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第三章

料理の通則


総 論 : 本章で料理の通則として論じるのは四條流ではない...

第一節 : 時ならざれば食わず

第二節 : 割く正しからざれば食わず

第三節 : その醤を得ざれば食さず

註 釈 : 本書に基づく参考意見

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総 論


 本章で料理の通則として論じるのは 四條流しじょうりゅう 、また 大草流おおくさりゅう のような何々の流派の創始者によるものではない。ただ読者が全編を通読するならば その主張の根拠は、中国における古代料理法にあやかったものであるかのような傾向を見ることだろう。ビタミン、カロリーの栄養研究の盛んな今日において、中華式に調味を論じるのは、時代錯誤ではないかと疑う人もいるかもしれないが、これは必ずしもその通りでは無い。まさしく食味は科学ではなく、人の感覚に属するものであることは前章でも述べた通りである。
 中国文明の黎明期に穀食を教え、医業を始めた神農は、舌で草を舐めて、その味によって種類を選別したと史記は伝えている。『帝王世紀』には、黄帝岐伯に命じて草木の味を舐めて『本草經』を定め、医方をつくって万病を治したとされている。『呂氏春秋』の本生には「その理を論じて、聖人が万物を制するには、その天に従うことである。天に従えば、神は和して、目は明らかに、聴覚、臭覚、味覚、360筋をみな円滑に働くようになる。このような人は語らずして信頼を得、画策せずとも当たり、思い巡らすことなく得る。その活動力は天地に通じ、神は宇宙を覆い、それに於いてはすべてを受けるのである」と言っている。
 すなわち中国文明の起源は学術によるものではなく、多くは感覚により起こるものであって、西洋文明の多くが実験と理詰めによって起こったものと、その本来の性質が異なっている。故に西洋文明を仮に知識文明と言えるのであれば、中国文明は耳目口鼻の本能を基調として起こった感覚文明であると言えるだろう。このような理由で科学と政治にかけては西洋に及ばないが、それでも古代の中国が美術、音楽、文芸(主として詩)及び料理の諸芸において特別の優越を示していたことは、あまねく世界で認められているところなのである。中国の王朝時代においては、音楽禮制によって天下が治められていた為、その手段として大学教育の重要な科程に音楽が含められていた事を周官の制度によって現代の我々は知ることができる。そして、そこには雄大にして荘厳な詩賦が含まれていることも知ることができる。伊尹いいん が鼎を負って滋味を通して湯王に説いたのは3千7百年前もの昔のことである。しかしその趣味の豊かさや主張の精妙・高美さは天下の誰もそれに及ぶことはないであろう。
 時代は下って周代になり、官制によって膳食の法が定まることにより、調味の術が、政治の法大に備わり中国料理の大体がここに定まったと言える。すなわち 八珍 の食、羞醤二百四十の味で食における模範を天下に示したのである(周官及禮記)。 酒は昔、夏の時代に造られ始め、茶はすでに殷の時代に知られていた。

【 備考 】
『戦国策』魏策に、禹の時代に儀狄ぎてきが酒を造りて禹王に進むとある。茶に関しては種々の異論がある。
『尚書』に茶毒の文字があるのを見ると、殷代に知られていたことは明らかである。また『詩経』大雅 蕩篇に「民之食乱,寧為茶毒」の語がある。また「春風堂随筆」に、茶の用は漢に始まり、茶を飲むこと呉の韋曜より始まるとあるが、『晏子春秋』には、晏氏が茗を飲むことが記され、漢の褒武郡に置茶の語もあれば、三国の前に既に茶を用いることの久しかったは明らかである。『茶經』には茶を飲むこと神農より起り、魯の周公より世に広まったとある。

 試みに古代文明を誇る他の諸国と比較してみると良い。古代ギリシャにおいても飲食のことには相当に面倒なものがあった。料理および食卓の器具は既定のものがあり、パンの形も決まった形のもの以外は変更すら許されず、パンの容器も都市によっては銅製の籠に盛ることに限られ、あるいは土製のものに規定されている等、一見かなり煩雑を極めているようであるが(クウランジウ:ギリシャ ローマ史論)それはこの宗教の既定の定めるところに従って聖餐式の場合にだけ適用されていたようである。これは多少、周代の「へん豆制度」に似ているようだが、そもそも滋味と鑑賞を主とする中国料理の発達とは、その根本的な趣旨が異なっていたはずである。

 またヘブライ民族の料理は『旧約聖書』に見ることができる。エホバより授けられた「モーゼの食法」では、ヘブライ人の食べることが出来るものと、食べることが出来ないものを教えている。そしてその区別の基準は反芻するものと、しないもの。また有蹄獣は蹄の分かれているものと、そうでないもの。さらに水族は翅と鱗の有無によって、昆虫類は飛腿の有無によって、その他の鳥獣類もそれぞれの見分け方によって定められている。こうした規定は今日の動物分類の萌芽として認められるかもしれないが、そこには食味鑑賞の上に別段注意が払われてはいない。

 要するに知識文明の世界では、食品は保健と衛生、また科学的研究、あるいは栄養調査を主目的としたものであり、こうしたものが高じて遂にはカロリー、ビタミンを論じるようになるに至った。 それに対して、中国のような感覚文明の中に生まれた料理は、趣味と鑑賞を主としているので、栄養豊富な美味と調理の優れた進歩こそが重視されてきたのは当然の結果であると言えるだろう。従って両方の特徴がその根本から異なっているのは議論の余地がない。前者はその目的が食品の知的研究にあり、日進月歩、ただこれらに関する新しい知識を得るこを尊ぶために、一日の怠りは一日の後れを免れないと考えるのである。

 日本においても一時、麦飯説が廃れて玄米食になり、今や玄米食は廃れて、再び白米の時代に向かおうとしている。国民の主食品がたかだか数年の間に、このようにも頻繁に変化しているにも関わらず、感覚に属する事柄は必ずしも変化しているという訳では無い。三千年前の人が美味いと感じるものは、今の人もまた美味いと感じ、三千年前の人の醜いとするものは、今日もまた同じように醜いと感じるのである。無論、環境と習慣により、その嗜好と趣味への多少の変化は免れないが、本能においては昔も今もそんなに変化はないと言えるだろう。しかも昔の人は知識に欠けていたため、本能面は今の人よりもかなり鋭敏であったというのは進化論の述べている説である。そうであれば中国料理が依然として今日でもなお、その優越を持続しているというのには確かな理由があると言えるのではないだろうか。

 中国料理が実質的に優越を示しているだけでなく、今日の西洋料理、および日本料理の進歩についても、各々が古代における中国料理技術に相互に影響を与えあって発展したものであることを否定することは出来ないだろう。試しに中国と西方諸国の古代の交通について少し注目すると、その最も早く歴史に現れているのは『尚書』旅豪 である。「惟克商,遂通道于九夷八蠻。西旅厎貢厥イヌ」とあり。当時の大型犬のみならず、幾多の珍奇が中国に入ったのは言うまでもなく、格闘技、踊り、奇術等の諸芸人が多く中国に入った事実がある。同時に、逆に中国文化が西方に伝搬したであろうことも想像に難しくない。 ただし西施とは西戎遠国であると記されておるだけなので、はっきりとは何処の国なのかは明らかでない。周の始めは西暦紀元前1100千百年頃であって、その時代にはローマはまだ起こっておらず、ギリシャではトロヤ征伐の時期にあたり中国とは何ら交流が行われてはいなかった。しかしながら「西戎」とは西アジア一帯のイラン高原地方のことであることが分かっており、今のペルシャ、アフガニスタン地方を含んでいたと考えられる。ペルシャはキュロスの建国600年以前であるので、まだ遊牧農耕の民族時代であった。時代は下って西漢に至って、西域との交通が頻繁になる。漢代に「安息国」とあるのはペルシャの事である。その当時のペルシャが、少なからず漢代の文化の影響を受けていたことは明らかであり、現に今でもペルシャ料理が、中国料理の多くに類似点があるのは言うまでもない。絹糸、豚等が大商と呼ばれる商人の手によってペルシャを経て、盛んにローマ入りしていたようで、交易が行われていた経路はほぼ明瞭になっている。
 胡麻、葡萄、ホウレン草はペルシャから中国に入り、ローマ人が最も嗜好したとされる桃は、ペルシャから西はローマに伝わり、東は中国に入ったとされており、それは『本草綱目』に「桃は西方の木であり、五木の精かつ仙木である」とある通りである。
 当時のローマ人は生活の模範を東洋流とすることを誇りにしていたようである。東洋とは主にペルシャを指しており、当時のローマにはペリシコンという言葉があった。それは「ペルシャ物」という意味であり、これは現代で言うところの「舶来品」という言葉と同一の意味で使用されていた。
 ローマがカルタゴの大将ハンニバルを撃退したのは漢の高祖の6年にあたるが、漢代の「太泰」というのはこの時代の「ローマ」を指しているのであって、このことからもペルシャを介して漢代文化がローマに入った事は極めて明白である。
 ローマの料理技術の始まりはギリシャから受け継いだ方法であって、魚類、羊豚、野獣、野菜、果実を使った極めて簡単なものであった(『世界文化史』H.G.ウェルズ)当時のローマ人の質素さと勤勉さは古代史においては有名であるが、その後の全盛時代に至り、美食法饗宴法等に驚くべき進歩を見せるようになるのは、料理のセオリーを東洋から導入したことに始まる(瀬川博士 西洋全史)ポンペイ壁画の彫刻に残る食材は、鳩、伊勢海老、イカ、葡萄、桃、その他も贅沢なものが非常に多い。(グール氏共著『ギリシャ ローマ風俗誌』)
 葡萄、桃はペルシャから移植されていたので、この時代(ヴェスビオスの噴火は紀元70年頃)すでにローマの土産になっている。そしてローマの料理法は、今のフランス料理の基礎をなすものであるので、中国古代の料理法は、現代の西洋料理への直接的、あるいは間接的な影響を与えたと言っても過言ではないだろう。

【 備考 】
 中国とローマ(太泰)との交流については、晋の張華の『博物志』に、西漢の時代に、張騫が西海を渡ってローマに至るとあるが、これは誤りである。実際にはその足跡はペルシャ迄で止まっているからである。その後、後漢の明帝の時に、班超が西域の五十余りの国の長官となり、武将のひとりである将甘英を遣わして安息(ペルシャ)を経てローマまで行こうと試みたようであるが、パーシャ湾岸から海を渡る事ができずに引き返している。
 中国とローマの直接交通が開けたのは後漢の桓帝延嘉九年、太泰王安敦(マルクス・アウレリウス・アントニウス、紀元138-161年)がペルシャを破り、インドやベトナムを経て中国に至った事に始まるのである。
 故に、前漢時代のローマとの交易は、すべてペルシャを経て行われたと見るならば、漢代に用いられた西域の言語は、主としてペルシャ語であるので、ローマの歴史のなかで東洋とあるのは主としてペルシャの事であったと言えるだろう。

 また我が国と中国の食物の関係をみれば、材料およびその産物の多くはほどんど同種であるだけでなく、いずれも米食を主とする工夫から出発した料理であるので、その趣味においても共通する部分が多い。西洋食のジャム、バター、チーズ等はどれも米食に不向きであるが、中国料理はどれも米食に合っている。
 ただ日本は、中世以後から仏教の関係によって肉食を断ち、主としてその嗜好を魚類・野菜だけに向けるようになる。気候や習慣により中国は一般にこってりとしたものを好んで食べ、日本は淡白なものを好むようになったのでその外観は全く異なったものとなった。しかし実際は、日本料理は中国の影響を受けたものがかなり多くあり、日本の食制である、大膳職、主膳職、内膳職から造酒職、主醤職、主菓餅司等に至るまで、そのほとんどが中国の制度を真似たものである。これは文武天皇の時代に、藤原鎌足、藤原不比等が勅命を受けて『周禮』と『唐令』を学習したことによる。『延喜式』大学寮には「籩あり、豆あり鹿醢、脾析(牛の肚肉)兎醢、豚拍(豚の脅肉)」という言葉があり、それらが『周禮』の朝事、饋食の献立にならったものである事は明らかである。その他の食材、加工品、茶、砂糖、唐菓子の製造方法、豆腐、うどん、饅頭、餅、蒟蒻等、これら多くは中国から伝わったものである。室町時代に中国から文化や物品が盛んに輸入されていた時代は、宴会は供卓式であり、箸のほかにも匙も使い、食物の多くは中国式に調理され、上流の饗宴には必ず燕の巣の料理が提供されていたようである。
 日本料理の中でも長崎料理は特徴的であるが、これは中国料理を日本化したものであると言えるだろう。
 皇室大膳寮の秋山司厨長は、大正11年に料理研究のために中国に派遣されており、璽来宮内省の大奥でも、毎日、中華料理が調理され供されていたという。また帝国ホテルのメニューのなかにも中国人の手による中華料理の23品が記載されており、中国料理との関係性が伺える。

 このようにH.G ウェルズの『世界文化史』が述べるあらゆる文化において、欧米や、日本に支配されつつある中国が、その料理でもって実は世界を支配しつつあるとの論議は過言であるとは言えないだろう。本書が中国時代の食方法を省こうとしない理由もまたここにある。ただ『周禮』、『礼記』内則『呂氏春秋』本味篇等の記述の中に食味について論じている部分の詳細はない。さらに年代の隔たりがあまりに大きく、そこで論じられていることが貴族趣味に過ぎたり、あるいは衒学的な傾向に陥りやすいために、そのすべてを現代に適応するにはあまり便利であるとは言えない。
 ただし『論語』郷当篇、に記されている孔子の食事法は非常に庶民的であり、その文章の意味も明瞭である。これは食法というよりはむしろ、一般食事の心得というものであるので、これを王侯の宴に適応してもおかしくはなく、さらにそれを民衆の家庭で適応することも出来たに違いない。 科学がいかに進歩しても、時代がいかに変化しても、たとえ『論語』の他の教えがすべて廃棄されられるようなことがあったとしても、人間の本能と感情が廃されない以上は、こうしたものは万代に渡って守り行われる法であると言えるだろう。
 よって本章では、一般的な料理の通則を『『論語』郷当篇に記載されている順序に従って「時ならざれば食わず」「割く正しからざれば食わず」「その醤を得ざれば食わず」の三節に分類して、理解しやすいように、これに説明を加えるものとする。

 中世以後にも味を論じる人が存在していた。中国文学の第一人者である蘇東坡は、グルメとして良く知られた人物であり、特に河豚を好んで食したことでも有名である。(賀屋澹園河豚話)
 東坡肉、東坡豆腐を始め彼の工夫した料理が今日にまで伝えられている。しかし彼の著書である『老饕賦』では

 「庖丁鼓刀,易牙烹熬。 水欲新而釜欲潔,火惡陳而薪惡勞。 九蒸暴而曰燥,百上下而湯鏖」

と述べられているのを見ると、東坡は煮方割き方にのみ注意を払ってはいても 、食材選びにはあまり頓着がなかったようである。
 日本においては味を論じる者として、羽倉簡堂はくらかんどうがいた(幕末の奉行にして儒学の大家)。その著書である『養小録』及び『饌書』はこの分野において特に秀でたものとされている。しかしその明晰精緻な論理は、品質の選択に関して多くが語られてはいるが、煮方、割き方に関してはあまり重きが置かれていない。思うに、簡堂はもともと、魚を好み、その書中でも

【 樂府雜錄 】
 絲不如竹,竹不如肉 

【 訳文 】
 糸は竹に及ばず、竹は肉には及ばない


「糸(弦楽器)は竹(管楽器)に及ばず、竹(管楽器)は肉(人の声)には及ばないと」という声楽の奥義を引用した上で、

 煮不如炙,炙不如生


「煮ることは炙ることに及ばず、炙ることは生に及ばない」と論じている。このように述べているところを見ると、彼は煮炊き割烹には疎かったように思われる。

 古今東西を通じての料理の大家としては、清代の遠隨園を推薦すべきであろう。この人は博学宏明の資質をもって『隨園食単』を著し食味について論じている。語るところは数万言、精妙微繊、論じ尽くして漏らすところなく、確かにこの道の創始者であるとすべきである。
 しかしながら全編を通じて煮方についてその多くが書かれており、季節と割き方に付いては、あまり注意が注がれていないようである。彼の「須知単」(予備知識)の項には20の項目が挙げられおり、その中の、「先中須知」「洗刷須知」において、前者は品質について、後者は割き方についての注意が示されてはいるが、その詳細おいては見るべきところがあまりなく、料理の権威者としては完璧であるとは言い難い内容である。割烹がいかに上手であっても、素材が良くなければ手の打ちようがない。素材選びが良かったとしても、筍も割き方も正しくなければ、生臭さがあったり味がないので口にすべきではない。正に、煮方、素材選び、洗いは料理の三大基本であり、料理の基礎であるため、もしもそのひとつにでも欠落があるならば、こうした料理はまったく無用のものとなってしまうのである。 孔子の述べた、いわゆる「その醤を得る」というのは煮方のことである。「正しく割く」とは、洗う事に関してである。そして「時を得る」とは、品質の選択および素材の旬のことである。孔子は料理人ではなく、また料理の技術を説明しようとしているのではないが、それでも、その語る事や行いは料理技術の基礎に適合していると言えるである。

 読者は第一部によって材料の品質を知り(知識)、第二部によって材料の割き方を理解し(技術)、第三部により五味の調和と水と火の加減を悟り(技術)、ここに料理術がいかなるものかについて、その原則の一般を理解しなければないない。料理は「活もの」であり、それは単なる物質ではなく、また黄金に成るようなものではない。料理とは、その多くが、知識とセンスを基礎とした技術と努力によって成立しているものであるという事を理解していなければならないのである。満身の力を尽くして事に当たり、こうして古代の伝説的な料理人である 易牙 、庖丁の域まで到達するようでならなければならない。

 『随園食単』中の一節には、「ある日、某豪商の家に招かれた際に、目の前には珍しい佳肴が山のように積まれ、上菜に三度序を撤し、点心16回、食饌40種余りを供え、主人だけが独り喜び勇んで得意満面の有様である。そこで試しに箸を取ってみれば、只の一椀も口にしたいと思うようなものがなく、解散後、早々に家に帰ると急いで粥を作ってわずかに飢えを満たした」と述べられている。これは味というものは値段と分量に比例したものではないことを語るにおいての好例であり、日本の宴会においても往々にしてこれと同様の事が起きているのである。



時ならざれば食わず


 「時ならざれば食わず」とは、定時以外に食事をしないことだと理解する人があるが、それは正しくない。食物の季節に関する注意のことであると理解するのが正しいのである。本節は便宜上、食材の産地に関する注意と、その他の品質の良し悪し鑑別について数項に分けて説明する。
 材料の鑑別は料理については最も緊要なことであり、もし素材選びを誤るならば、味の真を得ることは不可能である。隨園は『随園食単』先天須知の項で、

 一席佳餚,司廚之功居其六,買辦之功居其四
  (宴における料理の功績は六割が料理人、四割が買い出し人にある)

と論じ、材料の買出しと料理人の責任を別のものとしており、かつその品質の功績を四割、料理の功績を六割と評価している。これは品質の見極めの重要性を説明する目的で語っているのではないかと思われるが、どちらかというと調理の方に重きが置かれているため、当を得ておらず、千慮の一失のような見解に陥ってしまっているように思われる。
 仮に料理に注意を払ってはいても、素材の品質に注意を払うという料理における重要な要素を、料理長が自らの責任とはせずに、もしも買い出し人だけに一任して顧みないようであれば、料理の根本的な一歩を誤っていることになる。また品質の鑑別はその範囲が広範であるからとして難しいものとして任せっぱなしにすべきではない。素材の選択は、生物学、自然科学の知識に通じているならば効率的ではあるが、例えこうした知識が無くても、本節の論じている事に対して十分の注意を払うならば、これらを会得することはそんなには難しくはないだろう。



第一項 食品のシュンを知るべし



 食味について最も重要なことは、まず全ての食品のシュンを知ることにある、シュンとは一年間における食味の最高季節を言っており、果実や野菜類のシュンは「盛り」と呼ばれており、その食材が多く流通する時期と一致しているので、シュンの時期を知るのは至極簡単である。しかし動物のシュンに関してはそのように簡単ではない。すべて動物は性欲が芽生える以前の若いものは水分が多く、滋味が少ない。また性欲すでに衰えたものは脂肪が落ち、肉は硬く、味が良くない。生殖欲が発生して、その衰え始めるまでの間を動物の壮盛期と言い。生気が満ち肉が肥えた頂点なのである。(場合によっては漬物に秋茄子を用いたり、鶏出汁に老雄鶏が重宝されるという多少の例外もある)
 この壮年期の期間も生物によって異なっており、鼈のような長生きのものは5年から10年にわたるが、年魚あゆの場合はわずか2、3週間に過ぎない。すべての生物は変化による影響を受けるのであり、その善悪美醜は実に天淵のような差がある。このように季節によって味が変化する理由はどこにあるのかと言うと、味は動物自体の生殖素の発生と密接に関係していることが原因である。
 すべて動物は、春の発情期こそがシュンである。あるものは夏であり、またあるものは冬に発情期があるが、その十中七八は春の2、3、4月の時期にシュンがあることが普通である。ただしすでに交接が始まっているならば、雄は食を忘れてそのことのみに熱中する為に肉味は落ちてしまう。また雌は交接後は栄養は卵巣方面に集中するために、同様にこちらも肉味の減退は免れない。
 故にシュンとは春に発動して、交接を始めるまでの間の1、2ヶ月の間の期間である。言い換えるとシュンとは動物の産卵期に最も近い季節であり、体内に生殖素の発生を始めた時のことであることが理解できるだろう。つまり魚類、鳥類、獣累は、産卵や分娩という大きな役割を果たすための準備として脂肪を蓄え、その肉が肥満の頂点に達しているのであるので、もし魚や鳥のそれぞれの産卵期を知ることができるならば、何時がシュンであるのかを知ることが出来るのである。
 産卵後に衰弱の極瀕死に至るものがいる。あるいは死にまで至らないとしても、一時期は極端にやせ細る状態に陥る。水産学者の実験によれば、産卵期の魚類は味が極端に落ち、タンパク質において2.6%、脂肪分において17%の減量があるとされているが、産卵の大役を果たした後は、一層味が落ちてしまうとされている。つまり産卵後の時期が、味における最悪の時期であり、産卵時期を境として、産卵前は最良の時期、そして産卵後が最悪の時期なのである。 しまし最悪の時期から月日が経つにつれて次第に回復し、翌年の産卵期に近づくようになって新たに精力を盛り返すようになり、春期の発動に伴って、さらに肉味の最良時期に達するようになる。このようなサイクルは、毎年、代々繰り返されており、結局シュンは年に一度は必ず来るのである。そうして老境に達して性欲の起こらない状態になったのであれば、肉の味は衰え、再びシュンの回復する時期は来なくなるのである。
 なおシュンと季節、および年齢との関係、食味と気候との関係、あるいはシュンにおける例外、および産卵の時の季節については、さらに以下の5種類に分けて説明を行うことにする。


甲、シュンと季節を混同してはいけない

 シュンとは素材の味に関しての言葉である。季節とは捕獲に関して最高の時期をいうものであり、肉味に関しての意味ではない。植物のほとんどが、その味と大量に流通する時期が一致していることは前にも述べた通りであるが、動物類は必ずしもそのようではない。また魚類の捕獲は潮の満ち引きにも関係しており、旧暦の1日、15日の満潮の際には漁獲が多いとされているが、一年の中でも3月と4月の満潮の時こそが、漁獲の最高の季節である。そうであっても、この季節のものが必ずしも魚類のシュンではない。
 また魚は、産卵前になるとその準備として陸近くに集まってくる。鳥獣は人里近くに出てきて餌を取るので、この時期こそが捕獲に最も便利な時である。そのために往々にして肉味の最良の季節と、捕獲の時期は一致しているのであるが、例外的に産卵後に捕獲の最盛期に向かうような場合もある。例えば鮎が簗に入る季節は9月、10月の頃であるが、鮎としては多少、シュンを過ぎており、いわゆる落鮎の時期である。鰻もこの時期に簗に入るが、鰻は海に入って1月頃から産卵するのでそこから11月、12月頃の海に戻った後がシュンの頂点に達している。つまり8、9月頃は鮎も鰻も捕獲の季節ではあるが、味においては鮎においては少し遅く、鰻においては少々早い時期であると言える。
 鯛の最も捕獲しやすい時期は、麦の収穫と同じ時期であり、その多くは産卵後のものであるので、いわゆる「麦殻鯛」と言われているような最も美味くない時期の鯛である。また津蟹が多く収穫できる季節は稲の収穫と同じ時期であるので、これを「秋の穂拾い蟹」と呼んでいるが、最も美味くない時期であるので、これを捕まえて食べようとする人はいない。捕獲の時節と食味の時期とが全然別個のものであることは、概ねこのような関係性になっているのである。


乙、シュンと年齢の関係

 動物のシュンに注意すると同時に、その年齢もまた食味に非常に大きく関係していることは前にも述べたとおりである。 若すぎるものは、水分がやたらと多く、味は熟成していない。老年期に向かえば肉硬く脂肪は落ちているので味は良くない。ゆえに若くても生殖を始める以後のものでなければならない。また老物を望んでも生殖が衰え始める以前のものでなければならない。雌鶏ならば2歳頃、雄鼈なら8、9歳より15年位の間のものが良い。鮎は雄雌いずれも一年限りのものであるので、シュンは土用に入って3週間位と定まっている。
 ただ例外ともいうべきものがあり、鶏のスープを取ろうとするときは、雄の老鶏が良い。家鴨の肉もまた老雄の方が良いと言われている。中国人が好んで雛鶏を食べ、西洋人が子牛を食べ、日本人が若鮎、初茄子初物または若いものを喜ぶ傾向があるのは、真の味を選んでいるからというよりは、むしろ一種の「もの好き」からであると言えるだろう。
 聖書の『申命記』には母鳥が、その雛または卵の上に伏せている場合には、その母鳥と雛鳥を一緒に取ってはいけない。必ず母鳥を去らせて、ただその雛鳥だけを取るようにとある。中国では申命記の主義とまったく反対で、古代から雛を取ることを禁じ、『禮記』(原文には周禮とあるが間違ってる)に「不麑,不卵,不殺胎,不殀夭,不覆巢」と規定されているが、これは生物保護の精神もあるだろうが、実際には雛は水分のみ多く、肉味はかえって粗硬であり、人の想像する程、美味ではないことを理解していたからと思われる。 『禮記』月令 仲夏紀には、天子が雛をもって黍を嗜むとあり、『禮記』の雛を取ることを禁じている事とは矛盾するように思われるが、実はそうではない。仲夏紀に雛とあるのは雛鳥ではなく、春鷚、すなわち春のヒバリのことである。ただ例外として見ておくべきなのは中国では古来から豹胎を貴重なものとしており、これを 八珍 のひとつに数えていることである。我が国においては昔から鹿胎を最高の滋味としていた。明治17年2月、富豪の岩崎彌之助が危篤に陥った際に、大金をかけて日本中に鹿胎を求め、これによって栄養の回復を試みたことがあった。鹿胎が重視された理由は不明であるが、もしかすると中国の豹胎にあやかろうとしたが、我が国には豹がいないことから、代わりに鹿胎を重宝したのではないだろうか。

【 備考 】
中国の 八珍 には四通りある。周代王室の食事のための八珍、北海の八珍、群書拾唾の八珍、および後世の作った八珍である。豹胎は後者のなかに挙げられている。


丙、気候と食味の関係

 食材のシュンは気候が動物の肉味に及ぼす自然環境とも関係があるが、気候が人体におよぼす影響により、食欲や食味にも関係をもたらす要素も排除すべきではない。学者の説では「熱帯地方は果実食、温帯地方は菜食、寒帯地方は肉食を適当とする」とあるのは、土地に適応する必要に由来していると考えられるが、さらには気候が人体に影響する食味の関係を間接的に説明したものでもあると言える。冬期には濃厚なものを好むが、夏期には清淡なものを好むのは誰もが経験することである。かなり大まかな観察にはなるが、晩春から夏にかけては野菜や果物の季節であり、晩秋から初冬にかけては新穀の季節となり、晩冬から早春にかけて魚類、鳥類、獣類の季節となるものが多い。この季節のものと人体の嗜好は、多少の因縁のある相関関係にあるようで、春夏は淡白な野菜、新鮮な果物が好ましいが、秋は新穀の新しい香気に食欲をそそられるので、この季節に天高く馬肥ゆるのは馬だけという訳ではないのである。冬から早春にかけて鳥獣の濃厚な味に対する人間の生理的欲求が、多くの動物のシュンの時期と合致しているのは、素材と時候の調節を行う天の采配に何らかの妙味があるからと言えるのではないだろうか。『禮記』には春は酸味を多くし、夏は苦みを多く、秋は辛みを多くして、冬は塩味を多くするようにとある。また魚類、鳥類、獣類の選び方において、『禮記』には、春は主に羊豚を用いて、これに牛脂を添え、夏は主に乾鶏、干し魚を用いて、これに犬の油を添え、秋は子牛、べい(鹿の子)を用い、これに雉膏(キジの脂身)を添え、冬は魚と雁を用い、これに羊脂を添えるとある。これは半分は素材のシュンの側から見たもので、もう半分は季節による人の食味の点から見たものであって、これは今日においてもその大体において異論のないところである。


丁、シュンについての異例

 鰹は4、5月の頃、南方熱帯地方より黒潮に乗って日本の近海にやって来て、西海から東海を経て、東北海に回遊して餌を漁り、十分に肥満になり産卵の準備を整えて10月頃になると南方に去る。熱帯地方の洋中(今日までのところ、その場所は不明であるが、今から20年前に沖縄で捕らえられた鰤の腹の中に、小鰹の骨が発見されたことがある。これにより日本に来る鰹の産地は、沖縄付近と断定する人がある)に産卵し、翌年また日本の近海にやって来るのである。故に4月頃の初鰹は、産卵後の疲労が激しいか、または若鰹であるので、まだ十分成熟しておらず、食味としては最高の時期であるとは言えない。日本の沿岸で十分に餌を取り、十分に肥満して産卵準備のために10月頃に日本を去ろうとする時になって初めて、最高の食味のシュンに達しているのである。しかしながら東京人は昔から9月、10月のものを貴重とはせずに、5月頃の初鰹をむやみに珍重しようとする風習がある。江戸時代は特に初鰹に非常に盲目的であり、はなはだしい例に至っては、家財を投げうってでも手に入れて食べる者もいたようである。さらに食べ終わるとその頭と骨を門前に捨てて、近隣にそれを誇示する者もいたと言われている。

  鎌倉を生きて出でけん初鰹
  初鰹飛ぶや江戸橋日本橋
  日本には先づ作り候初鰹
  一両に鼻あかせけり初鰹
  芝浦や初鰹から夜が明ける
  人の誠先づうれしきは鰹かな

等の俳句によってもその当時の気分を雰囲気を想像することが出来る。もっとも、ほとんど鰹は刺身として味わうものであったので、8、9月頃の脂肪の乗り過ぎたものよりも、かえって淡白な味わいの5月頃のものが賞味されていたのかもしれないし、あるいは初物食いの「物好き」からかもしれない、とにかくこれもシュンに関する例外であると言えるのではないだろうか。

【 備考 】
鰹を煮て鰹節を造ることは今から千二、三百年前から始められたと伝えられているが、また一説には、延寶年中、紀州熊野浦の漁夫が土佐に釣りにいった際に、かなりの大漁で始末に困ってかなり粗く鰹節をつくり一時貯蔵したことが、今日の鰹節の製造の起源となったと言う人がある。 延寶は今日より240年前であるが、鰹節の製造は古い年代の方が当たっていると見た方が良い。大昔は鰹には毒があるとして生で食べられておらず、もっぱら干して堅めた鰹節だけが食べられていた。鰹の生食の始まりは北条氏の鎌倉時代からのことである。

 また一説に天文6年、初夏の頃、小田原の城主であった北條氏綱が、ある日に舟を小田原湾に浮かべていたところ、偶然に魚が躍って舟に入ってきた。氏綱が取ってみるとそれは鰹であったのだが、これこそ戦に「勝」の前兆であるとしてひとしお歓喜している様子であった。その幸運の兆しは現実のものとなる。この年の7月に氏綱の兵は川越を戦略的に攻め、ついに武州を平定したのである。これより小田原の戦士は戦場に赴く時には、いつも鰹を用いて門出を祝うのを恒例とするようになった。それ以来、江戸は北條氏の支配を62年あまり受けることになるが、江戸っ子が初鰹を珍重するのは、もしかするとこの歴史上の習慣によるものかもしれない。

 鯉のシュンは12月より2、3月頃迄である。当然のことながら「鯉の洗い」は盛暑中の珍味として賞美されているが、実際は夏季の鯉は食味が最悪の時なのである。これもまたシュンの例外と言うべきだろう。

 鼈は12月頃から味を回復し始め3、4、5月頃をシュンとしており、7、8、9、10、11月の5か月間は食味が最悪の時期である。 当然ながら東京の鼈料理店の多くは、年中を通じて、それを用いて、季節や品質等については何ら配慮することなく、鰹節、昆布等の出汁を用いて、客の味覚をあざむくことを良しとしているので、鼈の本味に関して何ら注意することなく、そのシュンに関しても特に問うことは無いようである。もし幾百もの魚類や禽類中で、特に指定するべきシュンのないものを挙げるとするならば、魚類では鰻が、また鳥類では鶏があるとだけしか言えないのではないだろうか。

 鰻は絶対に淡水では産卵はせず、一定の年齢に達して、海に下って産卵することだけは明らかになっており、その場所、時季など正確には知ることができていない。従って春夏秋冬のいつをシュンとして定めるのかどうかが難しいのである。強いてこれを求めるならば、秋季の下り鰻と呼ばれているものをシュンであると言う他は無いかもしれない。これは生殖のために海に下ってゆくものであり、産卵の準備のために十分に肥満していると見るべきだろう。東京には鰻のシュンを土用であると誤解している人が多い。それは平賀源内が鰻屋の看板に「土用うし」と書いたことに始まっているようで、源内がこのように書いた事と、鰻の味には何ら関係がない。(鰻の章参照) 結局、鰻はいつでも脂肪が多く、いつをシュンと特に指定すべき時季はないので、これもシュンの理論に対して例外なのである。

 鶏の野生時代は、雉、山鳥と同じように時期によるシュンがあって、四季により味に大きな違いがあったことは疑う余地はないだろう。そしてそのシュンは2、3月頃を最高の季節であったと見るべきである。精密に味に関して検査すれば、夏季が最も味が良くなく、早春の時季に最も美味となるのであるが、人間に飼いならされてからは、人工淘汰の力によって四季を通じて産卵するように変化したことで、味のうえでも何時をシュンと特別に定めるのが難しくなっている。これもまたシュンの例外のひとつであると言えるのかもしれない。

 大体において淡水で遡上する魚は、川の上流にいるもの程、味が良いというのが原則である。しかしながら鮭と鱒に限ってはその味は遡って上流にあるものよりも、これから遡ろうとして海水と淡水の別れた場所に2、3日間、静止している際に捕らえられたものが最上である。 鮎のシュンはこれと正反対で、その川を下ろうとする前にある。北海道で荒巻と呼ばれているものは、淡水の入り口で捕らえた魚を荒巻にしたものである。故に普通のものよりは味がよい。鮭でも鱒でも上流に遡ることができる勢のあるものは上物であるが、上流にたどり着き産卵を始める頃には、肉味はかなり落ちてしまっている。これもシュンと居所との関係における例外と言うべきであろう。


戊、魚鳥獣類の産卵期

 魚鳥獣の産卵時期は、土地の寒暖、潮流、水温および天候の変化により少なからず差異があるのは免れないが、以下に大体の産卵時季を示すことで、シュンを知るための参考資料を提供することにしたい。

品目 産卵時季
 5、6月 
黒鯛   7、8月
金糸魚   5、6月
ムツ   3、4月
鮪   2、3月
鯵   4、5月
鮫   6、7、8月
鱸・スズキ  7、8月
イシナギ   6、7月
太刀魚   8、9月
花魚   1、2、3月
鱏・エイ  6、7、8月
石斑魚   2、3月
カサゴ   2、3月
ハタハタ   4、5月
マナ鰹   6、7月
赤鱏・アカエイ  6、7月
鮒   5、6月
鱛・エソ  7、9月
スッポン  6、7、8月
ハエ   4、5月
河蟹   3、4月
海蟹   4、5月
牛尾魚   3、4月
甘鯛   5、6、7月
鮟鱇   2、3、4月
鯉   5、6月
鰆・サワラ  4、5月
サウダ鰹   6、7月
イサキ   5、6月
鰯   4、5月
鰻   12、1月
海鰻   5、6月
アナゴ   3、4月
ホウボウ   3、4月
カマス   5、6月
ミラ   6、7月
鯖   4、5月
鰹   11、12月
鰊   4、5月
コノシロ   5、6月
ハマグリ   5、6月
浅利   5、6月
イカ   5、6月
タコ   6、7月
トビウオ   4、5月
鮭   10、11月
秋刀魚   10、11月
サヨリ   3、4月
鯔(ぼら)   1、2月
鱈   12、1月
玉筋魚・イカナゴ  4、5月
平目   5、6月
鰈   5、6月
長螺・ナガニシ  5、6月
赤螺・アカニシ  5、6月
鮑   11、12月
馬鹿貝   5、6月
シオフキ貝   4、5月
鳥貝   5、6月
赤貝   6、7月
サルボー   5、6月
栄螺   7、8月
伊勢海老   7、8月
鯰   5、6月
エツ   4、5月
鱒   10、11月
鮎   9、10月
白魚   5月
ヒシコ   4、5月
車海老   5、6月
帆立貝   4、5月
牡蠣   5、6、7月
蜆   8、9月
海鼠・ナマコ  3、4月
鶴   3、4月
鴨   5、6月
山鳥   4、5月
鳩   4、5月
雁   5、6月
雉子   3、4月
鴫・しぎ   5、6月
鵞鳥・がちょう   4、5月
鶫・つぐみ  4、5月
猪   5、6月
熊   3、4月
鹿   5、6
鶉・うずら  4、5月




第二項 産地と性味の関係および体の部位による味の相異



 動植物ともに季節の他にも、その産地によって味に大きな違いがあることを理解していなければならない。地方の名産と呼ばれているものは、風土、気候、飼料等の関係によって、産地独特の美味さを持つようになる言う。

 これを川魚について見ると、暖水魚の鰻、鮎、鼈などは、九州地方で採れたものが最良であり、次に中国地方のもの、関東、東北地方のものは比較的劣っているとされる。反対に寒水魚である、鮭、鱒、ヤマメ等は中国や九州等の温水地方には見ることすら稀である。海魚については熱帯産のものは寒帯産のものより味が劣っており、多くは温帯産のものが美味である。海水魚でもある条件のもとであれば、淡水の中に生存することができるものがあり、その味は特に美味となる。川スズキ、川ボラのような種類である。また野菜類であっても、南瓜やトウモロコシは本来は熱帯地産であるが北海道の寒地で生産すればその美味しさは大きく増加する。川魚は同じ川であっても、上流にいるもの程、味が優れている。鰻は上流でかつ支流にいるものが一層良い。海魚は波が高く、潮流が激しく、海底に岩が多い所に生息しているものが味が良い。鳥獣に至っては、海岸に近く、または人里離れた山奥に生息しているものは美味く無く、海岸から遠く人里近くに生息するものが良い。鶏や豚等、家畜類の最も美味なものは、長崎地方のものである。この地方は家畜類だけでなく、魚類も非常に美味であり、特にカラスミは日本全国で長崎産に及ぶものがない。良く長崎料理と呼ばれているものは(長崎料理組合は天保元年8月の創設であり、日本同業組合最古のものである)日本料理の中でも特徴的なものであるが、それはこの地が我が国における唯一の開港場として、中国やオランダ等、外国文明の玄関口であったことに由来している。各国料理の長所を統合した特別な調理法が発達してきた背景には、そもそも食材が優れていることが基礎にあることは議論の必要がない。このように長崎料理の評判を真似て、東京、大阪等で開業を試みる者がいるが必ず失敗に終わっている。その理由は、その材料と品質が違うことであり、形式は真似できても食材のもつ真の味に関してはどうすることも出来ないことに原因があるのだろう。

 また各個体の中でもその部位によって味に格段の違いがあることも知っておくべきである。基本的に果実は頭の方、野菜は尻の方が美味である。柿、無花果、南瓜、胡瓜の味は、尻にあるが、水瓜、梨、桃、メロン、林檎はまったくこれと反対で、味は頭の方にある。芹、葱、韮の味は根にあり、ジュンサイ、独活は頭にある。こうした原則については、ひとつひとつ異なっているので類推するしかない。動物類においては各部分での味の違いが一層複雑で、骨に香味があるのは鳥類の中では鳩が一番である。骨の軟らかさは川魚ではヤマメ、海魚ではマナガツオであるので、これらは炙って骨のまま食べるようにした方が良い。鮒の美味は頭にある。鯉は美味な部分は尾であり、鯔、アメの頭もまた美味である。鮒の頭を美味として高く評価しているのは著者だけかと思っていたのだが、この頃、『梁書』を抽読していると、臨川王の蕭宏が「鮒魚の頭」を好み、一日に300匹を食したとの記録に行き当たり、同じ嗜好の古代人がいたのを知ることができた。
 またちょうが最も美味であるのは香魚あゆであり、他にも鮑の腸、海鼠の腸も悪くない。鳥類、獣類には腸の良いものはない。しかし鳥類にあえてこれを求めるとなるとしぎにのみにそれがある。
 はらこが最も美味いのは、海のムツ、川の津蟹がある。中国人の薦める蟹粉とは津蟹の鮞のことである。
 肝が美味いのは、鳥であれば雁である。また魚に鰈、鮟鱇がある。卵の最も美味いのは鼈と緑亀である。
 ある書に冬眠中の蟇蛙の肝臓が美味いと説明されていたが、それは間違いである。両生類の、鼈、蟇蛙、山椒魚は肉は美味であるが、肝臓や腸などは最も不味いからである。それをあえて獣類の中に求めるならば羊の肝臓である。『説郭』には後魏の辛紹先が羊肝を嗜好していたことが記されている。また王義之は牛の心臓を好んで食べていたらしく、中国ではこの牛の心臓を食べた事にまつわる話は有名である。

 鯛の美味いところは中骨の周辺と、下腹のつけ根である。我が国では鯛の頬肉が美味いと唱えられており、昔、仙蓋候から松平不味公へのもてなしで鯛の頬肉の蒲鉾が提供されたことは有名である。頬肉は分量が少ないためにこのような逸話が生じたのだろうが、頬肉は必ずしも美味であるとは言えない。鯛の頭が本当に美味いのは、髄と唇周辺の膜と、眼球であって、頬肉ではない。鰻、穴子、ハモ、ナマズの類の美味な部分は肛門より下の部分であるのだが、どじょうの美味い部分は反対に肛門より上の方の部分にある。平目、鰈、舌びらめの美味いのは周囲のひれにある。
 牛は肋骨のところから臀部の内側にかけてサーロインと呼ばれている部分が最上とされており、熊はてのひらが上味であり、猪や豚は肩の脇肉、鼈は前足のつけ根で、俗に「三つ叉」と呼ばれているところが最も美味である。鴨は胸肉、雉子は腿が美味いのであるが、要するに刺激が多く、活動が激しい場所に生活する動物の味の方が、刺激が少なく安易に生活できる場所にいるものに比べて、肉味は良いのである。
 つまり潮流が穏やかで、海底の泥土の軟らかい場所で、餌も十分にある所に生息しているような魚類は、例え見かけが立派であっても肉味は劣っているのである。羽倉簡堂はくらかんどう『養小録』 には「水族では灘産は淵産より美味であり、峡産は江産よりも美味である」と論じられており、中国の『小史集雅』には「流水の魚は背鱗が白色をしており美味である。流れのないところの魚は背鱗は黒く、味が悪い」とある。これらはすべてこうした考え方の裏付けとなっていると言える。
 同じくこうした考え方から、個体の内でも味の最も優れた部分は力を最も多く使っている部分であって、鰻の下半身が美味いのは、その活動は主に尾によるものだからである。熊は最も多く力を掌に込めるため、味は掌に集まるのである。
 周公謹の『浩然齋雅談』には「所嗜骨邊の肉:旨いところは骨の辺りの肉」とある。これは日本でも鯛の中骨の辺りの肉を美味いとするのと同じである。大体において料理では骨付きの肉の方が妙味である。これは骨周辺の肉の味が良いためだけでなく、骨そのものにも、また骨の中にある髄にも香味が伏在しているためである。
 また硬いものに対する歯ごたえや、そのコリコリする音も快い気分である。小鳥や小魚の料理は必ず骨付きのままである。小魚の膾では、特に鮒、イナ、アジ等が骨のまま薄く切る「せごし」という方法で調理されることは良く知られている。一般に浮遊性、回遊性の魚は鰭元の味が優れていて、底魚は下腹部分に美味があり、飛翔する鳥の味は胸肉にあり、脚で動く鳥の味は股肉が美味いのである。

 『禮少儀』に魚は「冬右腴,夏右鰭」とあるのは一理ある。その註疏では陰陽の理をもって説明されているが、それだけでは十分に説明されていない。冬は魚の多くは水底にいて動かないので、従って滋味は下腹部に集まるが、夏季にはその溌剌とした活動によって、鰭のつけ根に旨味は集まるというのが理由である。

 東京湾の魚類は一般的に江戸前と呼ばれて貴ばれているにもかかわらず、実際には肉にしまりがなく、一種の臭気を帯びているのは、海流が穏やかで、無限の餌に富み、養魚池にいるのとほぼ同じ条件で生息している為である。江戸前だからとことさらに美味であるとするようでは食味の真を語っていることにはならない。こうした見方は、徳川時代の江戸侍の都会的な感情論から来たものであることを理解しておくべきである。東京湾内のものですら、このような状態なので、養魚池の魚、家畜類のように自力の生活を行なわず人工で生育させられているものは、外観は別として、その肉味に関しては、当然、自然生まれのものに及ばないのは論じるまでも無い事である。
 しかし学者の中には、養魚または家畜類は、自然生まれのものに種々の改良を加えたものであるので、外観美と共に、食味も優れていると論じる人もいる。額田博士は、その著『安債生活法』の中で「野獣の肉は消化するのが難しく、家畜の肉は消化しやすい」と論じ、澤村博士はその著『食物辞典』の中で「野生物の肉には一種の臭気がある」と論じている。しかしこれらは現実とはかけ離れた仮想の議論であって取るには足らない。考えてみると過去幾万年間における人間の努力によって、家畜類の外形だけは自然生まれのものよりも遥かに優れて改良されたとしても、外見が優れてる事と、その肉の美味さは必ずしも比例するものではない。家畜類の肉からは、自然生まれのもののように複雑な深みを味わうことが出来ない。試しに家鴨とその原種の鴨とを比較し、鶏と雁とを比較し、猪と豚とを比較し、養魚池の鼈、鰻、鯉等を天然のものと比較してみると、外見と内容が比例していないことだけでなく、魚類に関しては養魚池のものは食うに堪えないものが多いことが分かる。牛の原種、鶏の自然生まれのものは断種してしまい、今の世には存在していないが(南洋の山鶏を鶏の原種と言う人あり)これを書籍の中に探すならば、原牛の肉は、かなり美味であったようである。実際に和牛の美味さは世界での最高であると言われているのは、あまり多くの改良を加えず、幾分かは原牛に近いためである。改良に改良を加えて皮毛軟弱細美、外貌優美、体格肥大となっている欧州牛は、その味はかえって良くない。日本牛も今後は一層改良されてゆくはずであるが、その肉味が反比例して劣化するようなことがあってはならない。

 鶏もまた同じであり、もし自然生まれのものがあれば間違いなく人の顎を落とす(美味)だろう。世間では猪肉、雉子肉には独特の臭気があるとして、嫌う人もいるが、これは単なる思い込みであって、猪にも雉子にも何ら臭気は無いだけでなく両方共に固有の香気があり、それは極めて上品であり、さらに極めて濃厚なものがある。特に日本の雉子は我が国では特有なものであって、その香味は世界に比較するものがない位である。韓国や中国にもまた別種の雉がいる。中国は古代から雉を貴重なものとみなしており、『周禮』でも雉が禽鳥中で第一であるとされてはいるが、その味は日本のものに遠く及ばない。猪や雉の肉に独特な臭気のある感じがするのは、実はその腸の臭気に原因がある。彼らは雑食するがため腸は早く腐敗し易い、よって捕獲後、素早く腸を除き去らなければ、腸の臭気が肉に移るので往々にしてその味を損なうことがある。街中で売り買いされている肉の多くが臭気を帯びているのは、猟獲の後の腸の処置に関する無知から発生しているのである。だからと言って雉に関しては必ずしも新しいものが良いという訳では無い。腸を抜いておいた後、冬日は捕獲後10日間位を経たものの方がかえって味が良い。雉だけでなく、鶏も腸を抜かずに4、5日間放置すると、独特な臭気が直に肉に移ってしまい駄目になる。街で売られている鶏肉に臭気がないのは、屠殺後すぐに売りさばく為である。そのため鶏も腸を抜き去っているならば冬場であれば10日間位経ったものの方が一層美味である。ただ禽鳥類のなかでも鴨、鴫のような水禽類であれば、早く腸を抜く必要のないものもある。

 穀類、野菜類も、ほぼ動物と同じ方法で類推することが可能である。境遇が良い場所に生育したものよりも、厳しい境遇に抵抗して生育したものの方が味で勝っていることが多い。
 もしこれらの原産種が存在していれば間違いなく佳味であるだろうが、多くの原産種は既に途絶えてしまい、比較的近代からの農産物の内に組み入れられてしまっている。ただ独活、芹、山芋、百合、椎茸等の数十種だけが野生のものとして現存している。ある書には宮崎県の高千穂に米の原種があると述べてあり、物類品隲ぶつるいひんしつには紀伊熊野本宮山中水澤の所に自生稲があると記されている。また西洋人は東インドサーカス湖に自生稲の原種があると言い、また中央アフリカのセネガル地方にも自生稲があるとの説もある。小麦の野生種はメソポタミア地方において発見されたとある書には記されている。『天中記』には「扶海州上にある種の草があり、蒒と名づけられた。その実は大麦と同じであり7月から実り熟し、地方の農民が勝手次第にこれを収穫する自然生の穀物である」と記している、さらに『天中記』には「黄龍三年に由巻縣に野稲が自生するようになり、この縣を禾興縣と改めた」とある。またこれに類似した話は『論衡』に「建武三十一年、陳留に穀類が雨のように降って地面を覆った」と記されている。その他稲が降ってきたことや、粟が降ってくる事は時折、歴史の中に散見できるが、これは多分、中央アジアの野生の穀類が熟成して、地面にそのままほっておかれたものが、疾風に遭って、砂漠の黄塵と共に吹きまくられて中国に落ちてきたものではないだろうか。もしそうであれば昔は中央アジア辺りに野生の稲があったのを想像することができるが、現在においては高千穂にも禾興縣(現在の嘉興市)にも稲の原生種はなく、メソポタミアにも扶海州にも麦の原生種は存在していない。
 先に挙げた原産種で存続している芹、山芋、百合等と、同種類の農産物を比較すると、原産種は外見は貧弱であっても、香味に関しては比較にならない程優れているのは誰もが認めるところである。いかに熟練した技術者も、自然の造りだすものの妙巧に対しては敵わない。現に西洋の園芸家は、バラの花の色と大きさを改良するにし従って、その香りが段々と減少することに気付いており、外見の容姿と、その香りの両方を保つことができる方法に苦心しているようである。



第三項 品質の識別についての注意



 同一の場所で生産されたものでも、品質にそれぞれ優劣があるのは、例えば兄弟にも賢いものと愚なものの違いがあるのと同様である。そうであれば品質の良し悪しを識別することもまた、料理において極めて必要である。『周官』では、腥臊羶香(鶏、犬、羊、牛)を食べるべきではないと述べられているが、これは品質についての注意である。 『禮記』には、

 肉曰説之,魚曰作之,棗曰新之,栗曰撰之,桃曰膽之,柤梨曰攢之、皆治擇之名也
 (骨と腱は肉から取り除かれ、鱗は魚から削り落とされ、栗は選り分けられ、桃は皮がむかれ、梨は虫食いが除かれる)

とある。 また『呂氏春秋』には、黄帝の言ったこととして、 五穀 を正しくして食していれば病気になることは無いと述べてある。そこからさらに論じて、

原文 是以得時之禾,長秱長穗,大本而莖殺,疏穖而穗大;其粟圓而薄糠;其米多沃而食之彊;如此者不風。先時者,莖葉帶芒以短衡,穗鉅而芳奪,秮米而不香。後時者,莖葉帶芒而末衡,穗閱而青零,多秕而不滿。

訳文 禾にして時を得れば長秱長穗、大本にして莖殺ぐ、疏穖にして穂大なり。その粟圓にして薄糠なり。その米は沃多くしてこれを食へば彊し。此の如きものは風ちず。時に先立つものは莖葉芒を帯びて末衡に、穗は鉅にして芳奪はれ、秮米にして香からず、時に先だつものは莖葉芒を帯て末衡に、穗閱にして青く零つ。

内容 季節にあった粟は、丈は長く穂も大きい、その粟は実が丸く糠も少ない。地味が肥えており「これを食べれば強し」と言われているように栄養が豊かで、食べれば体の養いになり体の中に精力がみなぎるという。一方、時に先んじたり、時に遅れたものは茎葉そのもが十分に育たなかったり、実らないことが多い。もし実ったとしても香味に欠ける。

以上が古代の中国人の品質識別に関する基準である。また現在の日本における米の鑑別方法は以下の通りである。
 一、 色が白く透き通っていて光沢があるもの
 一、 粒が良く揃っていて精米されており、折れ米の混じっていないもの。 赤米の混じっているものは良い
 一、 大粒でなく、丸く肥えていて芽点の小さいもの
 一、 噛んで硬いもの
 一、 米が重く1升1.5kg以上のもの
大体、上記の基準のものを最上とする。
 その他、野菜類、果物の識別は外観だけでは不十分で、枝から取って少し日が経たものの方が味が良くなる。動物類については大体においてその標準は、その形と皮膚または毛色の光沢によるが、注意しなければならないのは魚鳥獣とも餌で満腹である場合には、肉の味があまり良くないことである。魚類は腹の大小を見て、腹の膨れていないものを選んだ方が良い。鰻や鼈は、河から取ってきたばかりのものよりも、4、5日置いたものの方が良くなるが、その理由は腹の中の餌を消化し尽しているためである。消化力と肉味には微妙な関係性があるのである。
 中国人は鳥獣を選ぶ際にまず毛の色を見る。例えば犬であれば赤毛が良く、鳥は黄色を選び、ラクダは紫を尊んでいるようである。日本でも毛の色を論じる人がいるが、いまだに毛の色と肉の味の関係について説明することには十分な確信に達していない。つまり動物は保護色としてその場所によって色を変えることがあるので、一般的に色だけを見て肉の味を判別することは不可能である。例えば鼈は朝鮮産や満州産は赤みを帯びた茶褐色のものが多いが、日本の山陰地方産の鼈もまた茶褐色である。ゆえに茶褐色だという理由で簡単には朝鮮産のものであると判別することは出来ないのである。
 また鯛の選択については、季節が早い時期であれば雄を選び、遅ければ雌を選ぶべきである。鯛に限らず、すべての生物は雌のシュンの方が約一か月間は、雄に遅れているのが通常である。雄は頭が大きく黒みを帯びていて、雌は頭が小さく赤色である。いずれにしてもその形体が正しく、新鮮で光沢のあるものを選ぶようにすると良い。例外としてひとつ注意すべきなのは、生簀の籠から上がった魚は、眼に白色の曇りがあって、肉は落ちていて鱗に光沢がなく、外観はいかにも貧弱であるのだが、その肉の味は反って良いということである。ゆえに贈物または儀式の際などの外見に重きを置く場合は別として、家庭用であれば肥えていて光沢のある新鮮なものよりも、生簀のものを選ぶ方が良い。明治時代には京橋区に島村という小料理屋があり、その店の鯛の刺身が食通の間でかなり好評であったが、そこの魚の材料は生簀からのものだけを選んでいたと伝えられている。

 釣ったものが第一であり、網で獲ったものがそれに続き、生簀のものは最下等であると信じている人がいる。岸上博士もその著書で同様の事を主張しているが、これに関しては物事を知らない事、なはだしいと言える。 全ての魚類は、釣ったもの、あるいは網で捕獲したものを問わず、それを殺す前に十分に苦痛を感じさせて締めた方が肉がしまっていて美味なのである。これとは反対に陸上の動物は屠殺前になるべく苦痛を感じさせないようにして、不意打ちで打ち殺したものが良い。しかし牛や鶏を一層美味しくしようとすれば約1週間か10日ぐらい前から運動をさせずに、しかもなるべく暗い室内にいれておいて、日々、脂肪に富んだ食物を十分に与えておいてから、すぐに屠殺するならば、肉は軟かく脂肪が加わり味が最も良くなる。

 中国人は家鴨の飼育に古来からの独特の技術をもっているとして有名である。殺す前にその嘴から飯や脂肪を混ぜて捏ねた餅を無理やり胃の中に一日数回押し込む、このようにして1週間ぐらい暗室に放置して、やがてこれを殺して料理に使用するのである。古代エジプト人もまたこの方法であったと伝えられている。近年、我が国でも各所でこの方法が、鶏、家鴨等にも応用されているようである。西洋では学理的に研究されて、フランスではこの方法が最も発達しており応用もまたかなり盛んである。また鶏の去勢術は古代中国の発明であり、去勢した鶏は「騙鶏」という。中国においては古来から鶏の蒸し焼き料理には必ずこの騙鶏が使われている。

 魚類と鳥獣類の選択に関して注意すべき相違点は、魚類はなるべく新鮮なものの方が良いが、鳥獣の肉はなるべく新鮮ではないものの方が良いという点である。肉食の本場である西洋でも、ドイツ人はほとんど腐敗に近いものを好み、フランスの一部では腐敗に近い肉の料理を嗜む所がある。肉が腐敗に近づくにしたがって味が増すのは、その中に含まれているグリコーゲンの一種が糖分に変化し、これから発生した乳酸の働きによってその組織が次第に軟化してゆくことにより肉の味が真価を発揮するに至るのである。 また肉を美味にする目的で、一両日の間、これを土中に埋めて、あるいはこれを月光に晒す等の方法もあるが、とくに効果があるとは思われない。

 魚の新鮮なものを選ぶには
 一、 えらが鮮やかな紅色のもの
 一、 眼球が生き生きとしていて隆起している
 一、 肉に弾力があること
 一、 鱗に光沢があり簡単に剥がれないもの
以上の条件で判別して選ぶようにすべきである。

 上記に説明しているように陸上動物は殺す少し前に苦痛を与えず、肥満にさせたものの方が良く、水生動物は苦痛を与えて肉の落ちたものの方が味が良く、鳥獣は古いもの程、味が良く、新鮮なもの程味は良くはない。 両方はまったくその素質が異なっている見方がであるが、これは必ずしもそうではなく、水生も陸生も同じ生物であるので、その素質が違っているということではなくて、味だけに関して言えば、陸生のものも、水生のものも殺す前に同じく苦痛を与えたものの方が良く、また獣も魚も死後に少し日にちが過ぎたものの方が良いのだが、鳥獣は苦痛を与えると肉質が締まり硬くなるのと、肉量が減少して価格にも影響があるという経済上の意味も加わり、先述したような原則が生じたのである。 仮に人間が猛獣のような強い歯を持ち、経済上のなんら関係を持たないとするならば、この原則は破壊さえるものになるだろう。魚の新鮮なものを望むのも味のためにそうなったのではない。やはり複雑な他の諸事情により、このような主義を認めたに過ぎないのである。魚も死後は少しは時間を経たものの方が、味の良さは鳥獣とは変わらないのである。ただ魚は古くなれば肉が柔らかくなり過ぎて舌触りも良くない、新鮮な肉の硬い方を快く感じると、ひとつは腐敗しやすいという理由も加わって新鮮なものの方が良いと感じているだけに外ならないのである。つまりひとつは肉の少しでも柔らかい方を望み、これに経済上の理由も加わっていること。もうひとつは肉の少しでも硬い方を望み、衛生上のことも加わって比較すると相反した結果が生じたのである。

 魚があまり新鮮でないのを良しとするのは漁船などでする生魚の船中料理よりも、帰港して持ち帰ったものを陸上で料理したものの方が味が良いことは誰もが知っていることである。また鯛の塩浜焼をするにあたり、生きたままを釜中に入れるのは避けて、数時間日光に晒した後に釜中に入れる。 また簗場の鮎の塩焼きをするにあたり、いずれも余りに新鮮なものを避けるのである。河豚の場合は寒中ならば死後一時間ぐらい経過したものでなければ真の味はなかなか出てこない。ただし長期の冷蔵魚の味が良くはないと一般には聞くことがあるが、果たしてそうであれば冷蔵中に組織内のタンパク質消耗するためであろうか。最後に注意すべきは陸生ではなく、また水生でもない両生類である鼈、亀、山椒魚、蟇蛙等が死後非常に腐敗しやすい性質があり、鼈は重傷をおってもなかなか死なないのであるが、しかも生きながらに腐敗が始まるため、俗にスッポンの生き腐れと言われている。ゆえにこれらの両生類の肉は、決して死んだ肉を食べてはいけない。必ず生きたそのままのものを料理したものでなければならない。幸いにこれらの動物は抵抗力が強く、容易に死なない。鼈は子切りにして鍋に入れても首だけは人を噛む気力が残っている。山椒魚は半分に切られてもなお死な無い。半ザキの別名もある位で何時までも生かしておいて、都合のよい時に料理すればよい。これらの両生類は生かしておくのは竹の籠に入れ、日陰に置き一日一度籠の上から水をかけておけば死ぬものがない。また味の落ちる事もない。



割く正しからざれば食わず


 これは素材の調理を正しくして、かつ立派に処理をするようにという事である。立派であるとは四條流しじょうりゅう大草流おおくさりゅうの庖丁の使い方を真似するという事ではない。漢の陸續の母の故事に学んで「葱を断つにも寸を以て度とせよ」とあるような形式や既定のことを言っているのでもない。これは素材そのものの組織に従って順序よく捌き、極めて清潔に扱い、少しでも滋味が粗末にならないように力を尽くすようにという意味に理解すべきであろう。

 およそ料理に取り掛かる前であるならば、必ず手を洗い清めて、庖丁を研ぎ、俎板を洗い、布巾で水分を拭き取るべきである。野菜、肉類を切るのに俎板も庖丁も同じものを使うのは良くない。また同じ野菜でも葱を切った包丁で、そのまま人参を切り、豆腐を切ることは避けるようにしなければならない。膾を作るときは特にその刃に注意を要する。 刺身庖丁の利便性を要するのは言うまでもないが、研ぎたてのものは鉄気の臭いが肉に移る恐れがあるので良くない。 刃面には少しの錆も水気も無いようにしなければならない。もし庖丁に血が付着しているようであれば、白紙で拭き取るようにし、水で洗い流すことは禁物である。庖丁だけでなく肉を水で濯ぐことも避けなければならない。肉の清潔さを重要視するということは、水で肉を洗い清めるということではなく、水で洗わなければならないような不手際を要する切り方をすべきでないという意味であることを知らなければならない。つまり不用意に胆汁を破って肉に付着させたり、あるいは膀胱を破ってしまい臭気を(スッポン料理の場合に多い)肉に移す不手際をしてしまうことなく、少しでも滋味を損失しないように注意を要するのである。

 中国の料理法に、暴殄ぼうてんを戒めるという言葉がある。暴とは人手を尽くさず、物をなおざりにすることで、料理に対する誠意を欠くものと言えるだろ。殄とは天恵を粗末にするという意味で、日本料理にはこの悪い傾向は特に多く見られる。中国人は肉を割くにあたり魚鶏羊豚すべてに血、蹄、頭、尾、耳、肚、肺、肝、腎臓など、日本人の捨ててしまい顧みない部分も丁寧に始末をして、ひとつひとつ立派な料理に作り上げ、各部特殊の本味を発揮させることに優れている。そうではあってもきちんと捨てるべきものは厳重に取り除くことは怠らないのである。ゆえに『禮記』にも「狼は腸を去り、兎は臀を去り、狐は首を去り、豚は脳を去り、魚は乙を去り鼈は醜を去る」とある。日本料理界の学ぶべきものは多いといえる。割き方は自然の組織に従うとは、骨を解こうとするならば間接によってそれを行い、肉を割こうとするのであれば筋肉の隙間においてそれを行い、決して無理に力を加えるのではなく、刃を適切な箇所にあてながら行うべきである。  『韓非子』( ※ 正しくは『荘子』からの引用 )に昔、庖丁の10本の刃物を9年使い千頭もの牛を捌いたが、その刃は研いだばかりのようであったとあるのは、肉を捌く方法を理解し、刀を使う道に精通していたことを言っているである。特に鳥類の場合にははなるべく手で引き裂いて、刃はただ手の補助として用いるだけにする。

 物を割くにはすべてそのものの自然に従って取り扱うものとする。例えば鰻は縦に細長く、肉は横に薄く、松茸は縦に、葱は斜めに、膾は薄く、煮物はなるべく大きくすべきである。

 全ての鳥魚類はなるべく早く腸を抜き去るべきであることは前述した通りであるが、鮎だけは、いかなる場合でも腸を取り除くことはしない。鮎のはらわたは他の動物のそれとは性質が全く異なり、その特有の滋味と苦みは防腐殺菌の効果をもっている。ゆえに腸を抜けばかえって腐敗を早めることになる。鴫、鴨の腸を抜くことは、そんなには急ぐ必要はない。特に鴫はその腸にある苦みが強いので防腐の作用があると信じている人がいる。また鴫の腸は、鮎の腸ににているとその苦みを賞味する人もいる。西洋にも鴫の腸を食べる人が多いと言う。 腸を最も早く抜くことを要するものは、獣では野猪と狼、鳥類では雉と山鳥である。

 尚、魚類の割き方で最も注意を要するのは、原則としてどんな部分にでも庖丁で腸を切断していけないという一点だけである。腸は腹内で曲折しているが、もともとは口と肛門へとつなぐ一本の管に他ならない。ゆえに肉を割くにあたり、口と肛門を接続したままにしておくことは自然に従う主義であるとする。 さらにそれだけでなく、腸を切断することが無ければ、内臓の汚物が肉を汚すことが無い。よって肉を水で洗うような必要も生じないのである。

 四條流しじょうりゅう大草流おおくさりゅう の料理書を見ると、鳥を引き廻して首を切り向こうに置く等とあり、まず鳥の頭を無遠慮に刎ねるのを原則としている。現在、東京の料理人の多くは、鶏、鼈を割くのにまずはその頭を刎ねるのを基本としている。これは何らかの特別な理由があるからではなく、ただ邪魔な部分をまずは取り除く為であるのだが、こうして嘴と肛門とを連結する腸管の一部を断つことは非常に不自然な方法であると言えるだろう。 もし鼈の頭を刎ねる理由が、噛みつかれることを恐れてという事であるならば、これは料理人と鼈との対決であると見るならばどうだろう。料理人は武器を手にして、丸腰の鼈に対し、不意打ちによってその首に切りつけているとも言えるのであり、この世界のどこにこのようなひどい料理法があるだろうか。

 鰻を割く方法は、大阪は腹の方から、東京は背中から行う。どちらが良いかと言えば、鰻の味わいの良さは肛門より下であり肉の味は下腹部以下に集中しているので、大阪流の割き方で行うならば味の中心を切り割いてしまっていることになる。ゆえに割き方は東京流の方が理論上では適っていると言える。しかし東京の鰻を商う者の鰻の価値の判断基準は、その産地によってだけであり、品質という面からは何ら選択の注意を払っていないようであるので、味に対する注意が行き届いているとは言い難い。

 魚の割き方はまず十分に鱗を取り去り、腸と鰓を付けたまま肛門までを取り除いて、腹部および口腔内を丁寧に洗浄しなければならない。唇の周辺は内外からササラで擦って、臭気と粘液を洗い流す、尚、頭部の鱗は取り除きにくいが、それでも十分の注意を払ってすべて残さないように取り除く必要がある。 東京の料理人は一般にこの洗い方と、鱗の取り方への注意を怠っており、扱い方が非常に粗雑であるため、荒煮や汁物に生臭さ残っていてり食べるに堪えられないものが多い。洗いが終われば、尾の付け根を糸で括り、逆さまに吊り下げて、冬ならが寒風に当てるか、または暫くは日光に晒しておくのも良いだろう。
 同時に庖丁、俎板を十分に洗浄して、1、2時間後、魚の水分が乾いた頃に、料理に取り掛かれるのが良い。こうして割き始めた後は、どのような場合であっても水は使用しない。もし汚物が肉に付いた場合は、紙で拭き取るか、または庖丁で取り除くだけである。

 次に鳥の割き方は、まず羽毛をむしり取り、指でも取れないムク毛は火で毛を焼くのが正式な方法である。アルコールを使用するならば、さらに綺麗に焼くことができる。中国で煺毛という語がある。『類書纂要』には「撏去毛也」とある。つまりこれは毛焼きのことである。ただし鴨や鴫のような水禽類にはこのような毛抜きは無用である。指先に水で濡らし、鳥の肌を摩擦すれば、ムク毛は綺麗に拭い去ることができる。東京の島屋では、鳥はすべて毛焼きするものと思っているのか、陸鳥も水鳥も同じように毛焼きをするのが普通になっている。料理書にもかなりこの方法が載せられているが、この方法は間違いである。
 関西は鶏の羽毛は指で抜かずに、熱湯につけて2,3度振り回して洗いう方法を取っている。これは西洋風を真似たものであるが、味には格段の影響は無いようである。

 すでに羽毛を取り去ったのであれば、まず両脚の内股の皮に薄く切り目を入れ、手で両脚を外側に向けて押し開くと、腰部分でつながっている関節がすぐに離れるので、これを引いて割く。また胸身に薄く切目を入れ、肩甲骨にある接続骨を切り離して、手で同じように引き離しておく、ささ身を骨から引き離して、次に胸部と脊髄骨とを切り分ける。胸郭を引き離せば、脊骨に包まれた内臓はすべて露出するので、頭に沿って並行している食道を一緒にして肛門とつなげたまま取り去る。内臓を取り去れば俎板と庖丁等を良く洗って、布巾で拭い、まず肉の部分、次に骨、臓物の順で処理を行う。
 中国では鶏の頭を貴重として、中心から縦に割って調理して客に提供するが、これは日本で鯛の頭を貴ぶのと同様であるといえるだろう。
 獣類の捌きかたも原則的には鶏と同じである。ただ毛を抜くのと皮を剥ぐの差があるだけである。スッポンの料理法は一般的にはかなり面倒であると思われているようだが、実際はそこまで面倒ではなく、鶏を割いた経験があればそれは決して難しいものではない。その両方は料理法の原則からは何も変わるところはない。ただ鶏は死んだものを割き、鼈は生きながら割くという違いがあるだけである。その割き方は「鼈の部」で詳しく説明したい。

 魚、鳥の料理は大体以上の順序で行われるが、大体において玄人と称する料理人、または鳥屋、魚屋の料理法は、手を省く事と、能率を重視しようとするので、洗いの処理が不潔であり、それが味にも及んでいるため、不快に感じるものが少なくない。中国に「君子は厨房に遠ざかる」の語がある。日本では「見ぬ事清し」と言い、調理場の不潔は多少あきらめているようであるが、しょうがないから諦めるできであるとは言うべきでない。 随園がその著である『随園食単』で、「顔を流れる汗や鍋上の煤が少しでも料理に入ることがあるならば、どんなに上等な料理も、西施が糞汁をかぶっているのと同じで、人は皆、顔を覆ってこれを避けるのである」と論じたことは確かに要を得ていると言える。

 家庭料理を清潔で衛生的に、かつ経済的にしたいと思うならば、まず魚屋、料理屋に仕出しを注文する習慣を改め、各家庭で魚や鳥を買って、主婦が自分で割烹して料理の準備する方が良い。魚や鳥の料理は少し馴れてくれば楽しい気分で料理を行って、そこから妙味が自然身に付いてくるようになるのである。
 各家庭の主婦は学校で自必ず、裁縫が出来るように教育を受けてはいるが、裁縫は家庭の事情によって他人に任せることは出来ても、食事に関してはそれは出来ない。主婦が楽しんで調理するならば、それは一家の幸福に貢献することになり、料理するならば経済的に見ても家計に良く、これを衛生的に調理することにより一家の健康を助け、それによって一家の生命の根本を築き、一家団欒の基礎を固めることが出来るのである。よって主婦の役割として、料理は最も重要な第一の部分であって、これを超えるものはないと言えるだろう。
 そうであるならば、主婦が自在に一尾の魚を切り身にしたり、刺身にしたり、荒煮にしたりして、どんなものでも手料理で作れるようになれば、そのコストは料理屋、仕出し屋の半額にも当たらない。さらにその骨や、臓物類はお金をかけず惣菜料理の材料にできるので、精神的にも物質的にも家庭の受ける利益と幸福は少なくないのである。よそから送られてきた魚鳥類にも、いちいち商売人の手を掛けさせるのは、骨や臓物を損失することになるだけでなく、手間賃を支払って不潔と不経済を買うのと同様である。馬鹿々々しい限りである。

 ここに一尾の鯛がある。肉は刺身にし、骨と内臓は荒煮にして、頭と鰭は潮汁にするのも良い。このようにして余りがあれば塩をつかって保存しておくか、味噌に漬けて保存するか、または炙っておくか、その調理方法にすこしの注意を払えば、肉の味は一層の美味になるのである。このように翌日のため、または他の日の準備を前もってしておけば、不意の来客があっても慌てることもなく、有り合わせの材料でどのようにでも工夫して即席料理で間に合わせることが出来る。これはいわゆる『随園食単』遲速須知の教えである「東海の水を取て南池の焚を救う」の技術を発揮し、また「赤壁の賦」を読んだ東坡先生の妻が、賢妻の名で呼ばれたように、不意の来客があっても賢く対応できるようになるのである。

 近年の我が国における一般家庭の風習を見ると、みだりに各地の名産を食卓に並べて喜んでいるような傾向にある。あるいはいたずらに珍奇を集めて多額の金銭を費やしたことを誇る者もいる。これはいずれも品数の多さをご馳走と思い、値段の高いものを美味と判断する金銭主義の弊害であって好ましくない事であると言うべきである。主婦はむしろ自分の技術と趣味によって手際よく気の利いた料理でお客を楽しませることを心がけるべきである。特に家庭料理はなるだけ一食一種類に限るような習慣とする方が望ましい。一種類の分量を多くするには良いが、皿数を多くするのはあまり良くない。これは経済的な理由で言っているのではなく、メイン料理の本味を味わうという点から、そうありたいと願う事だからである。だからといって食物が余りに単調であるのも好ましくないようであれば、1種類の食材で、あるものは煮漬けにして、またあるものは刺身にして、その他も吸い物とすることができるが、これは主婦の心づもりひとつである。

 近年、西洋では宴会の料理も、家庭の食事も、だんだんと皿数を少なくなってきており、至る所にあるレストランでも、鶏ならば鶏、鴨ならば鴨、ビーフステーキならばビーフステーキのみとするような専門店が次第に繁盛している傾向にある。

【 備考 一 】
 魚類を一時的に保存するには、腸を抜き、頭を下にして吊るして置くようにする。禽鳥類の保存法は、嘴の花の穴に糸を通し、頭を上にして掛けて置くと良い、そしてその腸を抜き取る場合には、中国流であれば肛門から刃を入れて縦に腹を割き、西洋人は横に切目を入れ臓物を切り取る。

【 備考 二 】
 魚類は保存に塩を使う場合、一時期の保存であれば日本産の「ばら塩」を適宜、魚肉に撒いてぬりつけて置けば良いのであるが、少々長く保存しようとするのであれば西洋流の「立て塩」といって、塩を水に溶かしてたもの、あるいは海水を汲んで来て、これに塩を加えて塩味を増した塩水中に魚を浸しておく方法がある。魚類を煮る前に流水で良く洗えば、肉もしまり臭みを取り除く効果がある



その醤を得ざれば食さず

 第一節では材料の良否美醜を判別して、第二節では割き方の正しい方法を理解したが、本節では膾も吸物も焼き物も煮物も調味料による味の加減とその真実を述べる。これが料理の真髄であり、事に当たる者のように水と火の変化を察し、五味の度合いを体験して審思明辨、素材に応じてた変化に合わせてその良い状態を制御しようという覚悟が必要である。

 料理おいて先ず、作味料、補助味、やく味(芳香品)等を選択することは、基本材料を選ぶのと同じく注意を払わなければならないのは言うまでもない。

 味の種類は国によってその数が異なっているのことは前編で述べた通りである。学者は甘、苦、鹹(塩味)、酸の四味が「真の味」であるとしている。舌の先端は甘味、基部は苦味、周辺と舌端は鹹味、周辺の中央部は酸味に対して、それぞれが鋭敏に感応することで味わうのである。しかし渋味、辛味、アルカリ味、金属味等は、味神経と触神経との混合感応であるので真の味ではないと論じている。しかしながら我が国は古来より、苦、辛、酸、甘、鹹の五味を味の基本としており、それは中国と同一である。

 補助味とは鰹節、昆布、干蝦、味の素、麻油、バター類であり、作味料とは醤油、塩、砂糖、味醂、味噌、酢の類であり、芳香味とは山椒、葱、レモン、肉桂、唐辛子、韮、胡麻、生姜の類である。すべての料理は材料の組み合わせにより、作味料、補助味、芳香品の配合および適切な分量を使い、なおかつこれに火の力を加えて調味するが、その際に注意すべきことは、五味は互いに不調和の性質をもっており、特に甘いと苦いと、塩からいと酸っぱい辛いといずれも互いに消殺するものなので、これらを同時に併用するべきではないという事である。また食材には、各々、厚さや薄さ、濃淡がある。またその力には過不足があり。性質には適切、不適切がある。火には強弱や長短の度合いもある。その関係性はかなり複雑微妙であって、すべてこれを料理の加減という。食材を茹でるのにも加減があり、塩梅にも、蒸す方法にも、焼き方にも加減があるため、これらをひとつひとつ心得ておくべきである。例えば茹で方においても野菜類や豆類は多くの熱湯で茹で、里芋や人参はぬるま湯から、百合の根は冷水から茹でるようにすべきである。また火の長短強弱もまた食材により違いがある。また塩梅においても食材によっては酒を使うことがある、味噌が適当な場合もあり、食塩を選ぶことや、醤油が適している場合もあり、塩と醤油を一緒に使う場合もある。あるいは砂糖を必要とし、煎り酒を使うこともある。あるものに対しては鰹節の補助味を必要とし、あるものには昆布の出汁をつかう。
 そして食材によっては補助味や砂糖を使わないほうが良いものもある。炙るのが良いものがあり、煮るのが良いものがあり、蒸すのに適したものがあり、膾にすると良いものがあり、一度焼いて煮ると良いものがあり、塩漬けにすると良いものがあり、干物に良いものがあり、中には手数をかけない方が却って良いものがある。念入りに手数を加えた方が良いものがある。いちいち説明するのは難しいが、その多くは現代の学説によってあらかた説明することが出来るものである。すべての食物はどんなものであっても灰汁気を持たないものは無く、海産物および動物質食品の含んでいる灰汁をナトリウムと言い、陸上植物性の食品が含んでいる灰汁はカリウムと言う。そしてこのナトリウムとカリウムとを含んでいる食品を一緒に煮れば、互いに融和、調和する相性があり、食品を柔らかくし、かつ食味を良くするのである。蛸や鮑を柔らかく煮ようとする時には、大根と一緒に煮るのはこの理屈である。芋とタコ、豆と昆布を一緒にするのもこの理由である。牛肉鍋に豆腐を入れて煮れば、長く煮ても豆腐が硬くならないのもこの理由による。ゆえに野菜を茹でる際に一つまみの塩を入れるならば、茹であがりが早く、また野菜の色も変わらない。野菜だけの煮つけには鰹節を削って入れれば、味を一段と美味にすることに加えて、牛肉鍋に大豆のワリシタを用いれば風味が一段と引き立つこともこうした理由による。

 だからと言って動物性のものと、陸上の植物性のものを一緒にすれば何でもよく調和するかといえば、必ずしもそうでない場合もある。味噌汁には必ず鰹節を入れる習慣があるが、鰹節は味噌汁との調和は良くはない。独特なひなた臭いにおいを起こすので味噌の本味を乱す感じがある。味噌汁には獣肉が最も調和せず、獣肉よりも鶏肉の方が良い。さらには鶏肉よりも魚類の方が良い。そして魚類でも海魚よりは川魚の方が良い。川魚は鰻と鮎を除けばドジョウ、鯰、鮒、鯉などすべて良く調和する。海魚ならば鯔、河豚、鮟鱇、赤エイが調和するぐらいで、他はあまり良く調和しない。ただし味噌汁で味噌の本味を知ろうとするのであれば野菜類を超える合うものはない。よって野菜の具を沢山入れてその具を食べずして汁を味わうのを良しとする。
 中国の料理の原則である『随園食単』ある「清者に清を配し、濃者に濃を配し、柔者に柔、剛者に剛をもってする」という原則は、食材の味の混濁を避け、本味を重んじるという趣旨であり、これを必ず意識していなければならない。

 また薬味の配合についてもほぼ一定の原則がある。中国では夏には主として芥菜を食べ、冬には主に胡椒を食べる。『禮記』には「春の膾には葱、秋の膾には芥子、春の豚には韮、秋の豚には蓼」とある。また鶏には生姜が合うが、豚には合わせるべきでなく、魚には蒜(のびる)は合うが羊には合わせるべきでないとは、その言葉の通りである。我が国には、古来から一定の法則があって、鯉の刺身にはワサビの酢、鯛には生姜の酢、鱸は蓼、フカは芥子の実、ゴマメも芥子、鰈はヌタ、鮎は蓼、河豚は春菊に大根と胡椒、魚の荒煮には芽生姜を添え、猪肉には粉山椒が良いとされている。ただし近頃は刺身に酢を用いず、生醤油にワサビを添えるだけのことが多い。

 補助味としての鰹節、出汁、砂糖の類は、使わなければその料理が本味を得ることは出来ない。そうは言っても、使う必要がないのにみだりにこれを加えようとするなら本味を乱し、味の混濁に陥ることになるため、その用法には十分に注意を払わなければならない。
 我が国の料理の最大の問題点は、補助味の乱用と、料理にみだりに人工的な小細工を加えるようとするところに多くの弊害がある事にある。本味を乱すとはいわゆる「紫の朱を奪う」という類のことであって、食味を害することを言う。例えば鳥類の煮物に、鰹節の出汁を使い、生魚の煮物に砂糖を入れるならば素材の本来の味が消え失せて、その味は混濁し不調和となってしまうだろう。混濁とは清でもなく濃でもない、気づくといつの間にか真味を失っているようなものを言う。
 また粉飾小細工に過ぎている場合は、清新鮮鋭の気が消失してしまっており、舌の上が膜で隔てられているような感じにさせられるものである。砂糖や味醂のような甘味の使用については古くは『周禮』にも「調えるのに滑甘をもってする」とあるように、食材の味を滑らかにし、同時に食材の癖を取り除く効用があるので、鰹節や干蝦の補助味に比べれば、応用の汎用性は高いのであるが、それだからと言って日本料理ではあまりにもこれを濫用しすぎる傾向がある。酷い場合はその甘味に関しては菓子と変わらない料理を見ることも少なくない。そして却って菓子類には甘味が不足しているものが多いというのは奇妙である。あるいは甘味を強調し、糖味を際立たせるために、ひとつまみの塩を加える事すら忘れてしまっている菓子があるかと思えば、塩炒めの料理にまで砂糖を加えているような場合がある。現に街中にある料理店の魚の荒煮料理のほとんどに砂糖が加えられているのは、いわゆる「将を得ざる」の悪例であって、もし砂糖がむやみに使われているのであれば、その不適切さを我々が嘆くのと同じように、生魚もまた濫りに天の恵みを汚されていることを嘆いているに違いない。補助味、砂糖類の濫用は日本料理に共通した弊害であって、料理を行うものはこの点にも慎重さと注意を払わなければならない。

 鰯の真味を引き出した料理は、鯛の真味を引き出せていない料理よりも優れており、ドジョウの真味を引き出した料理は、鰻の真味を引き出せていない料理よりも優れている。どのようなものでもすべて時期と産地の兼ね合わせにより、ひとつの素材には、必ずひとつの特有の味がある。こうした「一物一味」の天の恵みを消し去ることなく、各々の本味を発揮させて、一物一性の料理を献じ、一椀一味を達成することが料理の真髄であることを理解する必要がある。
 さすが随園はこの点に言及していて、『獨用須知』の項目のなかで、味が濃くて重いものは単独で用いるべきであり、他のものを配合すべきではないとして、鰻、鼈、蟹、鮒、牛、羊、鶏、猪、鴨といった類を挙げ、これらは皆「豪傑の士」であり、その各々に本味があって、優にひとつの系統を為しているため、人の下の低いところに置かれるものではないと述べている。それに対し、海参(なまこ)、蒸窩(蒸しパン)は「傭兵の士」である。他の食材の力を借りて始めて、その味を完成させるものであると断言している。
 これは本味を重視すべきであることを論じているのであり、日本料理でもその原則は何ら変わるところはない。それが動物性の天然食材であれば、その独立した味の特徴を尊重して補助味は加えない方が良い。(砂糖は補助味ではなく、作味料である)ここで注意すべきは、これらメインになり得るような食材は、その味の偉大さゆえに独特の癖があるので、調理の力によってそれをコントロールして短所を取り除き、その長所を引き出すことに努めなければならないにも関わらず、その本味を遮って別の種類の味を加えてしまう事である。そうすると味は混濁してしまい、本味も、加えた別の味も失うことになるため、必ず避けなければならないのである。古書には「政治では、ひとつの利を始めるよりは、ひとつの弊害を除く方が大事である」とある。これを料理にも当てはめてその格言とするべきであろう。

 醤油は長く熱を加えると味と色を失って佃煮のようになるので、煮込む時間と温度によって、いつ醤油を加えるかの順番を決めておく必要がある。塩加減は十分に炒めた時に行い、かつ味の濃淡の加減を一気に過不足なく行わなければならないが、あまり経験のない人は、まず塩気を控え目にしておくと良いだろう。薄い場合は後から醤油を加えて味を調えることは出来ても、始めから塩分の多過ぎたものは再び淡い薄味に戻すことが出来ないからである。水を後から加えることはタブーである。

 煮物はなるべく味の厚いものの方が求められるが、あまり油っこいもの良くない。また清鮮なものを好んでいたとしても、素薄なものになってもならない。この両方は似ているようであるが、その内容には千里ほどの差がある。昔、蘇軾が 柳子厚 に関する文の序文で述べた「發纖穠於簡古,寄至味於淡泊」とは、厚味を極めてこそ料理の妙手であるという意味である。調味はこの境地に至る事こそが望ましい。つまり「厚味とは香りと味を残し、持っている癖や悪い部分を除き去ることを言っており、清鮮とは清気を汁に移して俗気を超越しているような微妙な風味のことを言う。もしいたずらに濃厚を貪る俗人がいるならば、彼らは豚脂を食べればよい。いたずらに淡薄を望む痴人であるならば、彼らは水だけをを飲んでいれば十分である」というのは『随園食単』の中に有る言葉である。

 魚や鳥で濃い味で脂の多いものは前もって炙り、その後に煮るのが良い。生臭いものは前もって酢に浸しておく、あるいは塩水でそれを洗っておくと良い。煮物はなるべく味を汁に浮かすように作ることが原則である。炒め物は分量が多すぎると火の廻が悪く出来が良くない。煮物は分量が多く無ければ味が出にくい。海魚は鯛の浜焼きは例外として、煮るか、蒸したものが良い。川魚は鯉の味噌汁の他は炙ったものを食べる方が良い。吸物に獣肉を使うよりは、鳥類の方が合っている。それでも水禽類であれば吸物には合わないので、炒めるか煮た方が良い。ただし、鶴や鷺などの脚の長いものは吸物にしても良い。水禽類を吸物にするべきではないと言われているのは、味の上から言われているのではなくて、その繊維中に含んでいる多量の血液の為、汁が混濁してしまうのを嫌うためである。陸鳥類の汁は、その捌き方さえしっかりしていれば、その汁が決して濁ることはない。

【 注 】
 捌き方の不注意で、肉に血液の混じった場合でも食材を水で洗い落とすことは禁物である。そのまま鍋の中に入れて、ひと煮立ちさせたならば、汁の表面に血液が茶褐色の泡となって浮き上がるので、それをすくい取って捨てれば良い。


 特に雉子、山鳥の肉には特有の香気があるので、料理法が正しく行われるならばその味は非常に上品となる。それが清汁に良いことは先にも述べた通りだが、だからといって鳥肉の炒め、甘煮などには不適当であるという意味ではない。一般に行われているスキ焼きの起源は、鍬に火をかけて、周りに味噌で土手を作り、その中に少しの湯を入れて雉子肉を焼いて食べたことから始まったようである。関西地方では今もスキ焼きに味噌を添えることがあるのはこの名残を示している。

 生魚の煮物に砂糖を使うべきでないことは所々で述べている通りであるが、一般に醤油よりも塩煎りの方が良いと思える。煮魚を保存する場合に、醤油煮は塩煮よりも腐敗し易く、また塩煮は長く味を保存する点でも利点がある。塩煮の場合は強火で炒め、火が通った時にその汁を捨てて、再び鍋に火をかけて十分に水分を飛ばして作るようにする。

 鯛の昆布締めとは、鯛の肉に昆布を巻き付けておいたものを柱に締め付けて置き、半日または一日後、これを刺身として酢につけて食用するものである。これは昆布の味が魚に移って美味を増すのではなく、昆布締めが生魚の刺身に比べて、特に美味に感じるのは、柱に締め付けて置いた為に、魚の腥気が昆布に移り、その肉中の水分を取り去ったうえで、昆布の塩分が作用して魚本来の味を引き出しているものに他ならない。ゆえに「昆布締め」にしなくても新鮮な鯛に塩を加えて、清潔な萵苣チシャの葉に包んで、水気が滴るように吊るして置き、一晩経過したものを刺身にして、それに橙酢を添えるならば、必ず佳味であるだろう。人によっては美濃紙て包んで、上から塩を振って圧力をかけて置く方法を取る。この昆布締めのようなものにも橙酢を添えれば無難であるにもかかわらず、なぜか街中の料理屋では片栗粉と卵の黄身に、酢の味醂の煮出汁を火にかけて混ぜ合わせた黄身酢と呼ばれる得体の分からないものを添えて出す事が多い。これは洋食の魚料理にかけてあるマヨネーズから思いついたもののようであるが、これは魚のボイルされたものには調和するが、生魚の刺身に合わせてみると、醤を全く得ていないものであると言える。

 食物の五味が調和し、補助味、作味の加減がぴったりと決まったとしても、まだ完全であるとは言うべきではない。それは臭覚、視覚、触覚、あるいは食事時の精神状態とも関係あり、温度、食器、配列、清潔等もすべて料理に微妙な相互関係があることを理解しておかなければならない。 料理の味は鍋からおろして冷えるまでにある。時が過ぎてしまってはせっかくの香味が一変してしまうことは免れない。中国料理の原則には現殺、現烹、現熱の言葉がある。手際がわるく調理が停滞してしまうことを禁じることを言う言葉であり心得ておかなければならない事である。また食物の温度に関しては、煮物は春の気候になぞらえて暑からず、寒からずを度合いとして、羹は夏になぞらえて暑いものでなければならず、醤は秋になぞらえて爽涼である必要があり、飲料は冬になぞらえて寒冷であることが良いのは、中国では周代からの通則であり、今においてさえなおこの原則は守られている。食器は美しく、上品であることを良しとする。せっかくの佳肴珍味も食器が釣り合っていなければ感覚上で味を落としてしまうことになることが多い。古語に「美食不如美器」とあるように。器の適正から言えば貴重な食材のものは大きく立派な器に盛る方が良いが、普通のものは普通の器に盛った方が良いのである。そして炒め物は皿に、汁ものは椀に盛るのは誰でも知っている事である。

 食事の時の感情の良し悪しがその味、あるいは消化作用に影響するのは我々が日々において経験していることである。欧米では饗宴の際には必ず音楽が演奏されるのと同じで、中国でも周代から既に食事の時には音楽によって食を促進することが出来ると言っており、これは精神上の快適さによって食事の味を増進しようという目的に他ならない。その理由を学術的に発表した生理学者は、ロシア人のパウロー氏である。同氏の実験上の証明によって、精神および感情が食事の味に重要な影響を及ぼす理由や、色や香りの好き嫌いによって消化液の増減に重大な関係性がある事を明白に証明している。よって食卓や食器を立派にして、食堂に花を活け、楽器を据え、飾りつけを立派にするのも一理あることなのである。
 上出来の料理とは香り良く、その色彩は澄み渡った秋の空のような雰囲気であり、さらには光沢のある艶やかな琥珀に似ており、食べなくてもその妙味が伝わってくるようなものを言うのである。しかしもし、それが濫りに香料を使い、色彩を加えたようなものであれば、粉飾に陥った、俗臭のみなぎるエセ料理となり果ててしまい、その至味は全く破壊されてしまっているのでる。

 最後に論じるのは、水や火加減に関する事であるが、調理上の火加減の重要さは今更改めて論じるまでも無いだろう。火の強弱およびその使い分け、時間の長短によって、料理の死活は分かれると言っても良いくらいである。現に中国料理の割き方は、案外そこまで器用ではなく、洗刷も不十分であり、材料の選択も時として杜撰であると思われるのだが、それでも中国の料理が優秀であるとされる主要因は火加減の巧みさにあると言える。

 中国の料理には昔から「水之が始まり、火之が来たり」と唱え、料理における水と火を対等のものと考えている。『本草綱目』には火の種類を燧火、桑柴火、蘆火、竹火、炭火などの十数種類に分類し、また水を区別して天雨水、露水、明水、霜水、神水、流水、井泉水、等として、各々その効用を説明しているが、これらが特に調味上において何らかの価値があるとも思われない。
 宗虞棕の『食珍録』には「焼肉忌桑柴火、醤蟹糟蟹忌燈照」の言葉があるが、その理由は特に説明されておらず知ることが出来ない。多分、桑柴の類は火力が弱く、肉を焼くのに適していないという意味であり、糟蟹とは空気と光線を通すのを避けるべきであるという意味だろうか。我が国でも粥を炊くのに、古くから使いならした土鍋と炭火を用いるのは、底力の強い炭火によって、土鍋をとおして強く、しかも緩やかに熱を加えることが粥を煮るのに適しているとされている。ただし鍋が土鍋であり、かつ幾年か使い込んだものに限られるのは古来からの実験によってそうなったのである。

 薪や炭の他にもガス、電気、石炭、石油等、現在では普通に使用されている火力の種類は大変多い。これらの火力の性質上の違いが食味に及ぼす程度に関しては種々の議論があるが、いまだにこれを明らかにし論理的に断定した説明は見たことが無い。

 また水に関しては、昔はずいぶんと重視された要素であったが、これは煎茶の流行にも影響があった事に起因している。古来より我が国では飲水には肥前温泉獄温泉寺の水、甲州笹子峠頂上の石清水が第一であり、茶には西京堀川堤の水、紫野大徳寺の水。酒には播州の西ノ宮の井水を名水としている。 『本朝食鑑』には「東北の水は性重く気剛である。南西の水は性軽く気柔らかい。中央の水は性気共に剛ではなく、柔らかでもなく、重くなく、軽くなく、色は清く、美味である。故に西京の水が第一なのである。就中の鴨川の神流潔白甘美である」として、銘泉としては養老瀧、醍井石清水を推している。中国では『大明水記』の中で「廬山の康王谷の水を第一、無錫の惠山石泉を第二、扇子峽蛤蟆口水を第三、虎丘寺の石泉水を第四、廬山の招賢寺下方橋潭水が第六、揚子江の南零水を第七(陸羽の水論)」として数え挙げている。

 西洋では、水の中に含まれる炭酸石灰の分量を水の硬軟の基準としている。硬水の方が衛生的に良いと主張して、軟水すぎるものは鍋や、給水管の鉄分や塩分を溶解させてしまう害がある等と論じる人もいる。ただし炭酸や石灰のアルカリ性を含む水は、料理の味を落とすことを知っていなければならない。基本的に料理用の水は使い慣れた井戸水、または水道水のような軟水を使用するのが安全である。また火と料理の関係について特殊な持論を展開し、火食は必要ないと主張する人もある。まずは料理通であると言われている村井弦斎氏の説を紹介すると「元来人間の食物は、天然物を天然のままに食べるのが、天地自然の理屈にかなっているが、人間が火食というものを発見して、天然物を人工的に料理する時代に入ってから、人間の食物が次第に天然から遠ざかり、その為に体内各種の組織が幾分の不調和を起こすようになった。このように人間が病気にかかるようになったのは、すべて火食が主な原因なのである」と述べている、
 また宮入慶之助博士もその著書で、食物は自然のままという意味で生食を薦めており、割烹し火力で手を加えれば加えるほど食品に含まれる張力が低下するため、食物としての価値が減ずることを論じている。しかし実際にそうであれば、料理に塩を使用することも避けなければならない事になるが、そのようなものは正に動物の食事であるとしか言いようがないものである。一体この世界のどこに、火と塩を使用しない料理があるだろうか。本書は基本的に自然食を認めるスタンスであるが、決して火と塩を無視した自然食を認めている訳ではない。火と塩を調味に使用するのかどうかは、実際に人と動物の食物における唯一の境界線であり、火と塩の加減こそが人間の食の最も妙味である。つまり料理とは火と塩があれば十分なのである。これ以外に人工的な小細工や、補助味、香味料などが必要ないという論であればまだしも、火食の否定に関しては反対するしかない。
 次に火食の効用に関して説明しておきたい。

第一、火食は味を美味にする

 火が影響を与えることで味を美味くする理由とは、火の熱度と時間の関係によって科学的変化を起こすからである。しかも植物の内に含まれているカロリーが、人の胃の中に入ると科学的作用によって体温となって現れるように、各食材の繊維と組織の間に奥深く姿を隠している滋味の女神が、緩やかな熱温度に会い、長い時間の中から自然に誘い出されるのようになるからであると考えられる。中国料理が優秀な理由は、最もよく火加減を知っており、これを利用する技術を理解しているところにある。

第二、火食は消化をよくする

 すべて植物性食物が含んでいる栄養素は細胞の内にあって、厚い細胞膜に包まれているので消化液の侵入は困難である。しかし煮沸すれば細胞が膨張し、細胞膜を破って、その一部が可溶状態になる。例えば穀物の澱粉は、熱を加えれば粉状から糊状に変化するが、糊状の澱粉は生のものに比べて消化が非常に容易である。肉類も生のものよりも、煮たものの方が基本的に消化されやすいことは実験で既に証明されている明白なことである。一般的に刺身は消化しやすいと言われているが、これは歯への食感からくる印象であり、誰もまだ学術的な試験をしたことがないので未だに信じがたい。

第三、火食は伝染病を防ぐ

 多くの伝染病は病原菌が生のものに付着したものを食べたることにより起きている。例えば牛肉には結核菌、豚肉には条虫、川魚にはジトマス菌、野菜には十二支腸虫卵などが付着していることが少なくない。したがってこれらは煮ることによって危険を免れることができる。中国人の日常生活が不潔極まりないことは有名であるけれど、比較的伝染病が少ないのは、生食をしないことが大きな原因であるとされている。

第四、火食は中毒を免れさせる

 食品の腐敗が進めばプトマインと呼ばれる化合物の為に中毒になることがある。また腐敗していなくても肉中毒と言って、肉の毒素にあてられることもある。こうした中毒のすべては煮沸により避ることが出来るのである。

 以上、概略の理由を見ても、火食は人類の生活に絶対に必要な事であると理解できる。
 原始時代に果実や蛙蛤を生食していた時には、その悪臭と生臭さのために病気になることも多かったようだが、火食を知ってから人類の健康が著しく良くなり、知識獲得のうえでも際立った進歩が見られるようになったことは、学者の議論においても一致しているところである。
 村井氏が、一方では火食を中心とする中国料理を雑誌や著書に機会あるたびに推奨しながら、他方では火食の有害論を唱えているのは、その両方に矛盾があると言えよう。

 火の効用とは基本的に前述しているような事であるが、その強弱、長短、加減等が味に影響することは非常に重大であって、ある料理が駄目になるのか、それとも良くなるのかは、一に火加減がどうかにかかっている場合が最も多い。『呂氏春秋』に「九沸、九変、火之が紀たり、時に疾に時に徐に腥を去り、羶を除き、必ずその勝を以てす」とあるのは、同じ意味のことを述べたものであって、鳥類や魚類、大豆のようなものも、火の力でその腥気を除き、筍やわらびのようなものも茹でてその不快な味を取り除くことができる。 『随園食単』には「道人丹成九轉して仙となるに過不及なきという例から、司厨者の火加減に対する注意が緊要である」と論じてあり、ここに中国人の火加減に対する配慮の深さを見ることが出来る。
 蒸し物、焼物、炒め物、揚げ物、汁物等に関する基本的な調理にかかる時間は決まってはいても、調理には材料の性質、鍋の大小、種類等、様々な要素が関係しているので、いたずらに時間と法則だけに捉われて決めつけるのではなく、素材によって、あるいは時と場合によって融通を利かせることが必要である。よって食材の鮮度、香り、硬軟の状態を熟知して、自己の見識と経験によって以下のように調理しなければならない。
 炒め物の火力が弱ければ、素材はくたびれ味には張力が感じられなくなるので、強さを求め。煮物は火にかける時間が短ければ素材は枯れて味に深みが無くなるため、時間をかけて煮込むことが必要である。長く煮るには火の弱さが重要であり、焼き物は火の短さを重視し、略煮は火の強さが大事である。

 鳥獣肉は煮ることによって軟らかくなり、またその味は増すが、魚や蛤は煮すぎれば鮮味を失うことになる。基本的には蒸物はとろ火で一時間以内、魚肉ならば強火を使って半分以下の時間に短縮しても良い。蒸し過は良くない。炊物は中国人は普通は2~3時間以上、長いものでは周代の炮豚料理のように三日三夜におよぶようなものもあった。前に述べた「文火とろび」とは、まんべなく行きわたる心持ち弱い炎が燃え続けている状態を言い、「強火」とは炎々として燃え火力の強い状態である。

 焼き物は火の強弱と素材の鮮度を計りながら、適度に焼き上げるようにすべきである。大体は落ち着いた強火を良しとする。つまり十分に起こった強い火力であるが、炎はあまり立たないようにして焼くべきである。脂肪が多いものであればかなり短時間で火が芯まで通るが、脂肪がないものは火が芯まで通りにくい。火を強くすれば外皮を焦がし、弱火で長時間火にかければ食材が枯れて味を失ってしまう。炙り方は魚も鳥も肉の方を先に炙るのが原則であるが、鳥は皮の方から炙った方が良いという人もいる。『吳越春秋』には「専諸大和公に従い魚炙を学ぶ」とある。炙りものにも基本がありその意図に従って調理する必要があることを理解しておくべきである。

 日本流の澄まし汁は中国流の嗜好と違い、火にかける時間はあまり長くない方が良い。ひと吹きか、料理によってはふた吹きぐらいを加減とする。鍋を火から下したならば猶予無く食卓にのせるのが重要である。一度冷めてしまったものを再び煮て温めるような事があるならば、味は混濁して癖を生むことになるので、むしろ冷えたままである方が良い。澄まし汁は長く煮てしまうと、西洋風のスープの味のようになり、日本流の風味を失ってしまうことになる。これと反対に味噌汁はぬる火で長く火にかけた方が良い。ただし参州味噌はこれに当てはまらない。味噌汁は日本特有のものであり、中国にはない。我が国も昔は味噌をそのまま食用としていたが、応仁の頃からこれを汁にする事を考案したのだと言われている。

 肉を煮るには、最初から火を強くして、湯が沸騰した時に肉を入れるようにすると良い。塩味を付けるのは煮えきった後にするべきであり、早くから醤油を入れるならば、肉は固くなり佃煮のような味となってしまう。もしスープにするのであれば、冷水から肉を入れて、徐々に沸騰させるのが良い。

 鶏卵を煮る方法は誰もが知っているが、鼈、海亀、あるいは鰐など水陸両棲動物類の卵を煮る方法については良く知られていない。大正9年9月頃の東京日々新聞通俗講話の内に、鰐魚ワニの卵についての記事があった。この卵はかなりの高熱を加えなければ煮え無いとして、事実を示して論評を加えているのだが、これは爬虫類の卵と、鳥類の卵を同一視している為の誤りである。およそ鰐、鼈、亀などの爬虫類の卵は、外殻がかなり薄いため鳥類の卵よりも早く火は通るが、その白味はどんなに熱を加えても凝固しない特性を持っているのである。前述の新聞記事はこの凝固しない状態を見て煮えないものと即断したようである。爬虫類は母親が温めるのではなく、太陽の直射熱で自然に孵化するので、熱の為に白味の固まらないような組織になっているのである。よってこれらの卵の煮方は、肉と共に沸騰している湯の中に入れると、外殻が割れて中身が流れ出てしまうので、まずは冷水から卵を入れておいて、次第に温度を加えてゆく方法を取るのである。
 例えば鼈を煮る場合で、もし卵と肉とをひとつの鍋で味付けをしようとするならば、まずは肉と卵を分けておいて、肉は沸騰している鍋の中に入れて煮るが、卵は別に小さい鍋で冷水から煮ておいて、ひと吹きしたうえで、その卵を取り出して肉の鍋に移してから味付けをするべきである。鳥類の卵の白身は主にタンパク質であるので、熱の為に凝固するが、鼈や鰐魚の卵はタンパク質の代わりにペプトンが多く含まれている為に、煮えても固まらないのである。

 前述した要点を箇条書きにして、以下に調味十三則を掲げる。

第一、料理への細かな細工や技巧に拘ることを戒める。なるべく自然に従い、調理に際しては深く自問自答をしてその真理を見極め、それを心がけはするがなるべく手順は省くように。

第二、一物一味を重視する。他の物の味を混ぜたり、補助味を濫用して本味を乱してはならない。

第三、鍋の大きさと煮物の分量とはそれぞれ適応したものを用いる事、分量が不相応な大鍋を用いる事も、小さ過ぎる鍋を用いる事も禁物である。

第四、煮えたものをそのまま鍋の内で保存してはならない。鍋を下したならば直に食卓で提供するように。

第五、火加減と水の分量を誤り、途中で湯が少なくなって水を加える事は本味を失うことになる。

第六、料理中に一度火を消して、その後、再び火を入れるのは良くない。

第七、煮ている最中に、時々蓋を開けて加減を見ては、匙または箸で煮物を混ぜる等の事は慎まなければならない。

第八、材料の異なる時、または調理方法の異なる場合には同一の鍋を用いてはならない。

第九、肉を煮るには、始めは強火を用い、肉を入れてひと吹きした後からはトロ火で煮る方が良い。味は煮上がった後に付けるべきである。

第十、煮物は終始、トロ火を用い、なるべく気長に煮るように。味は同じく煮上がった後に付けるべきである。

第十一、焼き物は最初は強い火で、途中からトロ火に変えるべきである。

第十二、揚物は強火、炒め物は猛火、蒸し物はトロ火を良しとする。

第十三、魚身、鳥皮という言葉がある。焼き方は魚は身の方から、鳥は皮の方から炙るようにという意味である。

【 備考 】
 中国人は魚も肉もすべて、身の方から先に炙ることを原則としている。肉から炙れば脂肪が皮内に入り味が増すが、皮を先に炙れば肉の中にある脂がまたたく間に火の上に落ちて皮は焦げ、肉は硬くなり、味もまた美味しくなくなるからとしているが、それもまた一理あると言えるだろう。日本流の「魚身、鳥皮」よりも中国流の方が良いように思える。また我が国においては「海背、河腹」といって、海魚は皮の方から、河魚は腹の方から炙るという風習がある。


 ここに注意を要するのは、日本人は料理に対して兎に角せつく気質があって、火にかかっているものを動かしたり、箸でかき混ぜたり、あるいは匙で撹拌しないと気が済まない癖がある。 これは料理の型を崩す恐れがあるだけでなく、隠れている本味が、火力の誘いによって徐々にその姿を現しつつあるのを、わざわざぶち壊しているのであり、まさしくその醤を乱す行為であると言える。『老子』には「大国を治むるは小鮮を煮る如くす」とあるが、これこそは正に至言なのである。




註 釈