「その見聞の源頭」

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ベン・ジョンソンと時代背景


 ベン・ジョンソン (Ben Jonson:1572 – 1637) はイギリスの詩人であり、劇作家であり、俳優、文芸評論家として17世紀に活躍した人物である。 ベン・ジョンソンの交友関係は、シェイクスピア、フランシス・ベーコン、ジョン・ダン等の、その時代を牽引した文学者や哲学者に広がっており、こうした面々がロンドンのセントポール寺院の近くにあったマーメイド・タバーン(Mermaid Tavern)というパブに集いサロンを形成していた。こうした場所が、後にコーヒーハウスへと移行して行き、文化的なサロンを形成して行くことになるのである。( ※ かつてマーメイド・タバーンがあった場所)

 ベン・ジョンソンによると、マーメイドタバーンは "At Bread Street's Mermaid, having dined and merry..." とあるように、ブレッドストリート(Bread Street)に面した場所にあったと記している。ただしその正確な場所はわからず、現在のBread StreetとCanon streetの交差した場所とされている、この付近はビジネスビルになり、大きなショッピングセンターもその隣にある。

LondonのCityにあるBread Street


 今回、ベン・ジョンソンの記事を加筆するにあたって、いま現在、かつてマーメイドタバーンがあったとされるロンドンのシティ、セントポール寺院の隣の公園でこの記事を書いている。もちろんマーメイドタバーンがあったとされるブレッドストリーを通ってきたのだが、そこには案内板も含めて何の痕跡も残されてはいなかった。その雰囲気を、今、ここでうまく言い表せないでいるのをもどかしく感じる。
 なぜこうした場所に私の興味があるのかというと、それは、その場所が地場のようなものだからであるとしか答えようが無い。人々があつまり、サロンを形成し、それが何らかのムーブメントを起こして行く(こうしたプロセスは小林章夫の『コーヒーハウス』に詳しいので参考にしていただきたい) こうした喫飲をベースとしたサロンが文化や経済や政治の中心になってゆく家庭が非常に興味深いのである。実際に後の時代に、こうしたサロンが基盤になってロイズやフリーメーソンは大きな組織へと成長する基盤を得たのである。
 さらに面白いことに日本でもそれと同様の喫茶や文化サロンが非常に重要な位置を占めていたことは歴史的な事実である。例えば戦国大名たちは茶の湯を通してそれを行っていたと言えるだろう。その中から千利休という大茶人が生まれ、彼の美意識は現代の我々の価値観や美意識に大きな影響を与え続けている。また木村蒹葭堂のサロンも、中村真一郎が『木村蒹葭堂のサロン』で書いたように江戸時代においてその文化的なサロンとして非常に貴重なものであったことを我々は改めて学ぶ必要があるだろう。
 マーメイドタバーンもまさにそのような、人が人を惹きつける媒介として機能していた場所だったのである。ゆえに私はこの場所に非常に興味深いものを感じているのである 。

著作ベン・ジョンソンについて


 イギリスでは王家が桂冠詩人の称号を与えることになっているが、ベン・ジョンソンは初めて桂冠詩人として任命され、同時に年金を受けることになった人物である。

Ben Jonson:1572 – 1637


戯曲「その見聞の源頭The Staple of News


 この戯曲の原題は『The Staple of News』である。この戯曲は1625年にブラックフライアーズ劇場で初演され、1631年に初版が出版されている。ちなみに初演は国王一座(The King's Men)によって行われるが、これはウィリアム・シェイクスピアが座付き劇作家として長らく在籍していたイギリスの劇団である。
 『美味求真』で指摘されている「料理人は万有を捕らえてきて殺活を釜の中に握る者であり、すべての化学者、夢想に酔う錬金術師を驚かせる技術を有する者、武将、哲学者でもある」という部分であるが、The Staple of Newsを読みその箇所を探し出してみると、それは4幕の2部にあった。引用すると、

“He has Nature in a Pot, 'bove all the Chymists, Or airy Brethren of the Rosie-cross. He is an Architect, an Ingineer, A Soldier, a Physician, a Philosopher, A general Mathematician”

 原文を見ると、料理人(Master-Cook)には、建築家や数学者でもあるとしていることが分かる。以下に原文のリンク先を示しておくので、参考にして頂ければ幸いである。
 『The Staple of News』テキスト
 『The Staple of News』スキャン  “該当ページが開きます”


ベン・ジョンソンとシェイクスピア


 ベン・ジョンソンとシェイクスピアは同じ時代に戯曲を書き、活躍した。互いに交流があり、先にも述べたように、ロンドンのセントポール寺院の近くにあったマーメイドタバーン(Mermaid Tavern)で共に集う仲間でもあった。1666年のロンドン火災で無くなってしまったが、かつでの店の現在の場所は「ここ」である。

 シェイクスピアが亡くなってから7年後の1623年、シェイクスピアの二折版が出版された。『Mr. William Shakespeare's Comedies, Histories & Tragedies(ウィリアム・シェイクスピア氏の喜劇、歴史劇、悲劇集)』、つまり「ファースト・フォリオ」と呼ばれている書籍である。この追悼詩をベン・ジョンソンが書いている。そこでシェイクスピアを評して"And though thou hadst small Latine, and lesse Greeke," すなわち「ラテン語を少し、ギリシア語はもっと少し」(しか知らなかったけれども、その作品はきわめて偉大である...)と評しており、これがシェイクスピアの教養に関する話では必ず引用される部分となっている。

Mr. William Shakespeare's Comedies, Histories & Tragedies


 「ファースト・フォリオ」にあるベン・ジョンソン追悼詩
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 ベン・ジョンソンは高い教育を受けた人物であった。彼は「言葉は人を最もよく表す。だから何か言いたまえ、そうすれば君がわかるだろう」と述べている。以下に原文 『Timber: or, Discoveries made upon men and matter』から該当する箇所を引用する( ※ ページ左側の中位に引用文あり)

Language most shows a man: Speak, that I may see thee. It springs out of the most retired and inmost parts of us, and is the image of the parent of it, the mind. No glass renders a man’s form or likeness so true as his speech. Nay, it is likened to a man; and as we consider feature and composition in a man, so words in language; in the greatness, aptness, sound structure, and harmony of it.

 ベン・ジョンソンが追悼詩でシェイクスピアをその作品はきわめて偉大である評価しているが、確かに言葉はその本人の死後にも残る力強いものである。

 現代ではベン・ジョンソンはシェイクスピア程は有名ではないが、料理人に対する描写「料理人は万有を捕らえてきて殺活を釜の中に握る者であり、すべての化学者、夢想に酔う錬金術師を驚かせる技術を有する者、武将、哲学者でもある」は『美味求真』で木下謙次郎が描こうとした料理観とも合致する的確な表現である。
 改めてベン・ジョンソンの著作も読み継がれることを期待したい。