると食品に含有される総カロリー数を算出することが出来るのである。その結果、食品の中で甲は乙に勝っているとか、丙は乙に劣っているなどがすでに確定されており、それに基づいて、一見しただけで直ぐに分かる食品栄養価表が作られるようになっている。

 化学分析によって測られた食品栄養価だけでは、まだ十分に満足できるものはないことは前に述べた通りである。 人間の消化率と吸収率との関係から見て、その食品自体が分析上ではかなり栄養価に富んでいたとしても、消化吸収が出来ないものであれば、栄養価は皆無となる。例えばタンパク質でも植物の細胞素が結合したものであれば人体内では全く消化されない。また炭水化物でもガラクタン、マンナン等の種類は消化することが不可能であるため、人体の栄養にならないのである。ゆえに消化吸収率の試験を行ったとしても食品の栄養価を簡単に判断することは出来ない事になる。
 さらには、同じく消化吸収されたタンパク質であっても、その種類が身体を構成する組織と異なっているような場合は、栄養としての効果が乏しいので、各人はそれぞれ身体に合うものを選択する必要性がある。例えば日本では米飯よりも麦飯の方がタンパク質を多く含んでいるので、米飯は止めて、代わりに麦飯を推奨する宣伝が流行したことがあった。確かに米よりも麦の方がタンパク質の量においては優れているかもしれないが、消化吸収の試験の結果、吸収率において劣っているので、タンパク質の分量だけで食品の優劣を判断するのは難しいのである。 結果、人体に対する栄養の効果について、麦のタンパク質は、米に含まれるタンパク質の2倍は必要であることが明らかになり、米と麦の優位性が転倒することになったのである。 このように食品の栄養価については種々複雑な事情、条件等があるために、研究の進歩に伴って次第にこのような疑問が生じるようになっている。よって先に述べた標準食についても、理論上は人体を形成している物質と、これを働かせるのに必要な熱量が知られているだけでしかなく、その標準食によって人間の生命を本当に保持するのは難しいというのが現実かもしれない。人が命を保つことは神秘的であり、単純ではない。簿記や帳簿の様式に似た収支のバランスで、神秘の生命問題を解決しようとするのは、現在のところは残念ながらまだ至難の業であると言わざるを得ないのである。

 人間の生命活動を充実させるには、前にも指摘したように、学術的な理論以外にも必要なものが存在している事が明白である。しかしその必要なものとは一体、物質であるのか、あるいは到底、化学者の手には負えない神秘的なものであるのかについては、今日のところ、その正体すら見極め難い。学者の中にはこれがビタミンの作用であると説明する者がいる。最近、ビタミンが流行しているとは言っても、ビタミンに関する説明に関しては、未だ一般の学者を十分に納得させるようになる迄には至っていない。従って栄養学は現在でもなお研究の途上にあり、人造肉もしくは人工生命のような高い理想の実現は前途多難なのである。 人類が感性を失い、電気仕掛けのアンドロイドのような生活を送る時代になるとしても、それは今から幾十万年も後の事だろう。シルレル( ※ シラー“Johann Christoph Friedrich von Schiller” )の歌に、

 哲学者が何と言っても当分は
 飢えと恋との芝居が続く

とあるように、人類は当分の間、こうした人生における事実に直面しながら生きてゆく事こそが、人間に課せられた現実であるのだと言わざるを得ないのである。

【 備 考 - 】
 ビタミンは1912年に英国のフンク“Casimir Funk”( ※ ポーランド人の間違い )によって発見されたが、その発見の経路は日本の風土病である脚気病の研究から始まっていることは何とも奇妙な因縁である。日本人の脚気は白米を主食としている事と何らかの関係があると従来から主張されてきた。 種々の研究を重ねた結果、食品中のあるものには脚気に対して抵抗する抗脚気素が含まれており、これを含有しない食物を常用する人は脚気に罹ることが明らかになった。 試しに鶏に数週間、白米の餌で飼育したところ人間の脚気と同じ症状が現れた。次に鶏に玄米または半搗米はんつきまいを与ると、脚気は予防され、また治療できることが発見されたのである。このようにして1920年にフンク氏と鈴木博士とによって、抗脚気素の分離に成功することになり、それがビタミンと命名されたのである。
 抗脚気素の発見は続いて食品化学の大発見を導き栄養上において欠かすことのできない未知物質の探究を促すことになった。研究を重ねた結果、肝油からビタミンが発見され、続いて果物やジャガイモからビタミンAが発見され、壊血病、夜盲症、せむし病等の病原も明らかになった。その後、ビタミンD、ビタミンEが発見され、今後もこの方面の研究はますます進展する勢いがある。ただし今日までのところ、ビタミンは単に生理作用を研究して、その働きを論じるているだけであり、いまだ化学的にその本体を取り出すことは出来ていない。( ※ 現在は科学的生成が行われている )

【 備 考 二 】
 最近提唱されているヒルマ氏のネム式計算法と言うのは、基本的に食品の栄養価を測る為に、食品の有している熱量、つまりカロリーの割合を計測する方法である。正確に計測しようとしても、食物のカロリー数は同じでも、そのタンパク質の含量が著しく相違している場合がある。あるいは栄養素の含有量が不均等な場合には、カロリー数が同じでも栄養価まで同じであるとは限らない。こうした欠点を補うため、計測対象をひとつの完全な食品とみなし、その含有しているタンパク質、脂肪、炭水化物の割合によって単位を定め、すべての食品の成分に対してカロリー換算する方法である。

 


多食か小食か、菜食か肉食か


 「粗末なものを食べると面目顏色視るに足らず。故に食は必ず粱肉でなければならない」と2500年前に『墨子』が主張している。そして現代の医学者も、生理学者も基本的には出来るだけ良いものを食べ、なるべく多食して身体の栄養を十分に取ることで労働力を増大させ、あわせて病気に対する抵抗力を養っておくべきであると力説している。
 人体における生理の理論上からだけ見ると、こうした意見は肯定に値すると言えるかもしれないが、他方、俗説には「馬鹿の大食い」と言う表現もあり、これも一理あると言えるのかもしれない。生理的実験によると大食いの為に胃腸に多量の血液が集まり、頭脳の方の血液が欠乏するために、脳の働きが鈍るようになるとされている。古代から聖人や賢者、宗教家の多くは異口同音に、「なるべく食物は控え目にするように、ただ必要な分だけにするように」と述べている。また食事制限(節食)は、身体の健康に良く、長寿を保ち、かつ精神には気がみなぎるようになり、心を安らかにして身を天命にまかせ、どんなときにも動揺することのない生活を送るための根本となるのであると教え、多くの聖人が自ら実践してその模範を示している。『呂氏春秋』本生篇には、
「肥肉厚酒,務以自彊,命之曰爛腸之食」
「肥肉厚酒務めて以て自ら彊ふ、之を命けて爛腸の食と云う」
「肉を食べ美酒を飲み、自ら豪奢な食事に浸る、これを爛腸(らんちょう、胃腸を爛[ただ・れる]れさせる)の食、すなわち暴飲暴食による胃腸病(障害)を引き起こす食事という」

とあり、過食を戒めている。 また『呂氏春秋』重己篇には、

「是故先王不處大室,味不眾珍。味眾珍則胃充,胃充則中大鞔;中大鞔而氣不達,以此長生可得乎?非好儉而惡費也,節乎性也。」
「その故に先王は味衆珍ならず、味衆珍であれば則ち胃充ち、胃充つれば即ち中大に鞔す、中大に鞔して気達せず、これを以て長生し得べけんや。倹を好み費を悪むにあらず、性に節にするなり」
「その理由で先王は美食を行なわなかった、美食を行えば食べ過ぎてしまい胃が充ちる、胃が充ちると腹が膨れて、精神の鋭敏さが失われる、これでは長生は出来ない。倹約の故に美食を行わないのではなく、精神の為に節食するのである」

とあり、節食を薦めている。

 節食を主義とする者の代表として、中国では孔子、孔明が挙げられる。日本では曲直瀬道三まなせどうさん、貝原益軒等が節食における議論の実行者である。西洋では古代ギリシャのピタゴラスである。彼は一日二食だけで、パンと蜂蜜と生野菜だけを食べ、酒は一滴も飲まず、しかも99歳まで長寿を保っていたので、その日常の生活習慣はピタゴラス式生活法と呼ばれている。アデンの哲学者ソクラテスも、なるべく簡単なものを少量だけ食べており「人は食べる為だけに生きているのではない、生きる為に食べるのである」と教えていた。また快楽主義の主導者とされていたエピクロス自身も、その弟子たちも、飲食をただパンと水だけに限っていた。英国の歴史家ブルタークス( ※ ローマの歴史家ブルタークの間違いか? )の記述によると「古代の英国人の食物は主に草木と水に限られており、しかもその寿命は長く、130才以上であった」と述べている。またフランシス・ベイコンは、僧侶や隠者のような少食が最も長寿にメリットがある事には疑いないと論じている。18世紀から19世紀にかけて当時第一流の医学者フーへランド博士も簡単で淡白な食物は、摂生と長寿に利があると主張し、不老長寿の研究家であるフーカーも年齢と共に次第に食物を減少させ食事を淡白なものとするようにと説いている。

 特に最近では欧米の医学会でイエール大学のチッテンデン教授 “Russell Henry Chittenden”、デンマークのヒンドヘーデ “Mikkel Hindhede”、ドイツのドクトル・ロエゼ等が、中世時代におけるベネチアのフォン・コトナロや、アメリカ人のホレス・フレッチャー“Horace Fletcher”等の節食主義の実際生活を基礎として極度の小食論を主張し、現代の栄養学で示されている標準食が虚偽であることを証明しようと試みている。現にチッテンデンは大規模の栄養試験を行い、その成績は1905年に『栄養の生理学的経済』という著書において発表され、カール・フォン・フォイト “Carl von Voit” (ドイツの生理化学者で人間の食物分量を公定した人物)の主張に反対をしている。
 我が国でもこの種の議論に共鳴する人は少なくない。ただしこれらの議論が一貫して誰にでも適応できるかどうかの是非に関しては疑問である。現在、生理学者の多くは、人の精力を増進させ健康になるためには、なるべく良いものを、多く食べるようにと勧めているが、ある特異な層の人の実験結果を一般人に当てはめるのは間違いではないかとも考えているので、この議論の是非は容易に判断しがたいのである。しかし世間一般では少なくとも栄養研究による保険標準食の正しさが信じられているようである。

 人類が火による調理方法を発明して以来、食に適するように加工することで、野菜食だけや肉食だけに偏らず、草肉雑食が行われるようになってきたことは、前篇(第二章 第三節)で既に記述した通りである。こうした草肉混食が、現代の健康や保険の学術理論に適っているかについて論争はすでに行われなくなっている。
 植物性の食品は炭水化物を多く含んでいるがタンパク質に乏しい。それとは対照的に動物性の食品はタンパク質を多く含んでいるが炭水化物に乏しい。また植物にも脂肪を多く含んでいるものもあれば、乏しいものもある。肉食もまた同様で傾向にあり、人体の要求する栄養素であるタンパク質、脂肪、炭水化物をそれだけで最適な割合で含む食物は存在していない。つまり人体は草肉混用を必要としているのである。
 これを草食、肉食のどちらかに絞るならばどうだろう。現在のところ、肉だけで生存することは困難だが、草食だけでも生存には差し支えない。これが西洋にも日本にも菜食論を唱える人が少なくない理由となっている。菜食主義者には、ギリシャのピタゴラス一派、および仏教徒の一団がいた。ピタゴラス一派は人類が食事のための動物を殺すのは慈愛の心がない為であると論じ、菜食を主張している。仏教徒の菜食も同じで、慈悲の教理ゆえに殺生禁断が守られており、今でもなお肉食を禁じている場合が少なからずあるが、これらは生理的な問題というよりは、感情または宗教の関係に由来するものであるので、ここでは暫し別問題としておく。

 中国でも肉食と菜食のメリットとデメリットについて論じたものが少なくない。『孔子家語』に「食肉者勇毅而捍,食穀者智惠而巧」(肉食の者は勇ましく、穀物を食べる者の知は巧みである)とある。

また『左傳』には「肉食者鄙,未能遠謀」とあり

「肉食の者は鄙[いや]し。未だ遠く謀ること能わず」
「肉食の者はいやしく、深く考えをめぐらすことが出来ない」


 このように肉食者を賤しむ傾向が見られる。ヘーゲル“Georg Wilhelm Friedrich Hegel”の『歴史哲学講義』には「平和的で人間的な動物はすべて植物を食べており、肉食動物はその性質は凶暴である、かつ人類は歯の構造からみても肉食動物ではない」とある。またローマのストア派の哲学者であるムソニウスは熱心な菜食主義者であり、穀物、果実、野菜を最も自然に適している食物であるとして推奨し、肉食は思慮と知性を鈍らせると説いている。

 試しに菜食論者の学術的な主張を聞いてみると、肉食、つまりタンパク質を主成分とした食物を摂取している人と、炭水化物を主成分とする食物、つまり菜食の人と、骨格や年齢が同じ条件のものとで同一の仕事に当たらせると、肉食者には疲れやすく意志薄弱である者が多くなる傾向にあるが、菜食者は一般的に忍耐強く容易に疲労することがないとしている。 絶対菜食主義のインド人が西洋人に同伴してヒマラヤの高山に登る時、半裸の服装であっても山の寒風に耐えている。それだけでなく西洋人が早い段階から動けなくなるのと対照的に、彼らには山岳登攀でも疲労が見られないとして、故大学教授ベルツ博士は、登山旅行を行うのであれば一週間位前から肉食をやめて、菜食だけで過ごす方が良いと述べている。またこの議論の科学的な証明として、登攀者の尿を検査すると、排せつ物の多くに、タンパク質つまり含窒素物の分解されたものよりむしろ、菜食によって得られる成分の炭水化物の分解物が多く含まれている事を指摘してその主張の根拠としている。

 一方の肉食論者の主張は、肉はタンパク質と脂肪を多く含んでいる為に消化し易いが、植物は豆類を除くとタンパク質と脂肪に乏しく、消化されない繊維が多いため、消化吸収の面においてデメリットがあると述べている。 かつ人間の歯の構造も、腸の長さも、菜肉雑食に適するように出来ているのであれば、自然に逆らって一方だけに偏るのは良くないとしている。さらに肉体労働者は、量を多く食べるので野菜食だけでもタンパク質の栄養に不足はないが、頭脳労働者の方は少食なので、植物性の食物だけではタンパク質不足となる。特に人間の脳の大部分はリン(燐)から成り立っているので、脳を働かせる人は、血液中にリン酸が発生し、身体に有害な影響を及ぼすようになる。それを抹消するためは胃液の分泌が必要であるとして、肉を食べて胃液の分泌を促す必要があることを肉食を薦める根拠としている。

 これらの議論の正誤は学者の研究に任せておくとして、ここで明記しておく必要があるのは、すべての肉菜混食の動物は、若い時に肉食を嗜好しているが、年を取るに従って菜食を好むように変化するものが多くなるという事実である。鯉、鮒も育成中は盛んに動物質の餌を食べているが、十分に育成した後は植物質の餌を好むようになる。チョウザメ(鱘)は幼児期は歯を持っているが、成長すれば歯は消失してしまう。これは鮎も同じである。鮎が動物食を摂るのは幼魚期だけで、生育後は決して肉食を行わず、石苔だけを食べるようになる。鶏や七面鳥も、雛の時は昆虫類を食べるが、生育後はしだいに動物食を行わなくなる。どちらかというと主に穀物や野菜類を好むようになるのである。雀は普通は穀物類を食べているが、雛を養うためには毛虫が必要である。犬猫のような肉食獣ですら多少はこの傾向にある。人間も一般的に青年時代は肉が好むが、50~60歳以上になれば嗜好が一変して菜食になる人が非常に多い。

 南洋で難船して無人島に漂着した一群の人々がいた。毎夕その島に上陸する海亀の肉で飢えを凌いでいたが野菜が全く無かった為、肉だけで生きるよりは、死を覚悟してでも野菜を得ようとしてボートで当てもなく漕ぎ出したのである。こうして辛うじてある島に到達することが出来、わずかながらでも一種類の野菜を発見したので、以来、安心してそこで生活すようになったという。このように死を覚悟してまで他の島に野菜を探しに行ったという事実を見ても、人間にはかなり強烈に野菜を食べたいという生理的な自然の要求があり、それに動かされるのだという事が分かる。もし肉だけを長期に渡って食べているならば壊血病にかかってしまうことは良く知られている通りである。



国立栄養研究所の模範食


 昨年の元旦(大正12年)に国立栄養研究所は、「勅題料理」の名義で、甲乙の2つの方式に分けて10数種類のレシピを各新聞に発表した。「勅題料理」という貴族的な名前を冠しているのは、我が国の上流階級社会に料理の模範を示すためのものであって、これは昔の周代に天下の君子に民を倣わせようとして、百羞百醤の模範食が定められたことにあやかったもので、その意気は非常に積極的なものであった。
 しかしその献立および調理の内容を見てみると、そこに栄養を基礎にした何らかの新しい工夫があるとは思われない。また見栄えやセンスに重きを置いた研究もそこでは行われていない。単に街中でありふれている料理店の献立をもってきて、そこに蛋白質とカロリーの註釈を入れただけに過ぎないという感が否めない。しかも調味の方法は本書の主張と相容れないものが少なくないのである。よって、ここではその「勅題料理」なるものを紹介して、その内の2、3の料理法に対して評価を行い、本書の主張する論点を明らかにする事としたい。これが誤ってでも他山の石を得る事になって頂ければ幸いである。またもし本書の方に誤った判断や、間違った意見があるならば、これを是正して頂きたいと願うところである。

勅題料理

(大正12年元旦 国立栄養研究所発表)

御献立 (三人前)
お雑煮、向膾、椀、煮物、焼物、三種盛、小皿盛

 一. お雑煮、材料:ホウレン草50匁(蛋白4.3 熱量35)丸小餅60匁(蛋白12.8 熱量606)煮出し汁、鴨60匁(蛋白51.0 熱量274)鰹節、塩、醤油(計蛋白68 熱量915)

 二. 向膾、材料:大根150匁(蛋白3.9 熱量69)平目100匁(蛋白72.0 熱量311)昆布少々バクタイ三個、青海苔少々、塩、酢、砂糖(計蛋白759 熱量413)

 三. 椀 材料:蛤大3個30匁(蛋白12.4 熱量69)瑞長菜30匁(蛋白2.7 熱量22)柚子少々、煮出汁、塩、砂糖、平目肉30匁(蛋白21.6 熱量93)卵白身10匁(蛋白4.8 熱量21)醤油、片栗粉-匁(蛋白-- 熱量150)(計蛋白43.9 熱量355)

 四. 煮物 材料:キンコ50匁(蛋白38.6 熱量183)長芋100匁(蛋白10.5 熱量322)葵碗豆50匁(蛋白12.4 熱量155)煮出汁、味醂、塩、醤油

 五. 焼物 材料:甘鯛90匁(蛋白63.8 熱量320)奈良漬30匁、酒5勺、塩、モヤシ生姜5匁(蛋白125.3 熱量1083)砂糖少々(蛋白63.8 熱量378)

 六. 三種盛、青松蒲鉾 材料:青松蒲鉾60匁(蛋白47.0 熱量252)ホウレン草20匁(蛋白1.7 熱量14)卵の白身10匁(蛋白48 熱量21)味醂2勺(計蛋白53.5 熱量287)
富士きんとん 材料:サツマイモ100匁(蛋白4.0 熱量420)カチ栗50匁(蛋白5.4 熱量309)砂糖100匁(蛋白-- 熱量1.383)塩、大和芋50匁(蛋白5.2 熱量166)焼明礬少々、味醂3勺(蛋白14.6 熱量2278)
シノノメアンズ 材料:干し杏子50匁(蛋白6.7 熱量281)砂糖

 七. 小皿盛、田作 材料:田作30匁(蛋白77.7 熱量547)砂糖10匁醤油5勺、酒5勺
数の子 材料:数の子50匁(蛋白38.6 熱量183)味醂5勺、醤油5勺、鰹節3匁、塩




御献立(三人前)
向膾、椀、焼物、三種盛
 一. 向膾 材料:大根150匁(蛋白3.9 熱量101)塩サケ100匁(蛋白97.8 熱量510)おごのり30匁、ニンジン50匁(蛋白2.4 熱量73)塩、砂糖、酢、醤油(蛋白104.1 熱量684)

調理法 鮭は荒巻を選び、皮をそぎ、酢に少し浸し、刺身のように作って置く。大根とニンジンは一寸位に切って、皮をむき、白髪のように細切りして、水に晒す。おごのりは熱湯に入れてさっと茹で、水に取って丁寧に洗い、水を切って5分切にしておく。三杯酢は酢1合を煮立て、砂糖15匁と醤油3勺を加えて、沸騰したら火からおろして直ちに他の器に移して冷まして置く。皿の向こうに大根を山高く盛り、手前に鮭を体裁よく盛って、右脇におごのりを盛って、三杯酢を添えてお膳の右向こうに置く。

注意 鮭の塩が強い場合は、塩抜きをする。大根とニンジンは塩もみをした後、酢の味を付けても良い。

 二. お椀 材料:蛤30匁(蛋白14.8 熱量69)シンパソウ(ホンダワラ)3匁、三つ葉少々、鰹節煮出し汁5合、塩、醤油、柚子(計蛋白14.8 熱量69)

調理法 蛤は一人一個の大きさのものを選び、丁寧に洗って鍋に入れ、被るぐらいの水を入れて、しばらく煮て殻が全部開いたら火からおろし、殻を離してよく煮汁で洗い、再び殻に入れ、蓋をしておく。シンパソウは水に浸して、柔らかくなった頃に熱湯に投じてサッと茹でから水に晒し、一寸位に切っておく。鍋に煮出し汁を入れ、煮立ったぐらいで、蛤の煮汁を少量加えて、塩と醤油で調味して、椀と蛤と神馬藻および三つ葉を盛り合わせ、柚子を一片入れ、煮出し汁を注いで御膳の右手前に置く。

注意 神馬藻とはホンダワラの事である。また蛤は細かく切って殻に戻しても良い。

 三. 煮物 材料:猪50匁(山鯨-ヤマクジラ)は細かく叩き、少量の塩と卵を混ぜて、一人椀で三つぐらいに丸め、鍋に味醂5勺を煮立て、煮出し汁5勺を加えて、煮立った時に猪を入れ、落し蓋をしてしばらく煮て、醤油3勺を注いで、汁の無くなる位カラリと煮上げて置く。独活は一寸位に切って皮をむき、水に晒した後、熱湯にいれて程よく茹で、湯を切って鍋に戻し、被るぐらいの煮汁を入れて、少量の砂糖と塩と醤油で、色の付かないように味を付けて、エンドウ豆はすじを取って熱湯に入れ、サッと茹でてザルに取って、少量の塩を散布して十分に冷ましてから、独活と同じように味を付けて、小丼の中に独活を盛り、猪も有り合わせ、上に緑豆を載せて御膳の中央に置く。

注意 独活を茹でてアクが出ないようにするには水5合の中に酢を3勺を入れると良い。猪を用いるのはその年を祝うと言う意味がある。代用として鴨、鶏を使っても良い。

 四. 焼物 材料:鰆100匁(蛋白72.0 熱量356)白酒100匁(蛋白-- 熱量750)香茸30匁(蛋白-- 熱量--)干し杏子30匁(計蛋白4.0 熱量119)味醂30匁(蛋白-- 熱量294)塩、砂糖、醤油(計蛋白76.0 熱量1687) 調理法 鰆は一人一切れを碗の大きさに切り、少量の塩を散布して、2~3時間の後、水でざっと洗い、白酒の中に2日間位漬けて置いた後で串にさして、遠火で白酒をかけながら、あまり焦げないように焼き上げ、皿に盛り、香茸と杏を盛り合わせ、御膳の左向こうに置く。 注意 香茸は十分茹でて、水に取って洗い、細く刻みしばらく水煮して酒を加えて、さらにしばらく煮て、味醂あるいは砂糖を加えて、十分員につめる。杏は熱湯に入れてサッと茹で、汁を搾り少量の水を加えて白砂糖を適宜加え、半紙を蓋にしてトロ火で暫く煮て火からおろしてふくませ、よく冷ます。

 五. 三種盛、富士玉子 材料:卵50匁(蛋白24.3 熱量311)平目80匁(蛋白57.6 熱量248)酒、砂糖、塩、醤油(計蛋白81.9 熱量559)
調理法 玉子は黄身と白身に分け、白身を丼にいれて、少量の塩と砂糖で薄味を付け、蒸し器で硬く蒸した後、裏ごしをしておく。平目は細かく叩き、1匁の塩を加えて良く摺り、裏ごしにかけて再び摺りながら、玉子の黄身を徐々に加え、酒5勺と砂糖10匁と醤油2勺を順次混ぜて、玉子焼き鍋の焼け加減になった時、玉子を一度に注ぎ、下火を弱く、上火を強くして程よく焼き上げ、簾に巻いて十分に冷めた時に、7分位の厚さに切って、切り口を上に向け、前に裏漉しにかけてある白身を上に山高く盛る。

注意 玉子焼きフライパンの蓋のない場合は、焙烙を上に載せる。またフライパンが小さいときは5分位の厚さにして何度も焼くと良い。

シノノメ蒲鉾 材料:蒲鉾(蛋白39.1 熱量210)雲丹少々、味醂少々
調理法 蒲鉾は小口から3分厚さに切り、雲丹と味醂を混ぜたものを刷毛で上面の半分に塗り、文火でザッと炙り、下部には焼火箸で雲形に焼目を付ける。

磯辺牛蒡 材料:牛蒡100匁(蛋白5.2 熱量412)煮出し汁、砂糖、塩、醤油、青海苔少々、玉子の白身5匁(蛋白2.4 熱量11)米糠少々(蛋白7.6 熱量423)
調理法 細い牛蒡を選び、皮をむいて一寸位に切り、少量の糠を加えて柔らかく茹で、水でよく洗って鍋に入れ、被るくらいの煮汁を入れて、しばらく煮て味醂あるいは砂糖を適宜加えて、これが煮溶けた時に少量の塩と醤油でこってりと味をつけ、程よく煮上げ、串に刺して青海苔と白身の混合物を付けてザッと炙る、右三品が出来たならば、皿の向こうに富士玉子を盛って、その手前に蒲鉾を立てかけ、右の手前の方に牛蒡3本を重ねてつける。この皿は別の盆に置く。

注意 前の品々をお膳に置いたならば、左手前にご飯茶碗を置き、中央の煮物のそばに香の物を置く

以上

 まずは献立の第一番に挙げられている雑煮を見ると、材料はホウレン草、小餅、煮出し汁、鴨、鰹節、醤油等とある。しかしこの内容であれば鴨を主材料とした雑煮の献立とすべきである。正月雑煮は我が国では古代からほぼ定められた方式がある。貝原益軒の『歳時記』に(延喜式土佐日記参照)「昨年に作っておいた餅に昆布、打あわび、いりこ、ゴボウ、山芋、すずな、栗、するめ、大根、いもなどを加えて煮て羹として食べる、これを雑煮と言う」とある。よって調理法は、干し魚で汁に味を付ける事だけに止め、なるべく腥気を避けるためのに野菜や乾物類を使い、餅の本味を邪魔しないようにしなければならない。従ってあまり濃厚のものを使用すべきではないのである。もしそうするならかえって正月雑煮の奥ゆかしさを無くしてしまい、俗っぽくなってしまうだろう。 ただし時代の変遷に合わせて少々は新しい工夫のあるものを作ろうというのであればそれは可である。それでもこの調味の方法に関してはどうしても同意できない部分がある。まず材料中に砂糖が入っていないのは如何なものだろうか。もしかすると記入し忘れたのではないか。本来の主義としては、砂糖はなるべく避けたいのであるが、鴨雑煮の場合であるならば、調味の目的として味を厚くする為に少量の砂糖を使うのはやむを得ないかもしれない。鹹味として塩、醤油とある。塩と醤油を併用するのは中国人のよく使う方法であり、汁の味を清鮮にする効果はあるが、塩を砂糖と調和させる方法は菓子等の他は、植物性の煮物の場合に限られており、動物性の汁物の場合は互いに消殺不和の感じがある。よってこの場合には砂糖を加えて、塩を取り除いた方が良い。ただし汁の淡白さを望むのであれば、砂糖を除いて、塩と醤油で味を付ける方法が最適であることは言うまでもない。とにかく汁物に関しては、砂糖と塩は両立しないのである。 鳥で雑煮を作ろうとするならば、鴨よりも雉子か山鳥のような山禽類を使う方が適切であるが、日本の正月は鴨の季節である。世間では鴨雑煮が流行しているのでこの献立でも良いのかもしれない。しかし単に鴨と称していても、その中には小鴨があり、中鴨があり、真鴨もある。もし味の繊細さを望むならば小鴨を選ぶべきであり、脂の乗ったものを好むのであれば中鴨を選ぶべきであり、味の厚みを望むならば真鴨である。ただ真鴨は中国や朝鮮からの輸入物が多く、また家鴨あひると鴨を交配させた人造鴨が越後の辺からきているので、品質の見分け方には注意を要さなければならない。鴨は渡り鳥であるので遠く離れたもの程品質が良いとされている。よって東北のものよりも東京付近のもの、東京よりも関西のもの、関西のものよりも九州のものの方が味が良いのである。(ただし遠く離れる程、季節は遅れるものとする)
 先に雑煮には鴨肉があまり適していないと述べたが、これは味についてだけ言っているだけではない。鴨肉には多量の血液が含まれているので(鶏や雉子の肉と違い肉色は深紅である)これが汁物に濁りを生じさせ、いくらかの血なまぐささがあるからである。これとは対照的に雉子、山鳥類であるならば、その汁は清鮮に澄んでいて、それでありながら肉にも一種の香気がある。(第三章参照)そしてその味わいは、米および餅類にも非常に良く調和するのである。

 ホウレン草は餅に添えるものであり、これを献立に入れることに異議はないが、鴨を主とする汁物であるならば、むしろ田芹を添えた方が一層良くなるだろう。陸鳥には牛蒡、水鳥には田芹が最も良く調和するとされているからである。最後に補助味として鰹節を鴨肉に加えるのは非常にまずい方法であり、その煮汁を使って二重に補助味を加えようとするのは関心できない。つまりこれは誤りを二重に犯している調理法である。およそ補助味というものは、本味が無味淡白な為に独自で味を出せないものに限って、鰹節その他の煮出汁類で味を補助する為のものである。例えば『歳時記』で記されている雑煮の場合であれば、もし打あわびも、イリコもなければ、代用として鰹節を入れて味の補助に用いるのは別に否定はしない。しかし材料の本味に付いて何も考慮することなく、濫りに出汁を使用するのはかえって味を乱して混濁させてしまうことになるのは前章で既に説明した通りである。 もともと日本の料理はあまり本味を吟味せず、またこれを重視しようという傾向もないので、すべてにおいて、料理に補助味として砂糖のようなものを濫用して味付けしようとする傾向がある。(第四章参照)こうした傾向はいわゆる料理の商業主義から始まったいやしい習慣であって非常に忌むべきことなのである。『随園食単』には「雉、猪、魚、鴨は豪傑自立の士である。これにアレンジを施して補助味を加える事は、立派な人物を、他人より立場の低い場所に立たせておくようなもので、本味に対する侮辱である」と極論を述べている。 実に料理とは、一椀一味であり、一物一性として提供するようでありたいものである。もし味を厚くするため補助味を必要とする狙いがあるならば、鴨の肉60匁とあるところを100匁と多めに入れるのが良い。もし鴨肉だけでは単純すぎるので、もう少しだけ複雑な味にしたいと望むのであれば、全然素質の異なる植物性の出汁を取っておき、鴨の味と調和させるならば、動物性の出汁を使った二重補助をするような間違いを犯すのを避けることが出来るだろう。つまり世間で一般的に使われている大豆の割り下の様なものならば、必ずしも本味を乱さずに味を調和させることが出来るという訳である。とにかく鰹節、出汁の補助はこの場合には使わない方が良いのである。

 もし雑煮餅が柔らかいものを望むならば、鴨の汁に醤油を入れる前に、炙った餅と少量の砂糖を入れて、ひとふきさせた後に醤油で味をつける。次に餅があまり柔らかいのを好まないのであれば、まず醤油と砂糖で汁の味を付けた後に、炙った餅を入れるようにする。汁に塩分があれば、餅は簡単には柔らかくはならないのである。

【 備 考 】
 大豆の煮出汁の製法 材料:大豆30匁水 5合、酒3合、砂糖15匁、醤油1合
調理法 まず鍋に大豆を入れ、きれいに洗った後で水を加え、とろ火で十分に煮詰める。煮汁が2合ぐらいになった時にこれを濾して、酒と醤油を加え、煮立ったら砂糖を入れ、さらに15分間ぐらい、とろ火で煮詰めてから使う。
注意 かす大豆は、適宜味をつけておけば他にも使用する方法がある。もし煮ながら汁が煮詰まってからくなるようなことがあれば、煮出汁あるいは水を注ぎ足しても良い。



 次に乙の献立第三にある煮物料理を取り上げる。材料、猪肉、玉子、サヤエンドウ、味醂、醤油、煮出汁、砂糖とある。調理法の記載には「猪肉は極細かく叩いて、少量の玉子と塩を混ぜて一人当たり3つ位に丸める。鍋に味醂5勺を煮立てて、これに煮出汁5勺を加え、煮立ってから猪肉を入れ、落し蓋をして、しばらく煮てから醤油3勺を注いで、汁が無くなるまでカラリと煮上げる」とある。

 猪肉を叩きにして、玉子を入れ煮出汁と味醂で煮物にするなどとは非常に珍妙である。遠慮なく言わせて頂くと、これは調理の原則を無視し、いわゆる小さな技巧をてらうことで反って本来の持ち味を殺すような弊害に陥ってしまっている悪例である。猪は『随園食単』の中では独立豪傑の士であり、独立の力があるとされている。よって何ら他の補助に頼る必要などない。それだけなく味が濃く、重く、力強いので往々にしてそこに困ることがあるくらいである。 このような素材は味の加減と、水と火の力によってその弊害を除くことに全力を尽くす必要があるにもかかわらず、玉子を混ぜたり、煮出汁を入れたり、砂糖と味醂を加えたりするようなことは、その本来の味を逆用する、商業主義の弊害を極めて露骨に現す行為なのである。玉子と出汁と砂糖と味醂が、猪肉と混ざるならば、本味は混濁してその味は厚くはならず、かと言って薄くもなく、白とも黒とも、どっちつかずのものとなってしまうだろう。
 これに加えて、素材には荒味あらみの物(中国人はそれを武肉という)細味さいみの物(中国で文肉という)がある。荒肉は荒く、細味は細かく、すべてその自然の持っている性質に従うというのが原則である。故に随園も、素材にアレンジや補佐の必要があるとしても、剛の素材であれば剛を配し、柔の素材には柔を配し、清の素材には清を配し、濃いものには濃を配するべきであることを『随園食単』の中で説いているのである。
 よって武肉の首位に置かれるべきである猪肉を叩きにして、これに玉子、煮出汁汁、砂糖、味醂で加味するのは、屈強の壮士が女性の恰好をしているようでまるで似合わない。中国の肉料理にごうと呼ばれる料理法があって、これは肉を打ってタタキにすることであるが、肉桂や薑の香味料をかけるだけで、補助味を加える事は行わない。西洋料理でも肉をタタキで使うことがあるが、勅題料理の場合と全くその本質が異なっているのである。我国でも鳩、鶉、雉子、小鴨の類を、骨入りのタタキ肉で使う場合はあるが、これは骨と髄の香味を味わおうとする為である。玉子の味とすりまぜて味が調和するのはある種の魚にだけ限られるものである。(第四章参照) 従って猪肉をタタキにする事は不必要と思われる。また煮出汁を加える理由も不明である。味醂を使うのであれば砂糖は不要であり、砂糖を使うのであれば味醂は不要である。2重3重に補助味や甘味を加えるようなことは必要ないのである。
 猪肉を煮物にする必要があれば、日本流の普通の煮方で十分である。しかし、もしそれでも物足りないということであれば、中国流の真似をして、猪の腰肉、または前足の肩肉を一度、湯で茹でた後、その湯を捨てて、その肉を醤油に浸して冷ました後、ラードで揚げてから蒸すならば一層美味なものとなる。

 もし料理の巧みさを示す為に、わざわざ念入りに手を掛けて世間の喝采を浴びたいのであれば他の方法もある。まずは猪肉の肩肉を選び、その脂肪の部分を取り除き、細かく叩いて筋を取り除き、すり鉢に入れてよく摺って、これに卵の黄身だけを肉15匁に1個位の割合で摺り混ぜ、砂糖と塩を加えて裏漉しにかけてよく漉してカスを取り去り、竹の皮の中に平たく延ばして、蒸籠で一度蒸す。これを鉄板に油をしいた上に載せて、外側の少し焦げる程度まで焼く。こうして熱して水分を無くすことで、一種の香気を帯びるようになり、技巧をてらって本来の持ち味を殺すような弊害を除くのである。独活などを取り合わせ、適当な量に切って皿に盛ると、猪の肉であることに気付く人はいないだろう。ただしこれは細工に過ぎたものであり、あまり好ましい料理ではない事を知っていなければならない。

 次に乙の献立の中に焼物がある。材料はさわら、干杏子、白酒、味醂、塩、砂糖、醤油とあって、調理法を見ると「鰆を一人一切れの大きさに切り、少量の塩を振りかけて2、3時間の後、水でザッと洗い、白酒に2日間漬けて置いた後に串に刺し、遠火で白酒をかけながら、あまり焦げないように焼き上げて皿に盛り、香茸と杏を盛り合わせて、膳の左向こうに置く」とある。
 しかし魚の切身は余程丁寧に取り扱わなければ、その本味を散逸させてしまうので、水をかけて洗う事や、生身の魚を酒に浸すなどは真っ先に戒められなければならない事である。この料理法では、塩を散布してから洗うとあるが、むしろ水を使わずに丁寧に塩を拭い去ればそれで良いのである。白酒に漬けるのであれば、洗うに必要はないようにも思われる。魚を酒の粕に漬ける事は良く聞くが、白酒に漬けるというのは初めて聞く料理法である。古代中国の料理に、新鮮な肉を美酒に浸したものを「肉醤」また梅から取った酢に付けて食べる方法を「漬」と言うが、これは膾のようなものであるので、今回の調理法とは全然その本質が異なっている。ここに記載されている調理法によると「2日間白酒に浸したものを遠火で白酒をかけながら炙る」とある。この炙り方もちょっと理解しかねる調理法である。

 基本的に調理には、炙り方にも、煮方にも火の使用法に定められた決まりがあって、炙り物は火力が強く時間の短くすることが大事である。もし火力が弱ければ、素材はくたびれて味を失ってしまう。よって炭を良く起こしてその炎を殺して落ち着かせ、強い火力で手早く焼き上げることを目指さなければならない。それなのに白酒をかけながら、さらに火力を防ぎ遠火で炙るなどとするのは非常に理解に苦しむ。これは焼き方の原則に逆行したものである。 また皮の方から焼くか、身の方から焼くかに関して言及されておらず無頓着であるのも、焼き方の本質を捉えているとは思えない。鰻の蒲焼のようにタレに浸してから炙り上げることにあやかって、それを行おうとしているのであるとすると、それは大きな間違いである。 鰻は脂肪分が強いため、特に火を引き寄せやすい性質がある。しかも右手には団扇を放さず、熱を煽ることによって肉の中心まで、熱を非常に早く届かせることが出来るため肉の持ち味は枯らさず、一方ではタレの焦げが香気をもたらすのである。つまり鰻の蒲焼は、鰻のもつ特殊な性質を利用したものであるので、性質の異なる鰆の炙り物とは全くその主目的が異なっているのである。

 次に乙の献立にある「お椀料理」であるが、これも蛤を煮る方法に、例の鰹節出汁を使用してあるので、とても同意する事ができない。元来、煮方は長時間煮る事が重要視されているが、蛤類は例外で、最も早煮することが重要で、しかもその味は鍋から降ろした瞬間にこそあるとされている。随園のいわゆる現烹げんぽう現喫げんきつとは特に蛤料理において重要である。もし長く煮すぎるか、または鍋を下して時間が過ぎるならば、味は瞬く間に消え失せてしまい次第に不味くなってしまうだろう。
 この勅題料理献立にある調理法に従うのであれば、一度煮て、それから身をはがし、再び殻に入れて保存しておいて、別に煮出汁をかけて椀に盛るとしてある。しかし、こうしたことをすれば肉も汁も蛤の味が抜け去ってしまい、本味の抜け去ってしまった出し殻を、他の煮出汁の味で味わっている事になってしまう。簡単な煮方を有り難がって、現烹・現喫で当たるべき蛤を佃煮などにするのは最も不格好である。
 蛤の食べ方は種々あるが、その中では「焼き蛤」を第一とすべきである。その焼き蛤は昔から三重県の桑名が第一である。松かさの火で焼くと、味は特に良い。ただし実際には「焼き蛤」は、潮を吐き出させ、火を消して、灰を散らすなど手数がかかり、かなり面倒なので、ここで最も簡単な焼いてすぐ食べる方法を紹介する。まず七輪に強火を起こし、鉄の殻鍋をかけておく。やがて鍋が十分に熱したならば、その中に蛤を入れ、鍋の中に爆音と共に蛤の口が開いたものを取り出しては食べ、また蛤を入れては食べるのである。そして蛤を汁にする場合はなるべく簡易に煮て、蛤の口の開くのを待って直ぐに食べなければならない。

 以上の評価を見て頂くと、本書の主張がほぼ明らかになったのではないだろうか。他の評価に関しては詳述しないが、この主題から類推して頂くことを望む次第である。



中国王朝時代の食物調理に関する官制およびその模範食


 周代は今から3000年も遡る昔の時代である。この時代の食味を取り上げて、現代の栄養研究の模範食と対比させようというのは、時代があまりにもかけ離れている感じがするが、周代では既に、食に関する官府が設けられ、かつ衛生保健の観点から医師を調味の任に当たらせて王室の食事を作り、これを模範食として世に公表して食物の標準を知らせようとしていたとあるので、これは今日の国立栄養研究所の事業と類似しているとこも少なくない。逆に時代の隔たりの大きさこそが却ってこの対照の面白さになるだろう。ここではその概要を挙げて、温故知新の栞としておきたい。

 周官の制度を見ると、人間の世の中で生きてゆくことの目的は安(安心)と飽(十分な食事)にあるとの理由から、宮室と食膳の事が官制のまず最初に置かれていた。総理大臣(天官冢宰と称する)直属として、膳夫、食医、庖人、内餐、外餐、亨人、甸師、獣人、漁人、鼈人、腊人、酒正、酒人、漿人、凌人、籩人、醢人、醯人、鹽人、冪人等の諸官府が設置され王室の食事の仕事に当っていた。各官府はいずれも上士、中士、下士、史、徒の階級に分けられていて20人以上から350人以下を定員として組織されていた。

 これら諸官府の職務規定を見ると、膳夫は食味の長官であり、今の大膳頭に当たろ。食医は内科および外科の専門医であり、食味に関わる医官であった。庖人は畜獣家禽類の食品材料および調理の係であり、季節および名物を区別することもその職務のひとつであった。内餐とは宮廷内方の食膳の仕事を行い、外餐とは祭祀の供物および賓客の接待等で、外部のご馳走の仕事に当たっていた。亨人はすべての料理の煮方であり、水火の加減を管理し、甸師は穀類、野菜、果実、薪炭材料の仕事に当たっていた。獣人は野獣や野禽、漁人は魚類、鼈人はスッポン、甲殻類の漁獲の担当であった。腊人は乾魚、干肉の部門であり、酒正は酒の政令、造酒の方式などの仕事に当たり、今の造醸試験所のようなものであり、酒人とは酒の実際の製造および保管の仕事に当たり、漿人は水および清涼飲料の部門、凌人は氷および冷蔵庫の部門であった。籩人とは竹器に盛る食物の係、醢人、醯人は皿に盛る供物および肉醤を担当し、鹽人は塩を取り扱う部門、冪人は料理品の上に布を覆い、ホコリや蠅を防ぐ役割を担当していた。

 このように飲食に関する周代の官府組織はかなり広範囲であり、かつ複雑なものであって、現在の大膳職、栄養研究所、狩獲官も包含していた。また益鳥や益獣の保護、害虫、害獣の駆除に至るまで、かなりの注意を払って行われ、魚鼈を獲る際にもその時節を見極めて行い、かつ毒薬を川に流すことを禁じ、一定の漁業税を徴収していた事なども現代の我国における制度と同様である。農業においては春蒐、夏苗、秋穫、冬狩の4ヶ条が規定されている。春は動物の育成を助ける意味で、幼児の中から育成不良のものを除去し、夏苗とは幼児の発育で害のあるものを除き去ってその生育を助け、秋は枯れてもの寂しい秋の自然のままに従って生育を遂げたものを狩り、冬はすべての動物は生育したものとして狩るという意味である。また係官は各名物、および季節を判断して、狼は冬、鹿は夏、その他の獣類は春秋に献上することを命じ、鮪の類および鼈と蛤は春のもの、亀は秋のものと定めていた。

 衛生保健の方面の施設に関しては、凡治市之貨賄、六畜、珍異,亡者使有,利者使阜,害者使亡と言い、また、凡市偽飾之禁,在民者十有二,在商者十有二、とある。これらは公衆衛生に危害がある事柄を禁止する政令である。『禮記』「王制」の偽飾の禁止事項の中にも、

  五穀不時,果實未熟,不粥於市
  禽獸魚鱉不中殺,不粥於市

と規定されており、季節が不適当なもの、または衛生に関して害があると認められたものは売買が禁じられていた。食品の温度、および食物とその時期が対応していなければならないとする食医職の規定については、

  凡食齊視春時,羹齊視夏時,醬齊視秋時,飲齊視冬時。
  凡和,春多酸,夏多苦,秋多辛,冬多咸,調以滑甘。

とある。つまり飯は春の気候に合わせてなるべく温く、汁物は夏の時期になぞらえてなるべく熱いものを、醤は冷たく涼やかに、飲料は冷たいものが望ましいと言っている。人体の生理学上の自然な欲求についても春の食事は酸味を多めにし、夏は苦味、秋は辛味、冬は塩味を強くし、どの季節であっても甘味を使って味をなめらかに整えるべきであると説いている。次に食材と味の配合については、

  凡會膳食之宜,牛宜稌,羊宜黍,
  豕宜稷,犬宜粱,雁宜麥,魚宜菰


とある。牛は米に合い、羊はきびによく、豚はしょくによく、犬はたかきび(コーリャン)、雁は麦、魚はまこもが良く適していることが規定されている。さらに時節と食味の関係および補助味との調和に関しては、

  掌共六畜、六獸、六禽,辨其名物
  凡用禽獻,春行羔豚,膳膏香
  夏行腒鱐,膳膏臊、秋行犢麛,膳膏腥
  冬行蘼鮮羽,膳膏膻


と規定されている。六畜とは馬、牛、羊、豚、犬、鶏のことである。六獣は大鹿、鹿、熊、ノロ、猪、兎。六禽は雁、うずら、雉子、鳩、鴒である。膏香は牛の油である。腒鱐とあるが、腒は雉子の乾肉、鱐とは乾魚の事である。膏臊とは犬の脂肪である。膏腥は雉の脂肪、鮮羽は魚と雁のこと、膏膻とは羊の脂肪のことである。つまり春の羊豚の季節には牛の油を使い、夏の乾鳥や乾魚の場合は犬の脂肪を使い、秋の子牛や小鹿の季節には雉子の脂肪を使い、冬の魚と雁の季節には羊の油を使うようにと薦めている。また植物原料の選択と品質の選別においては、

  割亨煎和之事,辨體名肉物,辨百品味之物
  辨腥臊膻香之不可食者:牛夜鳴,則庮
  羊泠毛而毳,膻;犬赤股而躁,臊
  鳥皫色而沙鳴,貍;豕盲視而交睫,腥
  馬黑脊而般臂,螻


とある。臊膻香とは鶏、犬、羊、牛の事である。庮とあるのは悪臭の事である。冷毛とは毛の抜け落ちていることである。皫色とは羽毛の光沢のないことを言う。沙鳴とは声の変わった鳴き声である、貍とは腐臭である、盲視とは眼の見えない事、般臂とは毛のちじれている事を言う。螻とはオケラの臭いのことを言う。つまり夜鳴きする牛、毛の抜け落ちた羊、羽の光沢が無くなり鳴き声の変な鶏、内股が赤く腫れている犬、盲目で眉毛のもつれている豚、背中が黒く毛のちじれている馬、これらは全部食べるべきではないとしてあり、家畜類の外観の症状によって食べるのに適さないものが規定されている。

 

 酒は「酒正」がそれを選別して泛齊(にごり酒)、醴齊(甘酒)、盎齊(白色の酒)、緹齊(赤みを帯びた酒)、沈齊(清酒)の5種類に分け、またさらに事酒、昔酒、清酒に区別も行う。事酒とは事あるごとに飲む酒の事である。昔酒とは無事の日に飲む酒で一夜づくりの酒では無く、長期間醸造して出来た酒の事である。清酒は古酒であり最上のものとされ、祭祀の時に用いられる。
 清涼水その他の飲料は「漿人」が管理しており、水、漿、醴、涼、醫、酏の6種類に分けて、これを六飲と言った。漿とは清涼飲料水の事であり、醴とは澄んだ甘酒、涼は酒を水で割ったもの、醫とは青梅から取った飲み物、酏とは米で作った薄粥のような飲み物である。
 氷は「凌人」が担当しており、毎年12月に堅氷を貯え、春期に冷蔵庫を開いて王室の食品、酒類のすべてを保管し、腐敗や味の変化を防ぎ、また夏期には氷を臣民に分け与えていた。

 当代の王室の食卓がいかに贅沢であったかについては、宮室内外の費用は各年度ごとに清算し決算されていたにもかかわらず、王および后の食事に関する費用に関しては一切の決算は行われず、出費が一切問われていなかったことから知ることが出来る。王の食事の為に官制として定められていたのは

  食用六穀
  膳用六牲
  飲用六清
  羞用百二十品
  醤用百二十甕
  珍用八物

とある。そして「食医」の職務の中には、凡君子之食,恒放焉(君子の食事は常にこれに倣う)と規定されており、このような王の食事を定めて模範食とする役割が含まれていた。食用六穀とあるのは米、黍、しょくあわ、麦、まこもを飯用とすることである。六牲(六畜と同じで、馬、牛、羊、豚、犬、鶏)と、六清(六飲と同じで、水、漿、醴、涼、醫、酏)に関しては前に説明した通りである。
 羞百二十品についてはその品目の記載が無いために、その品目をひとつひとつを示すことが出来ないが、『禮記』内則に記されている、麋、鹿、田豕、麇、皆有軒、雉兔皆有芼。爵、鷃、蜩、范などが美味百二十品に数えられると考えられる。

 醤百二十甕とあるのは、醢、醯、臡醓などの肉醤の事であり、百二十甕の調味料を整えていたということである。醢とは、魚、鳥、獣等を叩いて糀と混ぜて、塩を加えて美酒に浸し、百日間、甕のなかに密閉しておいて作る肉醤である。醯も同じ方法で作ったものに酸味が加わったもの、臡とは肉も骨も髄も一緒に叩いて混ぜて作るもの、醓とは動物の血液と糀と美酒と塩で同様の方法によって作られたものである。当時の習慣では肉類や野菜の料理に直接は塩を加えず、多くは肉醤につけて食べていた。これは日本で刺身に醤油をつけて食べているのに似ている、これらの食材と醤を合わせて二百四十品となる。そしてこれらの食事は献立の記録が残されていないので詳細に知ることは出来ないが、『周官』に記載されている「宗廟祭祀」で使われている供物が、王室料理とおおよそ同じものであるようなので、次にその供物を説明することによって、ほぼその食事の献立を想像することが可能となると思われる。

「宗廟祭祀」について

 朝事の籩、麷、蕡、白、黑、形鹽、膴、鮑魚、鱐
 朝事の豆、韭菹、蚳醢,昌本、麋臡,菁菹、鹿臡,茆菹、麇臡
 饋食の籩、棗、栗、桃、乾橑、榛實
 饋食の豆、葵菹、蠃醢,脾析、蜱醢,蜃、蚳醢,豚拍、魚醢
 加籩の實、菱、芡、栗、脯、菱、芡、栗、脯
 加豆の實、芹菹、兔醢,深蒲、醓醢,箈菹、雁醢,筍菹、魚醢
 羞籩の實、糗餌、粉栥
 羞豆の食、酏食、糝食

と定められている。籩とは竹の器に盛る供物である。豆とあるのは肉類を盛る皿のことであるのは前に説明した通りである。朝時、饋食、加籩、羞籩、羞豆の祭祀は周王朝においては最も重要な政務である。
 「朝事の籩」に麷とあるのは麦のことである。蕡とは麻の事である。白とは米、黒とは黍の事である。形鹽とは虎の形に作った塩のことである。膴とは生魚の切身、鮑とは燻製魚、鱐とは干した魚の事である。以上八種を籩に供えて、豆(肉皿)の方には韮のおひたしに、動物の血液と糀と酒で作った肉醤。昌本つまり菖蒲の根の和え物に、麋肉の肉醤、菁(かぶら菜)のおひたしに鹿の肉醤、茆つまり茅の若芽のおひたしに麋肉の肉醤を添えたもの八品が供えられた。
 「饋食の籩」には棗、栗、桃、乾橑(干し梅)、榛の五種が供えられ、皿には葵のおひたしに蠃(カタツムリやサザエの類)の肉醤、脾析(牛の脇肉)と蠃の肉醤、蜃(大蛤の類)の和え物に蚳(白蟻)の肉醤、豚拍(豚の肩肉)の和え物に魚の肉醤の八品が供えられた。
 「加籩の實」は菱、芡、栗、脯、菱、芡、栗、脯と同じものを二重に、都合八品を供え、皿には芹のおひたしに兎の肉醤、蒲の若芽の和え物に血汁の肉醤、箈(シノブ竹の子)のおひたしに、雁の肉醤、筍のおひたしに魚の肉醤を添えて八品が供えられた。
 「羞籩の實」に糗餌、粉栥とあるのはすべて米と黍の粉で作られたものである。捏ねて混ぜた団子を餌と言い、餅にしたものを栥と言う。これらはいわゆる現在の餅菓子の類のことである。食皿に酏食とあるのは犬の肝と、狼の脂肪と、米で作った一種の炊き込みご飯のようなものである。八珍の中に肝膋とあるのはこの料理である。糝食さんしょくとあるのは牛羊豚の肉をそれそれ等分にして、細く刻んで米二、肉一の割合で混ぜて煮た雑炊に似たものである。

 以上が籩豆の供物であり、この他、王の食事の中には珍八物を用いるとある。これこそが有名な周代の八珍と称されている料理であり、炮豚ほうごん炮羊ほうよう淳熬じゅんごう淳母じゅんぼ搗珍こうちんせきごう、肝膋の八種である。しかしながら後世になると八珍を作為的に変えて、龍肝りゅうかん(龍の肝)、鳳随ほうずい(鳳凰の骨の中の髄液)、豹胎ひょうたい(豹の胎盤)、鯉尾りひ(鯉の尾)、鶚炙がくしゃ(みさご鳥の炙り)、猩唇しょうしん(猩々の唇)、熊掌いうしゃう(熊の手のひら)、酥酪蝉そらくせん(羊の脂で作る)を唱える者がいる。あるいは八珍に準じるものとして醍醐だいご(牛乳製品、チーズ)、麆吭びこう(鹿の喉笛)、野駝蹄やいてい(ラクダの蹄の肉)、鹿唇ろくしん(鹿の唇)、天鵝炙てんがしゃ(白鳥の炙り)、紫玉漿しうんしょう、玄玉漿(馬乳)を八珍と称して、これを迤北だほく八珍と言っている。いずれも奇を好んで、妙をてらおうとしているに過ぎないので、正しくはこれらを八珍とは言うべきではない。ここでは周代八珍の調理法についてその概要を説明しておく。

【 備 考 】
 呂希哲の『歳時雑記』 という書に、

 食医掌王之八珍、八珍者淳熬淳母也炮豚也搗珍也漬也熬也糝也肝膋也
 先儒数糝而分炮豚羊為二皆非也

 訳文
 掌王の八珍は、淳熬、淳母、炮豚、搗珍、漬、熬、糝、肝膋である。
 先儒では糝を数えず、炮を豚と羊に分けているがこれは間違いである。


とある。そしてこの議論は『天中記』でも指摘されているとある。他にも『正鵠』でも言及されているようであるが、本書は『周禮』の註釈に従って、糝を加えずに炮を、炮豚と炮羊に分けることにする。


 △炮豚ほうごん はまず豚を選び、毛のついたままでその腹を割き、内臓を取り出して、腹腔内を洗って汚物を取り除き、その中に棗を詰め込んで腹を縫い合わせ、すいと名付けられている日本の茅に似た草を編んで、その豚を丸ごと巻きその上を粘土に香草を混ぜたもので全体を塗り包み、火で蒸し焼きにする。その全体を包んだ粘土が、十分に焦げた時を見計らって、火から取り出し、その土を取り除き、手を水に浸しながら豚の身体を擦って、毛の焦げ付いた上皮をすり落して、完全に丸むきにして、上皮が綺麗に取れたものに、米の粉をかけて葛かけのようにして、牛の脂を入れてヒタヒタになるまで煎り、これに香物を入れる。別に大鍋に熱湯を入れ、先の丸豚を浸した鍋そのままをこの熱湯の中にいれ、小鍋を覆さないように注意しつつ、三日三夜の間、絶え間なくこれを煮る。そして後、醯と醢で味を調えるものとする。醯と醢などの肉醤の製法は前ですでに述べたとおりである(王の饋食参照)

 △炮羊ほうよう その調理法は炮豚と同じである。

 △せき とは牛肉を酒に浸したものである。新たに殺した牛を選び、薄くこれを切り、よく繊維を断って、これを美酒の中に沈めて一夜置き、翌朝、醢あるいは醷で味を付けて食べるのもとする。醢の製法は前に述べた通り、醷とは青梅を酒に浸して作る一種の酢である。

 △糝珍こうちん とは牛、羊、大鹿、鹿、ノロの腰部の肉を選ぶ。すべて肉の分量は牛と同量にして、それをよく叩き、よく反転させ、その上皮の硬い部分や筋などを取り去ってから、長火でよく熱を通したものを、醯または醢であえてその肉を柔らかくして食べる。

 △淳熬じゅんごう は陸稲に醢を加え、これに牛の脂を入れて良く炒めたものである。

 △淳母じゅんぼ は淳熬と同じ調理法である。ただ淳母の方は陸稲の代わりに黍を使って作る。

 △肝膋かんりょう は犬の肝に、犬の腹部の脂肪を塗り、これを炙ってその脂のよく焦げ付いた時に、たでを加えず(当時は肉に蓼を加える習慣があった)稲米を加えて混ぜるようにし、さらに狼の胸部の肉を小間切れにしたものを加えて長時間煮て雑炊に似たものを作る。



註 釈